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【スピリチュアル・ビートルズ】「原点回帰」を目指し奮闘する4人のアーティストを描き出した新ドキュメンタリー『ゲット・バック』

©2021 Disney ©2020 Apple Corps Ltd.
©2021 Disney ©2020 Apple Corps Ltd.

 ビートルズの1970年公開の映画『レット・イット・ビー』が大幅拡張リメイクされ、3部構成のドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』として、2021年11月25日から米娯楽大手ディズニーの定額動画配信サービス、ディズニープラスで独占配信が始まった。

 映像作品のタイトルの変更がすべてを物語っているように思える。ビートルズが崩壊の過程を歩むさまをとらえたとされる旧作『レット・イット・ビー』すなわち「なすがままに」。一方、新作は『ゲット・バック』すなわち彼らが苦闘しつつ目指した「原点回帰」。

 どこか「解散」というコンテクストから「虚無感」さえ漂うような気さえした旧作での4人の捉え方に比べ、新作は旧作でも垣間見えていた「原点回帰」への格闘―そしてそれは4人のユーモアを伴う創造プロセス―を描き出すことにより重点をシフトさせていた。

「なすがままに」はポールの本当の心情だったのか?

 なぜ、旧作『レット・イット・ビー』がバンドの崩壊していく様を描いた悲しい作品だと見られてきたのか。それは編集の問題もあろう。しかし、一番の要因は同映画がビートルズ解散(ポール・マッカートニーの脱退宣言)後に封切られたことにある。

 旧作のオープニングでポール・マッカートニーが弾くピアノ曲は美しくも哀しかった。ポールとジョージ・ハリスンがギター演奏をめぐってやりあう場面は今もなお痛々しい。実際、ジョージはセッションを一時離脱している。また、ジョン・レノンのそばに常によりそっているオノ・ヨーコの姿に違和感を覚える人も多かっただろう。

 ポールがタイトル曲「レット・イット・ビー」を「夢の中に出てきた母親メアリーが(困難な時には)なすがままにしなさい」と言ったことに霊感を受けて書いたという話が、当時バンドの結束を訴えていたポールの姿と相まって、人々を納得させてきた。

 ’66年にツアーを止め、’67年にマネージャー、ブライアン・エプスタインが亡くなった後、自由気ままなジョンに代わってバンドを引っ張っていこうとした息子ポールに対して母メアリーが、夢の中で英知あるメッセージ「なすがままに」を授けたという話だ。

 ポール自身この話を度々口にする。だが、異説がある。ビートルズ研究家の野咲良氏によれば、「ビートルズのアシスタントだったマルカム(マル)・エヴァンズは、70年代に何度か、ポールの瞑想の中にマルが出てきて「レット・イット・ビー」と言ったことをきっかけに曲を作ったとポール自身から言われた、と語っていた」という。

レノン=マッカートニー処女作

 ポールは「なすがままに」しようとはせず、むしろ積極的にバンドの再出発にかけようとしていた。その意気込みが垣間見られるのが、セッション初日’69年1月2日に「トゥ・オブ・アス」をリハーサルする際に見ていた歌詞が手書きされた紙の右下に「クオリーメン・オリジナル」と記されていたことである。

 クオリーメンとはクオリー・バンク中学在籍中の’57年にジョンが結成し、のちにポール、ジョージが加わり、ビートルズの前身となったバンドである。

 翌日には彼らがバンド活動を始めた頃に作っていた「ワン・アフター909」といった古い曲を引っ張り出して演奏している。興味深いのは、ポールは少年時代にジョンと100曲くらい作ったと話し、彼が「Just fun」と呼ぶ歌をジョンとともに歌っていることだ。

 「みんな、ぼくらの愛はただのお遊びだといった/ぼくらの友情が始まったその日/私には青い月は見えなかった/歴史上、それは一度もなかった」。

 この未発表曲はジョンとポールが一緒に作り「レノン=マッカートニー」のクレジットを初めてつけた作品なのである。意味深ではなかろうか。

 米「ローリング・ストーン」誌の2016年8月25日号によると、ポールは当時、この曲の歌詞を学校の学習帳に書き写し、右上に「レノン=マッカートニー・オリジナル」と記したという。「ささやかな始まりだった」とポールは回想していた。

