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【スピリチュアル・ビートルズ】11年ぶりのジュリアンのアルバム『Jude』 世の中の平和と心の平穏を希求し続ける姿勢そのままに

『Jude/Julian Lennon』(輸入盤)
『Jude/Julian Lennon』(輸入盤)

 ビートルズの1968年の名曲にして最大のヒット曲でもある「ヘイ・ジュード」。ポール・マッカートニーが、当時ジョン・レノンとシンシアの離別により苦悩していた、彼らの息子ジュリアンを励ますために書いた楽曲だが、そのジュリアンが11年ぶりにリリースしたアルバムのタイトルはそのものずばりの『Jude(ジュード)』。

 ジュリアンは「ヘイ・ジュード」には「愛憎半ばする感情」を抱いてきたという。「ポールがあの曲を書いて、これから起こりそうな出来事に希望を持たせてくれたことには感謝している。でも一方では、あの時に実際に起こった離婚のことを暗く思い起こさせるものだった」とジュリアンはシリウスXMのラジオ番組で語った。

 「スマッシング・インタビューズ・マガジン」(2022年6月21日付ウェブ版)によると、「アルバム・タイトルをJudeとしたのはまさに一人前の大人になったということだよ・・・父が母とぼくのもとを去って行って、それ以来父と会うことはまずかなわなかった。本当に、本当につらい時期だった。母が教えてくれたのだけれど、ぼくは狂ったように泣いたり叫んだりして『パパはどこに行ったの?』と言っていたのだという」。

 だが、自らアルバムをJudeと名付けたということは「全てを理解できたということなのだ。それを甘受し、自分自身と折り合いをつけたということなのだ」とジュリアンは語った。アルバム・ジャケットは’74年に撮影されたというジュリアンの写真が使われている。

 アルバムの内容は、父であるジョンが生涯訴えた世の中の平和を希求する声に満ちている。今年春にニュー・アルバムのリリースが公にされたが、2月下旬のロシアによるウクライナ侵攻によって始まった新たな戦争の影響も色濃く出ている。

 「私たちは平和を祈る。ぜひともそうしなければならない」と歌われる「ブレス」。「ウィズ・エブリィ・リトル・モーメント」では「瞬間ごと、雨粒が降る度、太陽の光が射す度、わからないのかい、戦争が終わったということが」、「勇気、小さくとも勇気を持とう」という歌詞も登場する。同曲のオフィシャル・ビデオは、花を持った兵士や花を地上にまく戦闘機が登場するなど極めてメッセージ色の強い内容となっている。

 世の中の平和とともに、ジュリアンが希求し続けているのが内なる平和すなわち心の平穏である。ジュリアンは両親の離婚のみならず、近年も他のビートルズ・ファミリーとの微妙な関係などに悩まされてきたことが背景にあり、2011年に発表された前作『エブリシング・チェンジズ』にはそれが強く反映されていた。

 ニュー・アルバムでも「ラッキー・ワンズ」や「セイブ・ミー」、「フリーダム」といった楽曲にはジュリアンのそうした気持ちが映し出されているように思える。

 新作のサウンドは、ストリングによるアレンジが多く施され、ピアノも多用されていることもあり、アルバム全体が内省的で穏やかなトーンに包まれている。声高に叫ぶことはないが、静けさに込められたメッセージが聞くものの心に響いてくる。

 アルバムの作品群は「鏡の中を覗いているような感じだけれど、深く、意味があり、そして感動的で、多くの問題について論じているものだ」とジュリアン自身が「AARP」(会員制の団体「アメリカ退職者協会」)の2022年9月6日付ウェブサイトで語った。

 『Jude』は9月9日に海外で発売された。日本発売は未定。
 アルバム発売は11年ぶりとなったが、その間にジュリアンは何をしていたのだろう。写真家としての活動、ドキュメンタリーの撮影、自ら設立した「ホワイト・フェザー・ファウンデーション」を通じた環境保護、人道支援などの慈善活動、子どもたちに環境問題に関心を持ってもらおうという狙いの絵本シリーズの刊行など忙しくしていたという。

 ジュリアンが自分の過去と折り合いがつけられたとする一つには、法的な改名に踏み切ったことが挙げられよう。2020年、ジュリアンは正式に「ジョン・チャールズ・ジュリアン・レノン」から「ジュリアン・チャールズ・ジョン・レノン」に改名した。

 ジュリアンというのはミドル・ネームだったのだ。だから空港で飛行機に搭乗する際に名前が呼ばれるが、いつも「ジョン・レノン」と呼ばれることになってしまい、騒ぎになっていた、とジュリアン。「ジョンとジュリアンを入れ替えただけなのだけど。それだけなのだが、ぼくにとっては全く別の世界なのだよ、本当にね」。

 もう一つ、ジュリアンが「脱皮」したといえるのは、父ジョンの’71年の名作「イマジン」を初めて公の場で演奏したことだ。ウクライナへの人道支援を呼びかけるSNS運動の「Stand up for Ukraine」に参加し、エクストリームのヌーノ・ベッテンコートのアコースティック・ギターによる伴奏により、キャンドルに囲まれた部屋で「イマジン」を歌った。

 「ぼくはいままで「イマジン」を歌うのは世界の終りの時だけだと言ってきました」とジュリアン。「しかし、ウクライナでの戦争は想像もできないような悲劇でした。人間として、アーティストとして私にできる最大限の方法で応じなければいけないと思ったのです」。

 「彼(父)の歌詞は、世界の平和を願うぼくたちの気持ちを反映しているものだ。この曲の中で、ぼくたちは愛と連帯感が現実となる空間へと、ほんの一瞬であれ連れていってくれるのです・この曲は、ぼくたちみなが願っているトンネルの先の光を映し出している」。

文・桑原亘之介