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【洋楽を抱きしめて】待ちに待ったジョン・レノンのカムバックだったが・・・

『ダブル・ファンタジー/ジョン・レノン&オノ・ヨーコ』 (EMIミュージック・ジャパン)
『ダブル・ファンタジー/ジョン・レノン&オノ・ヨーコ』
(EMIミュージック・ジャパン)

 1980年夏、ジョン・レノンが妻オノ・ヨーコとともに5年間の沈黙を破り、ミュージック・シーンにカムバックするとのニュースが流れた。’75年に二人の間に息子ショーンが誕生すると、ジョンは「主夫」になって、パンを焼いたり、子どもの面倒を見たりしていた。

 ’77~’78年ごろ、ビートルズそしてその4人のファンになった私は、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの作品を聴くとともに、ジョンのそれまでのアルバムを繰り返し聞いていた。それもあって、ジョン復帰の知らせに歓喜した。

 その年の10月23日、ニュー・シングル「(ジャスト・ライク)スターティング・オーバー」が米国でリリースされた。米ビルボード誌のヒット・チャートには11月1日付で38位に初登場した。レノン夫妻の新作アルバム『ダブル・ファンタジー』が11月17日、同国で発売されると、新曲はヒット・チャートを順調に上昇していった。

 私は11月24日、学校の友達が前日に東京の保谷市(当時)のひばりが丘にある西友の輸入盤コーナーに『ダブル・ファンタジー』があったというのを聞いて、早速学校帰りに入手した。日本発売は12月5日の予定だったが、待てなかった。

 繰り返しアルバムを聴いては、ついていた英語の歌詞カードを一生懸命に訳した。とりわけ印象的だったのは「ウォッチング・ザ・ホイールズ」の歌詞だった。楽曲ではヨーコの「喘ぎ声」がフューチャーされた「キス・キス・キス」に参ってしまった。

 ところが12月8日(日本時間9日)、レコーディング・スタジオから出たジョンとヨーコは遅い夕食をとる前に「ショーンの寝顔を見るため」に自宅のあるダコタ・ハウスに戻ったが、そこでジョンを凶弾が襲った。4発の銃弾を至近距離から受け、ほぼ即死状態だった。

 12月9日、昼頃から「ジョンが撃たれた」というニュースが日本のメディアでも流れ始めていたという。高校にいた私には知る由もなかった。学校からの帰路、本屋に寄って、篠山紀信氏が撮影したジョンとヨーコの写真が表紙の写真月刊誌「写楽」を買った。

 家に着いてしばらくすると、同じくビートルズ・ファンの友人Kから電話があった。夕方の4時過ぎだったと思う。Kはいきなり「ジョンが死んだって」と言った。私はいつも冗談ばかり飛ばしているKのことだから、私を悪いジョークで担ぐつもりかと思って「またまた」と答えた。するとKは真面目な声で「本当だよ」と答えた。

 私はテレビのチャンネルを回したが、どこもジョンの死を伝えるニュースをやっていなかった。思いつきでFEN(米軍放送)の810キロヘルツにラジオを合わせた。すると流れてきたのがジョンの「アウト・ザ・ブルー」という曲だった。まずラジオでかからないその曲を耳にして、私は初めてジョンの死を悟ったのだった。

 ジョンの死後、それまでトップテン入りはしていたもののやや伸び悩んでいた「スターティング・オーバー」が米チャートを急上昇。12月27日には、ジョンのソロ2作目となる全米首位の座を獲得した。そして5週間その座を守ったのである。

文・桑原亘之介