 ジョンも初心を意識していた節がある。1月21日には「トゥー・バッド・アバウト・ソロー」を口ずさみ、「別のレノン=マッカートニー・オリジナル」と言っている。1月25日にはジョンは、ポールの初の自作曲「アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール」を歌っている。

 「クオリーメン・オリジナル」と「レノン=マッカートニー・オリジナル」――ジョンにも感じるところがあったのだろうか。ポールは2人に通底する思いに働きかけて、「初心に戻ろうよ」という秘密のメッセージを送っていたのではないだろうか。

ライブ・レコーディングで「原点回帰」を

 約1カ月続いたゲット・バック・セッションだが、これはバンドにてこを入れるためにポールが提案していたコンサート・ツアーに代わって行われたものだった。ポールはもともとイングランド北部のダンス・ホールでライブをして、昔の活動を思い出して、グループ内の絆を深めたかった。彼らが「最高のライブ」をしていたというキャバーン・クラブなどリバプールやハンブルクでのライブを再現しようという目論みだった。

 だが、他の3人、特にジョージが反対。ポールはその代わりに、一度だけ海外でライブをしようと呼びかけた。リビアなどさまざまな候補地が議論されたが、まとまらず。そこでアップル・フィルム幹部が「リハーサルの様子を撮影して、後に番組の一部か別のテレビ・ドキュメンタリーに使えばいい」と提案して、4人が乗ったのだ。

 そうして始まったゲット・バック・セッションは、文字通りビートルズの4人で初期のようにライブ・レコーディングを行うことで「原点回帰」しようぜ、と呼びかけたポールの提案から生まれたが、「お前がもと居た場所にもどってこいよ」と繰り返し歌われる「ゲット・バック」はバンド仲間、特にジョンへの呼びかけのようにも聞こえる。

 ジョン自身は彼にバンドに戻れというよりは、ヨーコが「帰れ」と言われているととっていた。ジョンは’80年秋に行われた「プレイボーイ」誌とのインタビューで、「ゲット・バック」はポールが「ヨーコのことを暗に言っている部分があると思う」と語っていた。「『自分のいたところに帰れ』ってのがあるだろ。スタジオでそこを歌うとき、あいつはいつもヨーコのほうを見ていたから」とジョンは当時感じていたことを口にした。

©1969 Paul McCartney. Photo by Linda McCartney.
©1969 Paul McCartney. Photo by Linda McCartney.

創作活動に没頭する4人のアーティストの素顔

 音源だけを考えてみても、ゲット・バック・セッションはそもそも『ゲット・バック』のタイトルでアルバムとなるはずだったのだ。その「オリジナル」が10月15日発売の『レット・イット・ビー』50周年記念盤でお目見えした。「原点回帰」をうたっている通り、ジャケット写真はデビュー・アルバムのそれと同じ構図のままEMIハウスで撮影されたものが使われていた。そしてデビュー時同様にアルバム1枚14曲で仕上げようとしていた。

 新作ドキュメンタリーは、旧作映画がビートルズ崩壊の過程を描いた悲しい作品であったことを塗り替えるために作られるのではともいわれた。だが、新作は、歴史の修正というよりは、旧作とも通底している「原点回帰」への彼らの格闘を強く映し出している。

 ’69年1月のゲット・バック・セッションでは、次回作『アビー・ロード』に収録される曲の制作も始めていた。セッションは、同年夏に再結集して本格的に取り組んだ事実上のラスト・スタジオ・アルバム『アビー・ロード』制作につながっていくという、これまでわかりにくかった時系列が整理されて、正しい位置づけがなされたのだと思う。

 そして、そこには創作活動に没頭する4人のアーティストの笑い、喜び、楽しみが、はるかに多くの時間、映し出されていることには喜びを禁じ得ない。特にジョンの顔つき、動きに快活さが度々見られることがうれしい。時にいら立ちを見せるものの、創作活動に積極的に、かつ真剣に取り組むジョージの姿も素晴らしい。そして4人のユーモア・センス!

文・桑原亘之介