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【スピリチュアル・ビートルズ】相思相愛だった!?ビートルズと英エリザベス女王 階級を超えた理解を生んだ音楽とユーモアの力

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 ビートルズと英エリザベス女王は相思相愛の仲だった!?

 1997年11月、エリザベス女王は自身の金婚式の祝賀式典で次のように述べた「この50年は世界にとって実に驚くべき50年でしたが・・・もしもビートルズを聞くことがなかったら、私たちはどんなにつまらなかったことでしょう」。

 また、フランスのオランド前大統領は、2014年6月に第二次大戦時の連合国によるノルマンディー上陸70周年を記念してエリザベス女王が国賓として訪仏した際のエピソードを明らかにした(2022年9月10日付ロイター通信)。

 女王を歓迎する夕食会で、近衛兵がクラシック音楽を演奏していた時に、オランドが女王にどんな音楽が好きなのか、と訊ねると、「ビートルズは演奏できないの?」という返事が返ってきた。そこで急遽、ビートルズ・ナンバーが数曲演奏されたという。

 2022年9月8日、エリザベス女王が死去した。96才だった。1952年に父ジョージ6世の後を継いで即位し、在位期間は70年を超えていた。

 女王の死去を受けて、ビートルズ・ファミリーの多くからも弔意が表明された。もちろん、存命であるポール・マッカートニー、リンゴ・スターからもである。

 ビートルズのメンバーの中で一番多く女王と接する機会があったポールは長文の追悼文を発表した。「エリザベス二世の在位期間中、ずっと生きていられたことを光栄に思っています・・・振り返ってみると、私は女王陛下に8、9回お会いし、その度にユーモアのセンスと偉大な威厳を兼ね備えた女王陛下に感銘を受けました」

 ポールは振り返った―—ビートルズが1965年10月に「外貨獲得に多大な貢献をした」として大英帝国勲章MBEをエリザベス女王から授与された時のこと、’82年にロイヤル・アルバート・ホールでの「An Evening for Conversation」というイベントの席で会ったこと、’96年に女王が、ポールとジョージ・ハリスンが通った学校の跡地に建てられたリバプール舞台芸術研究所(LIPA)の開設式に出席してくれた時のこと。

 さらには、’97年にポールがナイト爵位を授与された時のこと、2002年に在位50周年を記念して女王の前で演奏をしたこと、2012年の在位60周年の際に御前コンサートを開いたことなどの思い出を、ポールは追悼文につづった。

 ポールが女王と最後に会ったのは2018年。ポールはコンパニオン・オブ・オナー勲章を授与された時、「私は女王の手を握って身を乗り出して『こんな風に会うのはやめましょうね』と言うと、彼女は少し笑って式典に取りかかられました」という。

 英王室から2018年にナイト爵位を授与されたリンゴは「エリザベス女王に神のご加護と愛を、すべての家族に平和と愛を」とインスタグラムに記した。リンゴには2003年のアルバム『リンゴ・ラマ』収録の「エリザベス・レインズ(Elizabeth Reigns)」という作品がある。「エリザベスは君臨する」というタイトルの複雑な内容の歌だ。

 2001年に死去したジョージの妻オリビア、前妻のパティもSNS上で哀悼の意を表した。

 ジョン・レノンは王室という権威に対し「反骨心」を表した。それは1963年11月4日の王室主催の「ロイヤル・バラエティー・ショー」でビートルズがパフォーマンスをした際に「みなさんにご協力をお願いしたい。安い席の方は手拍子を。そのほかの方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と当時としてはきわどいジョークを飛ばしたのだ。だが会場は爆笑に包まれ、ジョンは「ありがとう」と述べて次の演奏に進んだ。

 そのジョンは、’65年に授与されたMBE勲章を女王宛に返却した。わずか4年後の’69年のこと。ナイジェリアとビアフラの紛争に英国が介入したこと、ベトナム戦争で米国を支持したことに抗議し、さらにジョンのシングル「コールド・ターキー」がヒットチャートを下落したことに抗議して、とその理由を記したメッセージを同封した。

 今回のエリザベス女王の死去にあたっては、’80年に非業の死を遂げたジョンの妻オノ・ヨーコと彼らの息子であるショーンがメッセージを出した。「女王陛下の70年にわたる在位期間は、誠実さ、尊厳、優雅さ、思いやりを持って奉仕された力強い女性でした」

 ショーンはさらに自らのTwitterで「彼女がいたことでこの惑星はより良い場所になったと私は心から信じています。王族であることが、他の誰よりも優れているというわけでもなく、劣っているわけでもないのです」とつぶやいた。
 ジョンと最初の妻シンシアの間の息子ジュリアンも哀悼の意を表明した。

 MBE勲章を若者に人気のあるビートルズに授与することでの「人気取り」ではないかとの疑問をビートルズのメンバーは感じていたようではある。上流社会の出身ではない4人は、勲章を素直に喜ぶ気持ちとともに、身についている上流階級への反発心といったものがないまぜになっていたようだ。特にジョンとジョージはである。

 ポールとリンゴはともに80代。年をとると保守的になるとよくいわれるが、それと同時に彼らも決して裕福とはいえないリバプール時代からはるか遠くに来て、いまや億万長者、上流階級の一員となった。そのことが彼らの王室観に影響を与えたかもしれない。

 さて、エリザベス女王を歌った音楽作品はいくつかある。だが、一番有名なのはおそらくビートルズの実質的ラスト・アルバム『アビーロード』(1969)の最後の最後に登場する、わずか26秒の「ハー・マジェスティ」だろう。「女王陛下はとてもかわいい娘/いつかきっとものにしてやる/そうさ、いつかきっとものにしてみせる」。

 作ったポールは語った「多少、不遜なトーンを帯びながらも、基本的には君主制主義の歌だっていうのがおかしいよね。でも、かなりの皮肉だよ、ほとんど女王に捧げるラブ・ソングなんだから」(「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」ロッキング・オン)。

 ポールは2002年のエリザベス女王在位50周年を記念して御前演奏をした際に「ハー・マジェスティ」を披露した。「だってこの曲はやらないわけにはいかないだろう」

文・桑原亘之介