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レジ前のソーシャルディスタンス誘導の足跡マーク。行動経済学などで注目の「ナッジ理論」とは?

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街中で、3密を避けるための取り組みにさまざまな工夫が見られます。コロナ後、スーパーのレジ前の床に出現した足跡マーク。特に意識することなくその上に立つことで、前の人との間隔をあけることになります。床に貼られた矢印をたどって行くと、消毒用アルコール。トイレの手洗い場には「隣の人は石けんで手を洗っていますか?」の張り紙…。つい消毒や手洗いをやってしまう、このような心理は誰もが思い当たるはず。

声高なアナウンスなどがなくても、人の行動が良い方向へ促されるような工夫は、行動経済学や行動科学の分野の「ナッジ理論」に基づいており、ウィズコロナの行動変容にも有効であるとして、国や各自治体でも、積極的に導入を進めているようです。

すでにマーケティングや防災、医療、環境、働き方改革など、生活のあらゆる場面の問題解決のために活用されている「ナッジ」について、心理カウンセラーの西尾浩良さんに聞きました。

コンビニ弁当のカロリー表示も「シェフのオススメ」もナッジ。無意識の意思決定が良い結果へ結びつくためには、提供者の倫理観と選択する人の「本質を見極める力」が求められる

Q:これまでマーケティングなど、あらゆる分野で活用されてきた「ナッジ理論」とは、どのようなものですか?
——–
行動経済学や行動科学で言われる「ナッジ理論」とは、人間の無意識に働きかけることで、相手の行動選択を誘導するデザインやしくみ、制度などの元になる理論のことです。研究の歴史は古いのですが、ナッジ理論の提唱者であるアメリカのリチャード・セイラー氏が、2017年のノーベル経済学賞を受賞したことで、ナッジの概念が一般にも知られるようになりました。

言葉の意味としては、「ひじでそっとつつく」様子のこと。たとえば、親ゾウが前を歩く子どものゾウを、鼻先でちょっとつつくイメージで、強制や指示ではなく、自発的に好ましい方へ行動するよう促したり、後押ししたりするものです。ナッジは、大きく分けて4つのキーワードで説明されています。

【デフォルト】
選択を提供する方が、最も選んでほしい選択肢を明確に設置しておく。たとえばスマホの初期設定など。
【フィードバック】
何かの行動をすると、すぐに特定の反応が返ってくるようにようにする。たとえば、冷蔵庫の開けっ放しの際の警告音など。
【インセンティブ】
行動をすることによって得をする。「ポイント2倍」など。
【選択の明示】
選択肢をわかりやすくすることで、選びやすくする。たくさんのメニューの中の「シェフのオススメ」など。

Q:コロナ対策として登場したように見える足跡マークや床の誘導シールなどのほかに、以前から生活の中に浸透しているナッジには、どのようなものがありますか?
——–
私たちは日常のそれぞれの場面で、ちょっとした選択をしながら生活しています。レストランでメニューを決めるとき、たくさんのおいしそうな料理名や写真が並ぶ中から決めきれず、つい「本日のランチ」や「シェフのオススメ料理」を選ぶことはよくあります。コンビニでは、たくさんのお弁当や軽食が並ぶ中、迷ったときにチェックするのは、カロリー表示ではありませんか?これらも、迷った時に選択しやすくするナッジの一つです。

また、ある自治体で無料の大腸がん検診の検査キットを送る際、
Ⓐ 今回このキットで検診を受けた人には、来年度もお送りします。
Ⓑ 今回使わなければ、来年度はこのキットを送りません。
の2パターンの案内文で、それぞれの受診率を調査したところ、Ⓑの案内文にした方が、受診率が7%増加したという結果に。当然享受できていたモノやサービスが受けられなくなることを避ける「損失回避」の心理を利用したナッジと言えるでしょう。

海外の事例では、臓器移植のドナーカードについて、「賛同しない」にチェックをする方式のフランス・ベルギーなどでは9割が臓器提供に賛同しているのに対し、「賛同する」にチェックをする方式のドイツやイギリスでは賛同者が1割程度というデータがあります。

国民性や慣習、そのほかの要因があるにしても、初期設定を「賛同しない」にして、「賛同する」場合にチェックを入れるようにするより、初期設定を「臓器提供に賛同する」にして「賛同しない」場合にチェックを入れるようにした方が、結果的に多くの人を賛同する人へ促したように見えます。

