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【洋楽を抱きしめて】自らのことを歌ったのか? ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」

『バック・トゥ・フロント/ギルバート・オサリバン』 (ビクターエンタテインメント)
『バック・トゥ・フロント/ギルバート・オサリバン』
(ビクターエンタテインメント)

 自殺願望があり、だがそれに気付かれずに教会に取り残され、希望が現実にぶつかり、神に捨てられたと嘆き、両親の死を悲しみとともに振り返る、ごく自然にひとりぼっちになってしまった―—と歌われるギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」。

 オサリバンが自らのことを歌ったのではないかと多くの人から思われてきた。だが彼は否定する。彼がまだ11歳の時に父が亡くなったのは事実だが、嘆き悲しむほど父を身近に感じたことはなかったという。その時点で彼の愛する母は健在だった。

 オサリバンは1946年、アイルランドで生まれた。13歳の時にイギリスに移住した。そして彼は美術大学に進む。2つのバンドに所属し、その頃から作曲を開始した。そしてグラフィック・デザイナーと音楽の二者択一を迫られることになった。

 オサリバンの運命が開けたのはベテラン・マネージャー、ゴードン・ミルズとの出会いである。トム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクを育てた経歴を持つミルズに、オサリバンは自分のデモ・テープと写真を送ったのである。

 トミー・スコットをトム・ジョーンズに、アーノルド・ジョージ・ドージーをエンゲルベルト・フンパーディンクの芸名にしたのはミルズだったが、オサリバンも本名のレイモンド・エドワーズ・オサリバンを変えさせられた。

 その頃、オサリバンはロンドンで郵便局員の仕事をしていた。曲を書けるのは仕事を終えた夜しかなかった。だが、ミルズがオサリバンとマネージメント契約することになると、仕事を辞めさせ、彼のバンガローに移るように言って、そこで毎日、自由に曲を書けるようにしてくれたという(音楽専門ウェブサイト「ソングファクツ」)。

 そうして生まれることになった歌の一つが「アローン・アゲイン」だった。オサリバン22歳の時の作品である。彼は言う「とにかく曲が書けたことがうれしかった。だけど、ほかの歌に比べて何か特別だという感じはなかった」。

 ’71年、オサリバンはアルバム『ヒムセルフ』でデビューを飾る。そのアルバムに先駆けてリリースされた「ナッシング・ライムド」が’70年の暮れから翌年にかけてヒットし、英国のチャートで8位まで上昇した。だが米国では反応が薄かった。

 そこで米国進出の試金石として発表されたのが「アローン・アゲイン」(アルバム『バック・トゥ・フロント』収録)だ。英国では’72年春に最高位2位となったが、その2カ月後の6月には米ビルボード誌のホット100に登場。7月29日には首位を獲得、計6週間ナンバーワンの座を守った。

 陰影のある歌詞、哀愁を帯びたメロディー。ギターの弦をナイロン弦に張り替えて、売れっ子セッション・ミュージシャンのジム・サリバンが演奏した間奏の素晴らしさ。

 「『アローン・アゲイン』を自分にとってとても意味のある歌だと思っている人たちがいるので、私はカラオケや広告には使わせない」とオサリバンは語っていた。

文・桑原亘之介