カルチャー

【スピリチュアル・ビートルズ】ドラッグとの切り離せぬ関係 アシッド・ソング満載の『リボルバー』

リボルバー
『リボルバー/ザ・ビートルズ』(ユニバーサルミュージック)

 ビートルズとドラッグは切っても切れない関係だった。過酷な下積み時代を乗り切るための「アンフェタミン」や「プレルディン」、名声によるプレッシャーから逃れるためのマリファナ(大麻)、精神世界の探究とともにあったLSD(アシッド)。

 ジョン・レノンいわく「『ラバー・ソウル』はマリファナのアルバムで、『リボルバー』はLSDのアルバムっていうところだ。『サージェント・ペパー』にはマリファナとLSDの両方を詰め込んだとまではいえないけれど、影響は確かにあった」。

 ビートルズはレコード・デビュー前から覚せい剤の「恩恵」を受けていた。彼らが初めて覚せい剤と出会ったのは1960年6月のこと。リバプールのカスバ・コーヒー・クラブで詩の朗読会が開かれていた時、ビート詩人にアンフェタミンを紹介されたのだ。

 特にハンブルクでは長時間に及ぶステージをこなすために、興奮剤であるアンフェタミンや食欲を抑えるやせ薬として知られていたプレルディンをアルコールと一緒に流し込んでいた。それで夜を徹したクレイジーなパフォーマンスが可能となったのだった。

 ビートルズがマリファナを体験するのは ’64年の初めてのアメリカ・ツアーでのこと。ボブ・ディランとホテルの部屋で会った時に、彼からマリファナを勧められたのである。ディランは、ビートルズの「抱きしめたい」の一節「I can’t hide」を「I get high」と聞き間違えていて、彼らがすでにマリファナを体験済みだと思っていた。

 マリファナは彼らにインパクトを与えた。リンゴ・スターは言う「ぼくらが変わったのはマリファナの影響だろうね。特に作詞作曲はそうだ」。

 ジョンとジョージ・ハリスンがLSDを初めて体験したのは ’65年。彼らの妻、シンシア、パティと一緒に、知り合いの歯医者の家で飲んだコーヒーにLSDが入れられていた。

 歯医者はLSDを性欲促進剤みたいなものだと思っていて、みんなで乱交が出来ると思っていた、とジョージ。彼らは「ラリった」まま、ナイト・クラブに行った。ジョージは回想して「テーブルについてドリンクを注文した途端、突然、今まで経験したことのない不思議な感覚に襲われた。人生で最高と思えるような感覚が、集中的に押し寄せてきた感じだった」と語っていた。「たった10分なのに、千年も生きた気がした。ぼくの脳と意識が一気に遠くに押し出されたみたいだった。ぼくの意識がずっと遠くにある地球を見つめているのだ。LSDをやると宇宙を体験できる」とジョージは続けた。

 遅れてLSDを体験したリンゴとポール・マッカートニー。リンゴは「LSDは人間を変えてしまう。自分の感覚や感情が敏感になるのだ」と言った。LSDを服用することには当初及び腰だったポールも ’66年に友人に勧められて体験し、「夢うつつの状態ですべてに対して感覚が鋭くなった。意識が拡張するのだよ」と述べていた。

 ’65年12月に英国でリリースされたビートルズの6枚目のアルバム『ラバー・ソウル』のジャケット写真の4人の歪んだ顔は、マリファナやLSD使用時に見える光景をイメージし、また「これまでとは大きく違う」作品であることを示唆していた。

 ドラッグの影響が顕著に出たのが ’66年8月英国発売の『リボルバー』。LSDはとりわけジョンの創作活動に多大な影響を及ぼした。例えば「シー・セッド・シー・セッド」。 ’65年夏にジョンとジョージらは、ロサンゼルスで開かれたパーティーの席上、LSDでトリップをした。参加者に俳優のピーター・フォンダがいた。ラリっていた彼が「死ぬってどんなことか俺は知っている」と言ったことにヒントを得てジョンが書いたのがその曲だった。

 ジョンは「ドクター・ロバート」というドラッグ・ソングもものにする。これは「ニューヨークに不思議な「ビタミン剤」を注射してくれる医者」がいると耳にしたジョンが、その話を題材に書いた。その医師は、アンフェタミンを簡単に処方することで有名で、本来は抗うつ剤である覚せい剤が、次第にセレブたちの間で快楽を得るための手段になったという。

 ポールの「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」もドラッグ・ソング。ジョンは「LSD体験の歌だ」としていたが、当のポールは「マリファナ讃歌」だという。

 ビートルズのドラッグ・ソングの「最高峰」ともいえるのがジョンの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」だろう。心理学者で「LSDの伝道師」として知られたティモシー・リアリーの ’64年の著書「チベット死者の書:サイケデリック・バージョン」に影響を受けている。

 ジョンは言った「初めてのアシッド・ソングといえるのではないか。「何も考えずに虚空に身を任せよう」という歌詞はリアリーの本からパクってきた。『リボルバー』では、ぼくらはアシッドをやっていた。ポールも含めて完成する頃には全員アシッドをやっていた」。

 『サージェント・ペパー』も当時のドラッグ・カルチャー、サイケデリック・ムーブメント、ヒッピー文化といったものと密接に結びついた作品だった。アルバム・ジャケット写真の中に大麻草があしらわれていることも、その象徴として有名だ。

 ジョージは ’67年8月、ヒッピー文化の聖地であったカリフォルニア州ロサンゼルスのヘイト・アシュベリーを訪れた。そこで彼は現実を見て悟る「ドラッグ・カルチャーというのは、アルコールや毒と同じだ」と。それが彼にとっての転換点になったという。

 ’68年10月には、ジョンとオノ・ヨーコは、大麻不法所持で逮捕された。また69年3月、マリファナ不法所持の疑いで、ジョージとパティも逮捕された。

 その後、彼らが全員ドラッグから身を引いたわけではなかった。ジョンはヨーコとともにヘロインに夢中になっていた時期があったとされる。 ’69年にジョンは麻薬の禁断症状を「コールド・ターキー」という歌にした。衝撃的だったのは、 ’80年1月、ポールが大麻不法所持の現行犯で日本の成田空港で逮捕された事件だ。マリファナ219グラム(末端価格70万円)がスーツケースの中の背広から見つかったのだという。

 ジョージは2001年11月他界したが、彼の遺作『ブレインウォッシュド』(2002)収録の「悠久の輝き」(Rising Sun)はまさに彼のかつてのLSD体験を歌っているのではないか。「昇る太陽の中で、きみは生命の息吹を感じる、DNAの中で宇宙が遊ぶ、今日のきみは10億歳、それが出てきた場所は、きみの内面にあるんだ」。

文・桑原亘之介