Q:一見、ナッジとは関わりがないように見えることでも、結果的に良い行動変容を促すようなことはありますか?
——–
大変興味深いケースがあります。あるテナントビルでは放置自転車に困り、「ここは不要自転車の捨て場所です。ご自由にお持ち帰りください」と貼り紙をしたところ、きれいに放置自転車がなくなったようです。同じ貼り紙でも、「ここに自転車を放置しないでください」というメッセージだけでは、これほどの効果はなかったでしょう。

また、海外での事例ですが、ある屋外スペースで、吸い殻入れを設置しているにも関わらずタバコのポイ捨てが後を絶たないので、吸い殻入れに「世界最高のサッカープレーヤーは?」というクエスチョンを掲示。「メッシ」と「ロナウド」のどちらかのボックスを選んで捨てる投票スタイルにしたところ、ほとんどの人が吸い殻入れに捨てるようになったそうです。最近では「トランプはデビルか?ゴッドか?」というものも現れたとか。

話題になった例では、医療現場で、看護師の昼夜勤務の制服の色分けをすると、夜勤の人が早朝に残っていることが視覚的にわかり、定時退勤するようになったというケースも。結果的に勤務時間の不満がなくなり、仕事の効率も向上したうえ、看護師の離職率が低下したという結果となったようです。

Q:強制ではないのに、ついそのように行動してしまうのは、人間のどのような心理が働いているのでしょうか?
——–
人は、大小さまざまな選択を重ねることによって、日々の行動を決定しています。論理的に行動しているようで、実のところ無意識に動いていることも多いのです。判断の基準となるものは、そのときどきで異なりますが、前述のナッジの4つのキーワードに示されるようなことが「選択の動機」となっていることに気付く人も多いはずです。選択肢が多すぎるとかえって選ばない、損失はなるべく回避したい、どうせなら得な方を選びがち、不快な情報はすぐに削除したい、など。

本来、人には「正常性バイアス」と言って、「自分だけは大丈夫だと」と思う傾向があります。コロナ禍のような、経験したことのない災いに対して恐れる気持ちが生まれると、不安が増大し過ぎて心がダメージを受けることのないよう、逆にそれを打ち消すような心理が働くものです。未知の病気に対するさまざまな情報によって、過剰とも思えるほどの反応の後に、ある程度の時間がたつと、その緊張が解けたように街に人があふれたりするのは、現実的な他の要因もありますが、こうした心理が働いたものと考えられます。

一方で、社会生活を営む上では、現実に取るべき行動を知識として理解しているので、自分や他人の安全や心の平安を確保する方を無意識に選ぶ傾向があるのです。

Q:無意識に合理的な判断へ誘導する工夫は、ともすれば、知らないうちに危険な方向や不利益な選択へ人々を向かわせるようなことにもなりませんか?今後の取り組みの課題は
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セイラー教授は、経済活動でのマーケティングの範疇を超えたナッジなど、利用者にとってより良い選択と言えないような意思決定や、社会的行動を困難にするような「悪いナッジ」を、英語でヘドロという意味の「スラッジ」と呼んで、これを排除するよう働きかけています。

特にマーケティングの分野では、あたかも利用者に有益なイメージのように見えるサービスやモノを、ナッジによって自発的に選ぶよう促されることがよくあります。そのほかの場面でも、目に見えてその人の損害にならないまでも、必ずしもその選択が適切なのかどうかについて懸念されるケースがあります。

イメージとして適切かどうかはわかりませんが、たとえば「奨学金」という制度があります。コロナ禍で卒業後の就職がままならない人の返済が滞っていることが社会問題となっているようです。〝学業を奨励するため〟というニュアンスの「奨学金」という名称が、「返済義務を課せられる借金」という本質を薄めているとしたら、意図的とは言えないまでも、お金を借りることへの心理的抵抗感を排除させる方へ働いてしまったとも取れるのではないでしょうか。

強制ではなく、無意識に相手の行動を誘導するナッジは、個人の意思決定プロセスが操作されていることが、明確に見えてこないことがあります。

行動設計を提供する側に、しっかりとした倫理観があることが絶対条件であることは言うまでもありませんが、私たち自身にもまた、物事の「本質」を見極める力が求められているように思います。

<筆者略歴>

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西尾 浩良:心理カウンセラー 早稲田大学人間科学部健康福祉科学科卒
一般企業の営業職を経て、
2000年(平成12年)西尾心理療法指導室心理カウンセラーの職に就く。
    指導室創始者である西尾繁登三前室長の会長就任をうけて、
2010年(平成22年)より指導室院長に就任。
自律神経失調症・パニック障害・不安症などの改善指導に顕著な実績を上げている。
公認心理師・心理療法士・産業カウンセラー
心と体の健康講座講師

西尾 浩良:心理カウンセラー

(西尾 浩良:心理カウンセラー)

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