コラム

【スピリチュアル・ビートルズ】 靖国神社を参拝していたジョン・レノン 神道的なるものと「イマジン」

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10430001245 (1) ジョン・レノンが靖国神社を参拝していた。

 それは2011年に外交評論家の加瀬英明氏が出した「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」(祥伝社新書)という本で明らかにされた。加瀬氏の従姉は、ジョンの妻であるオノ・ヨーコである。新書の帯には靖国神社を背景にしたジョンとヨーコの写真が使われている。

 元ビートルズのメンバーであるジョンの靖国参拝と聞いて、2014年春のカナダの人気男性歌手ジャスティン・ビーバーの靖国参拝が中国、韓国のファンらから批判をまねき、謝罪に追い込まれた事件を思い出す人も少なくないだろう。

 加瀬氏によればジョンとヨーコが靖国神社を参拝したのは71年1月のこと。まだ、政治家などの公人の靖国参拝が近隣諸国との間で問題化していなかった時期だ。

 靖国参拝が問題化したきっかけは、79年4月19日付朝日新聞の社会面のスクープ記事で、靖国神社が第二次世界大戦後の極東軍事裁判でA級戦犯とされた14人を78年秋にひそかに合祀していたことが明らかになったからである。

 ジョンはヨーコに勧められて靖国神社を訪れたらしい。前述の本のタイトルだが、ジョンは確かに加瀬氏による神道についての説明を熱心に聞いていたらしい。しかし、この本の中ではジョン自身の神道についての考え方は明らかにされていない。

『イマジン/ジョン・レノン』
『イマジン/ジョン・レノン』

 加瀬氏はジョンの作った「イマジン」(71年)を聞き、これこそまさに神道的なもののとらえ方ではないかと、膝をうったという。

 「天国なんてないと想像してごらん」、「地獄なんてないと想像してごらん」、「国なんてないと想像してごらん」、「宗教なんてないと想像してごらん」、「何も所有してないと想像してごらん」とたたみかけてくる「イマジン」はユートピア願望を歌ったものだとされる。

 神道が宗教か否かという議論は別にして、「イマジン」の世界観に多くの批判がつきまとったのも事実だ。現実に国境はあるではないか、宗教の必要性はどう考えるのか、ジョン自身大金持ちで自分の財産を投げ出すつもりもないくせに、とかいった批判である。

 しかし、私は次のようにジョンが考えたのではないかと推察する。国というのは最初からあるわけではない。ある一定のエリアに暮らす人々が日々の生活の必要性のために役所や政府を必要としたことから国というくくりが出来たのではないかと。だからこそジョンは「イマジン」や「パワー・トゥ・ザ・ピープル」といった歌を書いたのではないかと私は考えている。「ピープル・ファースト」という考え方である。

 これは政府や国が最初にくると考えている人々にとっては受け入れがたい。政府や国も人々のために人々から成っているのにもかかわらずである。だから政府至上主義者や国家主義者は「イマジン」を危険視する。米国では、ベトナム戦争中に「兵士の士気を喪失させる」として放送禁止になり、90年代初めの湾岸戦争や、2001年9月11日の米同時多発テロの際にも放送自粛の措置がとられている。

 日本のような島国は地形的にある程度まで国のかたちのくくりがあったとも考えられるわけだが、加瀬氏は古事記や日本書紀など神話の世界をひも解き日本的なるものの由来を説いている。ジョンが日本的なるものに惹かれていたのは事実のようだ。

 ちくま文庫「Ai―ジョン・レノンが見た日本」はジョンが日本語の勉強のために書いた絵本である。その中の「日本の教え」という章で、ジョンは龍安寺を思わせる石庭の絵で「しぶみ」という言葉を説明し、修行僧らしき人が歩いている絵を「わび」という単語の説明に添えたり、「さび」という日本語をとりあげたりしている。ヨーコは「しぶみ」、「わび」、「さび」という3つの日本語について「それぞれ内面的にも外面的にもけばけばしくない美を表現する言葉」で「昔の日本が生んだ言葉」であると解説した。

 日本的なるものの優位性を強調することには危険も伴う。寅さん映画「男はつらいよ」シリーズは日本的だとよくいわれる。しかし、この映画で描かれる家族、兄妹、近所づきあい、恋愛などは万国共通のものであり、日本人にしかわからない世界ではないのだ。

 「イマジン」もそういうことではないかと考えている。

 ジョンは80年のインタビューで、「イマジン」などの歌は「ビートルズ時代にぼくがつくったどの歌にも負けないものだよ。ただ、そのことを理解してもらうには20年か30年かかるかもしれない」と語った。同年のジョンの死から32年経った2012年のロンドン五輪は、ジョンの「イマジン」が流されて幕を閉じた。

                           (文・桑原亘之介)

桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。