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【洋楽を抱きしめて】20年の歳月を経てリバイバル・ヒットした「星影のバラード」

『リビング・イン・ア・ファンタジー/レオ・セイヤー』 (インペリアルレコード)
『リビング・イン・ア・ファンタジー/レオ・セイヤー』
(インペリアルレコード)

 誕生から20年の歳月を経て世界中でリバイバル・ヒットした「星影のバラード」(More than I can say)。もともとはバディ・ホリー亡き後のクリケッツの作品だが、それをカバーした米国のポップ・シンガー、ボビー・ヴィーの歌声をテレビでたまたま耳にした英国のアーティスト、レオ・セイヤーが取り上げ、蘇らせたのだ。

 オリジナルは、ザ・クリケッツのギタリスト、ソニー・カーティスとドラマー、ジェリー・アリソンによって書かれた。リーダーだったバディを1959年2月に飛行機事故で失った後にレコーディングされ、翌’60年にリリースされた。英チャートで最高位26位を記録。

 ’61年にはボビー・ヴィーによって取り上げられた。米ビルボード誌では最高位61位と振るわなかったが、英国のチャートでは4位まで上昇するヒットとなった。

 時を超え、そんな楽曲をレオ・セイヤーがとりあげるには偶然のイタズラがあった。

 レオがアルバム『リビング・イン・ア・ファンタジー』を制作中のこと。完成は間近に迫っていた。しかし、一曲何か特別な収録曲が足りなかったと感じていた。テレビは昼のニュースを伝えていたが、コマーシャルになると、ボビー・ヴィーのベスト・アルバムの宣伝が入り、彼の「More than I can say」が流れてきたのだという。

 レオたちはレコード屋に向かい、ボビーのベスト盤を入手。そして真夜中までにレオ・セイヤー版「More than I can say」を完成させたのだという。

 シングルカットされたカバー・バージョンは米ビルボード誌のチャートで、’80年12月から翌年1月にかけて5週間2位を記録。この時に首位の座を占めていたのが、ケニー・ロジャーズの「レイディ」とジョン・レノンの「スターティング・オーバー」だった。

 英国のシングルチャートでも2位まで上昇した。

 1948年英国生まれのレオ・セイヤー。学生時代からバンドのメンバーとして歌ったり、ハーモニカを吹いたりしてきたが、彼自身は人前に出るよりも一人で作詞をしているほうが好きだったという。’70年、バンドはコンテストに出て、そこでのちにプロデューサーや共作者となるデイブ・コートニーの目に留まるのである。

 ’73年にアルバム『シルバーバード』でデビュー。以来、順調にヒットを飛ばしてきた。

 代表曲には、’77年に英米ともにチャート首位を獲得した「はるかなる想い」(When I need you)、’76年に米国で1位、英国で2位まで上昇した「恋の魔法使い」(You make me feel like dancing)、英国で’73年に最高位2位の「道化師の孤独」(The show must go on)、英国で最高位4位の’74年の「渇いたワイングラス」(Long tall glasses)などがある。

 日本ではテレビCMに使われたことなどから「星影のバラード」の知名度が高い。

 近年はオーストラリアのメルボルンに在住しているレオは、2020年夏に、新型コロナウイルスの流行に心を痛めているというメッセージを込め、メルボルンの人々がどのように感じているかを描写した「My city in lockdown」という作品を発表している。

文・桑原亘之介