カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】 ジョンの妹ベアードさんが回想する若き日のジョンとポール

ジョン・レノンの妹、ジュリア・ベアードさん。
ジョン・レノンの妹、ジュリア・ベアードさん。

 「ビートルズの最初のドラマーはコリン・ハントンでした。ピート・ベストではありません」。ビートルズの黎明期について、ジョン・レノンの妹ジュリア・ベアードさんは回想する。ジョンがティーンエージャーの頃、母親ジュリアにバンジョーの弾き方を教わって初めて作ったグループが「ブラックジャックス」を名乗るもので、そのドラマーがコリンだったとベアードさんは語る。

 ビートルズが自分たちの歴史を振り返るプロジェクトであったアンソロジーで「昔の資料を使うのでコリンの許可を得なければならなかった」とベアードさんは言う。

 ベアードさんとジョンの母親はジュリアで同じだ。彼らは父親が異なる兄妹であり、ベアードさんはジョンより6歳半年下である。ジョンとベアードさんには一人、妹のジャッキーがいる。ジャッキーはジョンより約9歳若い。

 ミミおばさんに預けられていたジョンは、離れて暮らしていた母ジュリアの家にちょくちょく遊びにきていたという。「ジュリアはぼくにとって若いおばさんとか姉という感じだった。ぼくは歳を重ねるにつれ、ミミおばさんと衝突することが多くなり、週末にはジュリアの家へ泊まりにいくようになった」とジョンは語った。

 ジョンの美術学校時代の同級生で最初の妻シンシアも彼の幼少期の話を覚えていた。「ジョンが幼かったころはジュリアが定期的にミミの家を訪ねてくるときにしか母親に会えなかった。その後ジョンが11~12歳くらいになると、ひとりでジュリアと(彼女の内縁の夫)ボビーの家に遊びに行くようになり、ジョンにとってはまったく新しい世界が開けたような気がしていた」(シンシア・レノン著「ジョン・レノンに恋して」河出書房新社)。

 同書でシンシアが回想するところによれば、ジョンにとって母ジュリアの家はとても居心地がよく大好きで泊まることもよくあり、「妹たち(ベアードさんとジャッキー)もすぐにジョンを兄として慕うようになった」という。

ジュリア・ベアードさんの著書「IMAGINE THIS」(イマジン・ジス〜兄のジョン・レノンと一緒に育って)
ジュリア・ベアードさんの著書「IMAGINE THIS」(イマジン・ジス〜兄のジョン・レノンと一緒に育って)

 ベアードさんは思い出しながら語る。「ジョンの最初の仕事は、空港の(レストランの)ウエーターだった。土曜日のアルバイトだった。それはジョンがタバコを買うためのカネを、人からもらうのでなく、自分で稼ぐためだった」。

 ベアードさんの祖父は船員だったが、のちに陸の仕事になった。「そのとき、2つのものを家に持ち込んだ。猿とバンジョーだった」とベアードさんは言う。祖父がジュリアにバンジョーの弾き方を教え、ジュリアがジョンにその楽器の扱い方を教えた。「最初は母がバンジョーのフレットをおさえて、ジョンが弾くというやり方だった。その逆もあった。母はバンジョーが弾けた。それを見て、ジョンはバンジョーを弾けるようになりたいと思った」とベアードさんは語った。

 ジョンは、ドラマーのコリンら友達たちと一緒にベアードさんの家でよく楽器の練習をしていたという。ミミおばさんがメンラブ・アベニューの自分の家に少年らが集まって練習するのを嫌がっていたのに対し、「母ジュリアは皆が演奏するよう促した方だった」とベアードさんは言う。「母は洗濯板をかきならし、コリンは茶箱(tea chest)で作った楽器を演奏し、ジョンはバンジョーやハーモニカを使って練習していた」と彼女は続けた。

 そうこうするうちポール・マッカートニーが登場することになる。半世紀ほど前はすべてのことは教会を中心に回っていたとベアードさんはいう。「その教会でジョンのスキッフルバンドが演奏することになるのだが、それは教会にとって初めてのことでまったくもってして画期的なことだった」。やはり教会でジョンが率いる「クオリーメン」と改称されたグループが演奏していた1957年7月6日、ジョンはポールと出会った。

 ベアードさんはいう。「ポールは(ジョンがあこがれていた)エルビス・プレスリーにそっくりだった。そしてとってもハンサムな男(very good-looking man)だった」。それからである。ポールはベアードさんの家に年がら年中来ていたという。

 バンジョーのコードを習ったジョン。すぐにギターを手に入れたのだが、バンジョーのコードでギターを弾いていた。ジョンと知り合ったポールは、「ジョンが弾いているのはギターのコードではない」と教えた。またポールの父ジムがジョンの弾いているのは「バンジョーのコードとしても正確ではない」と指摘、それを聞いたジョンはバンジョーのコードを教えてくれた母ジュリアを悪く言われたと感じ、ジムとの関係が一時緊張したという(マーク・ルイソン著「The Beatles: all these years TUNE IN」Crown archetype刊)。

 こういったエピソードは、ビートルズ来日50周年記念として2016年6月から東京中野で開かれているビートルズ来日ツアーの公式カメラマン「ロバート・ウィテカー写真展」のオープニング・イベントでのベアードさんのトークショーで詳しく語られた。

 ベアードさんは現在、リバプールのキャバーン・シティ・ツアーズのディレクターの一人として活躍している。故郷を想う気持ちは人一倍である。

 コリン・ハントン。ジョンより約2歳年上のリバプール・スピーク地区の家具屋で働く少年だった。ピート・ベストや、いわんやリンゴ・スターが登場するよりずっと前の、ビートルズがまだビートルズと名乗っていなかった黎明期のドラマーだった。

(文・桑原 亘之介)


桑原亘之介

kuwabara.konosuke

1963年 東京都生まれ。ビートルズを初めて聴き、ファンになってから40年近くになる。時が経っても彼らの歌たちの輝きは衰えるどころか、ますます光を放ち、人生の大きな支えであり続けている。誤解を恐れずにいえば、私にとってビートルズとは「宗教」のようなものなのである。それは、幸せなときも、辛く涙したいときでも、いつでも心にあり、人生の道標であり、指針であり、心のよりどころであり、目標であり続けているからだ。
 本コラムは、ビートルズそして4人のビートルたちが宗教や神や信仰や真理や愛などについてどうとらえていたのかを考え、そこから何かを学べないかというささやかな試みである。時にはニュースなビートルズ、エッチなビートルズ?もお届けしたい。