カルチャー

経済の中心で葛藤する良心 映画『修道士は沈黙する』

©2015 BiBi Film-Barbary Films
©2015 BiBi Film-Barbary Films

 宗教と経済。およそ対極にある価値観がぶつかり合う。信徒が自分の罪を神父に告白する「告解」と、これを他言してはならないというキリスト教の戒律が、物語の鍵となる秘密を神父に独占させ、疑惑がミステリーを構築する。登場人物の立場も音楽も舞台も、すべてが精緻に計算されながら、「良心」という定義し難い問いを投げかける。映画『修道士は沈黙する』が3月17日から公開されている。

 バルト海沿岸の最古のリゾート地、ハイリゲンダム。米・英・仏・独や日本を含むG8の財務相会議に先駆け、ダニエル・オートゥイユが扮する国際通貨基金(IMF)の専務理事ロシェが、自身の誕生日を祝う夕食会を開く。各国大臣に並んで招かれたのが、カトリックの中でも戒律が最も厳しいといわれるカルトジオ修道会の修道士、サルスだ。翌日の会議で、世界を揺るがしかねない決断を控えるロシェはその夜、サルスに「告解」。翌朝、ロシェは亡くなっているのが発見される。

 ロシェの告解の内容は何だったのか。沈黙するサルス。残されたのは、たった一つの数式だ。宗教者、哲学者は、古代ギリシャの時代から数学や物理学者を兼ねる場合が多いが、サルスも実はかつて数学者。格差が広がり、飢える者、富む者がさらに隔たる世界へと進む決断を前に、たった一人の修道士が沈黙を守る意味と、その効果は絶大だ。

 背後に各国の国旗が並ぶ円卓と、そこに座る白い僧衣の修道士の姿は、あまりにも見慣れない、異様な光景だ。ダニエル・オートゥイユの少し詰まったようなフランス語、映画『天使と悪魔』で刑事役を務めたピエルフランチェスコ・ファヴィーノのが発する、落ち着いた低いイタリア語、そして資本主義をストレートに語る英語。それぞれの言語が持つ文化的な音が、物語を編んでいく人々の特徴を少しずつ増幅する。The confessions (20)(小)

 空港に修道士が降り立つプロローグ、ブルカやニカブなどイスラムのヴェールをかぶった女性たちが通り過ぎた背後に、真っ白な僧衣の修道士が立つそのコントラストが、宗教が争いを生む今の欧州を彷彿とさせる。鳥と犬と修道士のつながりが、中世イタリアの有名な聖人に重ねられるのもまた、イタリアらしい。安倍首相やトランプ大統領がこの作品を観たら、どんな感想を持つか、聞いてみたい衝動にかられる一本でもある。

 

text by coco.g