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【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】詩「足し算命520」を自画自賛

【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】詩「足し算命520」を自画自賛 画像1

2021年2月15日=680
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


 落ち込んで何もできず 転移知らされたあの日 

がん治療始まり 愛車スバルすでに無し 

ああ悲喜めぐる 天命(さだめ)の我が生き路(じ) 

今日(きょう)を一日と 足し算命よ 

我は生く 手放して気ぃ楽に 

我は生く さらば惜しむを 

 

2020年秋に書いた「足し算命520」という詩の第1連である。これら6行に込めた思いを、今回つづることとする。 

 

三重県南部の紀北町から山(なまえ不詳)を望む
三重県南部の紀北町から山(名前不詳)を望む

 

【落ち込んで何もできず 転移知らされたあの日】 

「どのくらい生きられますか?」

 肝臓転移が判明した時、私が主治医に尋ねた言葉である。いま再放送されている医療ドラマでも患者役の木村多江さんが同様に尋ねている。私が大好きな作品だ。

 まあこれは置いといて、私の主治医は誠実に答えてくれた。それは分からないと。そりゃあそうだ。疾患における統計上の数値はあっても(何年生存率は何%など)、個々の余命は分かるはずがない。

 私も医者として患者さんにはそう話してきた。

 それにもかかわらず質問していた。もう完全に患者に成り切っている。

 それから1週間凹んでいる間に、こう考えるようになった。余命が分かればそれに合わせて後悔無きよう時間を送れるという人もいよう。それが半年よりも1年・3年となればなおさらいい。しかし、たとえ余命3年(約1000日)と言われても、一日一日と生きればそれは999、998、997…と確実に減っていく。これがとっても寂しい。

 そこで私は、これからではなく今日まで生きたことに目を向けようと考えた。これならば一日一日と増えていく。病が進んでいようが、体が弱っていようが、どんな状況であれ。これで気が楽になれる。生きた日数を足す「足し算命」を始めた。めちゃくちゃ凹んだあの日、肝臓転移が分かった2019年4月8日をスタート第1日とした。 

 

【がん治療始まり 愛車スバルすでに無し】 

 2018年6月の胃ジスト手術後、悪性度が極めて高いため抗がん剤治療が始まった際に、私は愛車を手放した。もうそんなに長く生きられない(具体的には2018年中に死ぬ)とその時に腹をくくったからである。

 私は車好きである。大好きなのはメカニズムではなく運転だ。よわい18歳で免許を取り、80万円で中古車を手に入れた。スバルレオーネセダンGTS1800。最高速度は時速120キロ止まりだったと思うが、前方のナンバープレートを斜めにするなどとっても気に入っていた。以来のスバリストである。2台目・3台目も中古車。そして4台目にして初めて新車を購入した。5台目も新車だった。これが最後の車だ。黒のWRX STI2000。

 スポーツカーにはとてもかなわないが、通常のセダンタイプには引けを取らなかった。加速において。ただしリミッターが付いていたので、180キロ+α以上は出せなかったけれど。この愛車を手放したのである。がんとの出会いはそれほどまで一大事ということだ。 

 

【ああ悲喜めぐる 天命(さだめ)の我が生き路(じ)】 

 人生悲喜こもごも、山あり谷ありとしばしば言われる。悲しみの後には喜びがやってくる。その後にはまた悲しみが、交互に。

 突然の大量消化管出血の後には、ジストと分かり手術ができた。しかし悪性度が非常に高いと分かった後、抗がん剤治療が始まる。

 治療も含めてしんどい半年後、ようやく少しずつ食べられるようになりやる気も出てきた2019年4月に肝臓転移。

 しかし次の手である別の抗がん剤が始められた。

 といった具合に、悲喜がめぐってやってくる。これからも悲しみが来ることは想像に難くないが、その後にはまた喜びが来ると信じて。もちろんこれらの現象には必ず原因があるはずだ。もしかすると己の何らかの行為が原因なのかも知れない。

三重県南部紀北町から望む熊野灘
三重県南部紀北町から望む熊野灘

 しかしそんなこと言うても切りが無い。だったらもうこれは定め、天命によると割り切ることとした。これでまた気が楽になる。オレの所為でもない、誰の所為でもない。これが私の生きる道であるから、我が生き路となる。 

 

【今日(きょう)を一日と 足し算命よ】 

 先述した足し算命である。この命が1日ずつ増えていくのがいい。

 2倍・3倍と掛け算でもなく、足し算と言っても10も20も増える訳でもない。これも発病前には思い至らなかった。何せ車ならば180キロ+αに目が向く人やったから。

 がんを生きるようになって、もっと身近なちっぽけなもので満足できるようになった気がする。ひとつずつ増えるって最高や。 

 

【我は生く 手放して気ぃ楽に】 

 愛車を手放したことは先に述べた。車自体が無くなったことは非常に寂しいが、自動車税や車検代などの維持費が不要になったことで、我が家の財政が楽になった。

 発病前のように働けない身上では支出が減ることはとても助かる。気も楽になれる。

 何と言っても抗がん剤治療の医療費は高額である。特に非常勤の仕事が激減しているまさにいま、身に染みる。

 実はもうひとつ手放したものがある。それは携帯電話。これも2019年以降は生きられないと覚悟し、2018年6月末に退院して間もなくドコモショップへ向かい解約した。どこか拘束感から解放された感があり、気が楽になった。

 しかしあの時から2年半あまり生きてこられ新たな出会いもあり、友から携帯電話を持ったらと言われることも少なからずある。そんな時いつも私は、こう考える。 

 「もしここで再び携帯電話を持てば、がんが一気に悪化するような気がする」 

 相手にも己にも言い聞かせる。 

 

【我は生く さらば惜しむを】 

 惜しむとは、失うことを残念に思うことである。失う、すなわち無いこと・できないことを残念に思うこととはさよならだ。

 私の場合、前者であればがんを完治させること、後者であれば人一倍食べることであろうか。これでまた気が楽になる。

 また最近はこうも考える。来るものはウエルカム、来ないものは求めず。いまの私を必要としてくれるモノ・人は受けいれて、私を必要としないモノ・人には追いすがらない。

 現役がん患者である私はこの方が生きやすい。とにかく私は生きたい、どんな状況であれ。たとえ体はしんどく苦しくなったとしても、気ぃだけは楽に生きていきたい。 

 

 この詩、自分ではとても気に入っている。これぞまさに「自画自賛」。

 ひとはとかく他からの評価が気になる。他人から褒められれば素直にうれしい。SNS全盛の現代、いいね!を求めるのも同様だ。もちろん私もその1人だが、がんを発病してからはその程度が弱まった。一方、自己評価が高まっている。それも己を褒める方だ。これがとてつもなく心地よい。

 傍若無人を振る舞うかのごとく患者風を吹かせることを後押ししてくれる。

 いつぞやのオリンピックアスリートもレース後に語っていた。初めて自分で自分をほめたいと。自画自賛で私は気が楽になれる。セルフコントロールやセルフマネジメントと言えるのかも知れないが、そんな格調高きものじゃあない。単に、他人の目を気にせず生きられるということだ。正しく傍若無人である。この調子で次回は、「足し算命520」第2連にいきま~す。 

 今日2021年2月15日アサを迎えて、足し算命は680となりました。本当にありがとうございます。わたくし生きている限りどうぞよろしくお願いいたします。 

(発信中、フェイスブックおよびYоuTube“足し算命520”


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがんと闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。

『 足し算命