カルチャー

憎悪を乗り越えた先に 映画『判決、ふたつの希望』

(C)2017 TESSALIT PRODUCTIONS - ROUGE INTERNATIONAL - EZEKIEL FILMS - SCOPE PICTURES - DOURI FILMS PHOTO (C) TESSALIT PRODUCTIONS - ROUGE INTERNATIONAL
(C)2017 TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL – EZEKIEL FILMS – SCOPE PICTURES – DOURI FILMS
PHOTO (C) TESSALIT PRODUCTIONS – ROUGE INTERNATIONAL

 癒やすことのできない心の傷、携え引きずっていくしかない重い記憶。人はこれをどう乗り越えていくのだろう。くすぶる憎しみの種を暴発させた後、振り上げたこぶしを下ろすために必要なものは何だろうか。レバノンを舞台に、パレスチナ人とキリスト教徒のレバノン人が、些細な出来事から国を揺るがす法廷闘争へと巻き込まれていくさまを描いた映画、『判決、ふたつの希望』が公開されている。

 ストーリーの“遠景”は、集結からほぼ30年が経つレバノン内戦。山積する紛争の種は周知の通りだが、この作品の焦点はそこに留まらない。多かれ少なかれ誰もが経験する他者に対する憎悪を、自分の中でどう処理し、相手とどう向き合うかという至極日常的な人の心の営みだ。

 建築会社の現場監督ヤーセルと、自動車修理工のトニーの諍(いさか)いのきっかけは、アパートの補修工事だった。やり方が気に入らず、配管を叩き壊したトニーにヤーセルが投げた乱暴な言葉と、ヤーセルが謝罪に向かった先でトニーが吐き捨てた一言、それに我慢がならずふるった暴力。互いに一歩もひかず、諍いは法廷に持ち込まれるが、トニーが望んだのは相手からの謝罪だけだ。ヤーセルも暴力の非は認めていたにもかかわらず、周囲は話を政治や民族に広げ、“本題”は置き去りにされていく。

 確かに、トニーが発したのは「シャロンに抹殺されてればよかったんだ」という“暴言”。レバノン侵攻を指揮したイスラエルの元国防相を引き合いに出したこの言葉は、二人の諍いを“公的”な憎しみに転化させ、人々の対立拡大に火をつける導火線の役割を果たしてしまった。だが、大統領が仲裁に入るほど激化していく弁護士や周囲の人々の憎しみに、当の二人は困惑を深めていく。

 この作品で印象的なのは、判決が出るラストではなく、大統領と話し終えた二人がそれぞれの車に乗って帰る場面。終始無言だが、互いに譲り合って車のドアを開け、動かなくなったヤーセルの車をトニーが修理して立ち去っていく。背負った歴史や国、民族という“枠”をはずし、隣人として向い合った時に自然に湧き上がる“人間愛”。第一次大戦の最前線で、敵とクリスマス休戦に至った実話を描いた『戦場のアリア』(2005年)で、休戦が終わっても、一度酒を酌み交わし、個人の「顔」を知ってしまった相手を撃てない兵士たちの心情が蘇る。

 さまざまな形の憎悪の種を歴史に抱える人々が、こうして和解の芽を育てることができたらと、夢想せずにはいられない作品が、また一つ増えた。

 

text by coco.g