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【インタビュー】映画『AI崩壊』入江悠監督「『SR サイタマノラッパー』から10年。この映画は僕にとっての記念碑です」

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 1月31日(金)から全国公開された『AI崩壊』は、2030年の日本を舞台に、社会に不可欠な存在となった人工知能=AIの暴走が引き起こす危機を描いたサスペンス超大作だ。監督は、2009年に口コミで話題を集めた『SR サイタマノラッパー』を足掛かりに、話題作や注目作を次々と送り出し、日本映画界に確かな足跡を残してきた入江悠。『サイタマノラッパー』から10年、ついにオリジナル脚本で自らの夢を実現させた本作に込めた思いを聞いた。

入江悠監督

-まず、AIが題材に決まった経緯をお聞かせください。

 『ターミネーター』(84)や『2001年宇宙の旅』(68)のように、最先端技術を扱った映画が昔から好きだったんです。ただ、そういう作品はメチャクチャお金がかかるので、普通はまず撮れません。僕も映画界に入ったとき、最初にそういう壁に突き当たりました。でも今回は、『22年目の告白-私が殺人犯です-』(17)がヒットしたことで、プロデューサーと次回作の話をする機会があり、「近未来の話で、パニックものがやりたい」と言ってみたんです。そうしたら、「AIでどうか」という話になって。それは、僕にとっても願ったりかなったりでした。ようやく好きなジャンルの映画を撮るチャンスが回ってきたと思いました。

-入江監督はこれまで『SR サイタマノラッパー』や『ビジランテ』(17)、『ギャングース』(18)など、地方都市を舞台に社会の矛盾や問題を描いてきました。その一方で、『ジョーカー・ゲーム』(14)、『22年目の告白』といったエンターテインメント大作も手掛けています。本作は、その両方が一つになった作品で、入江監督のキャリアの集大成だと感じましたが…。

 そう言っていただけるとうれしいです。編集が終わったとき、自分でもそんなことを思いました。子どもの頃、「映画って面白い」と思っていた題材と、自分が監督として培ってきたもの。その二つの要素が一つになった、自分にとっての集大成だなと思います。『SR サイタマノラッパー』から10年で、ここまで来ることができた。そういう意味で、この映画は僕にとって記念碑的な存在です。

-その上で、労働者や生活者という個人の低い目線で社会を描いてきた『ビジランテ』や『ギャングース』とは違って、今回は俯瞰(ふかん)的により大きな視点から社会を見つめている点が、今までの入江作品にはない新しさだと感じました。その点で難しさはありましたか。

 難しさはありました。主人公の桐生は、天才科学者でAIの開発者なので、僕よりもずっと知性の高い人間です。今まで僕が描いてきたのは、自分と同じぐらいの等身大の人間だったので、今回は背伸びすることになり、まず僕自身が勉強する必要がありました。そこで、専門家の先生たちが集まる人工知能学会に入って、AIについて一から勉強しました。

-そういう主人公にしようと思った理由は?

 日本映画には、作り手と同じぐらいの等身大のキャラクターが活躍するものが多いと思うんです。でも、そろそろそこから脱却しないと、自分の監督としての道が狭まっていくんじゃないかと。例えば、僕は子どもの頃から近視だったので、宇宙飛行士の夢は早いうちに諦めました。でも、映画であれば宇宙の夢を描くこともできる。ただそのためには、自分から少し遠い憧れの存在を描けなければいけない。主人公をAI開発者にしたのは、そんなことも理由の一つです。

-そういう意味では、完全にフィクションの存在だった『ジョーカー・ゲーム』や『22年目の告白』とは、主人公に対する向き合い方も違ったのでしょうか。

 違いました。今回の主人公の桐生は、今までの自分の作品の中で最も中立的です。『SR サイタマノラッパー』のように自分を重ね過ぎてはいませんし、『22年目の告白』のように突き放してもいません。とはいえ、桐生が血の通った人間になったのは、演じる大沢たかおさんの力が大きかったです。

-大沢さんと一緒に脚本を直していったそうですが、具体的にはどんなふうに?

 僕が脚本を書いているとき、パニックに巻き込まれた桐生が逃げるような場面になると、思わず筆が走って、超人的な動きを書いてしまうことがあったんです。それは、子どもの頃に好きだったハリウッド映画などの影響もあると思います。でも、それに対して大沢さんは「桐生は研究者としては一流だけど、身体能力はそんなに高くないですよね」と指摘してくれて、「落ちたら死ぬ高さから飛び降りたりするのはやめましょう」みたいなことですね。

-なるほど。

 他にも、全てを捨てて海外に行った桐生が、久しぶりに日本に帰ってきたときの感慨や悲しみなど、脚本で想定し切れなかった部分を、大沢さんが芝居で表現してくれました。僕が外側から埋めていった脚本を、大沢さんが内側のキャラクターから深めてくれた印象です。そういう意味では、僕にとって特別な体験でしたし、おかげでキャラクターのリアリティーも今までより増したと思っています。