エンタメ

【洋楽を抱きしめて】エリックが亡き息子に捧げた「ティアーズ・イン・ヘブン」

『アンプラグド~アコースティック・クラプトン/エリック・クラプトン』(ワーナーミュージック・ジャパン)
『アンプラグド~アコースティック・クラプトン/エリック・クラプトン』(ワーナーミュージック・ジャパン)

 ギターの神様エリック・クラプトンの半世紀以上にわたるキャリアで最大のヒット曲は、不慮の死を遂げた息子に捧げられた「ティアーズ・イン・ヘブン」(1992)だろう。

 若かりし頃からアルコールや薬物に溺れ、女性遍歴も華やかだったエリック。モデル、パティ・ボイドをめぐる親友ジョージ・ハリスンとの複雑な関係は有名だ。

 そんな放蕩エリックにも子どもが授かった。1986年8月、つきあっていたイタリア人女優ローリとの間に息子コナーが誕生したのだ。エリックは41歳だった。エリックは自分と同じ金髪で、茶色の瞳のコナーを可愛がった。そして87年秋、コナーの誕生を機に、ぶり返しつつあったアルコール依存症の治療に再び乗り出すことになる。

 「最初はコナーとの関係にある程度の不安を持っていたが、逃げはしなかった。所詮私はパートタイムの父親だった。小さな子どもは素っ気ない態度をとったり、無意識に残酷になったりすることがあるが、私はこれを個人的に受け取る傾向があった。とはいっても、禁酒時間が増えるにつれて、もっと気楽につきあえるようになって、会うのが楽しみになってきた」(「エリック・クラプトン自伝」イースト・プレス)。

 91年3月、エリックはニューヨークにコナーに会いに行った。同19日、エリックはサーカスにコナーを連れて行った。エリックが自分一人でコナーを連れ出すのは初めてで、父親になるとはどういうことか気付かされた、素晴らしい一夜だったと彼は振り返った。

 しかし、幸せは続かなかった。翌朝、エリックは散歩をするため早起きをした。彼はホテルに泊まっていた。その日はローリとコナーを拾って、動物園に連れて行き、その後、お気に入りのイタリアン・レストランで昼食をとる予定だった。

 午前11時ごろ、エリックの電話が鳴った。ローリだった。「コナーが死んだ」と狂ったように叫んでいた。エリックは彼らのアパートにすぐに向かった。コナーはアパートの高層階の部屋のたまたま開いていた踊り場の窓から転落したのだった。コナーわずか4歳半。

 禁酒生活を続けていたエリックは大きな悲しみに耐えた。結局、彼を救ったのはギターだった。コナーとサーカスに行った時のことを思いつつ「ザ・サーカス・レフト・タウン」、コナーと自身の父親を失ったことをからませて「マイ・ファーザーズ・アイズ」、「ティアーズ・イン・ヘブン」といった曲を、演奏を繰り返して書き上げた。
 これらの曲を作ったのは「気が狂うのを防ぐため」だった、とエリック。

 エリックは映画「ラッシュ」のサントラを担当し、その主題歌として「ティアーズ・イン・ヘブン」を採用した。シングルカットされ、全米2位を記録。この歌は『アンプラグド~アコースティック・クラプトン』にも収録されており、同アルバムは大ヒットした。

 エリックは天国の息子に向かって歌う――「もし天国で君に会えたなら/ぼくの名前を憶えていてくれるかい/天国で会えたならば/2人は同じままかい/ぼくは強くなければならない/そして歩み続けなければならない/なぜってぼくの居場所は天国ではないから」。

文・桑原亘之介