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【コラム】中国の黒竜江省北極村で囲碁の歴史を体感

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始皇帝以前に誕生していた囲碁

 囲碁の歴史は大変に古く、中国を始皇帝が治める前の先秦時代(紀元前221年以前)には庶民がゲームとして楽しんでいたようですが、いつ、どこで、どのようにして出来上がったのかは、いまだに分かっていません。

 春秋時代(前770~前5世紀)に活躍した孔子や孟子が囲碁について書き記しています。また、漢時代(前206~220年)に使われたと思われる石製の碁盤が出土しました。魏晋南北朝時代(184~589年)に碁は専業化され、全国的な囲碁大会が開かれるなど、囲碁の黄金期を迎えたようです。

 その後、中国における囲碁は「琴棋書画(きんきしょが)」と呼ばれ身分の高い人々の中ではとりわけ大事な教養の一つとされました。清時代(1616〜1912年)には民間でも囲碁が盛んになりましたが、国民の暮らしが苦しくなると、高尚な芸術とされながらも、棋士の生活が苦しくなり、軽く見られるようになりました。

 日本に囲碁がいつごろ伝わってきたのか、こちらもはっきりしませんが、大宝律令(701年)の中で「碁」について記されているので、それ以前であることは確かです。

なぜ日本の囲碁が勝てなくなったのか

 それから長年、中国と日本の囲碁界は多々の歴史の波をくぐり抜け、1960年から正式な囲碁交流戦を開催します。

 72年の日中国交正常化の前から囲碁交流は始まっていたのです。

 その後、中国の囲碁界は“日本を追い越せ”を合言葉に、国家プロジェクトとして早期教育を取り入れました。84年の日中スーパー戦で11連勝の大記録を作った聶衛平(ジョウ・エイヘイ)九段が登場すると、日本囲碁界は衝撃に包まれました。その影響で、中国の囲碁人口が急速に増えます。

 そして次から次に出てくる優秀な青少年が頭角を現し、日本囲碁界は勝てなくなります。

 それを見た韓国も若手棋士養成に力を入れ、今や囲碁の実力、人口は中国、韓国、日本の順になりました。

 日本勢の敗因はなんだったのでしょう。競争国が棋士の養成に力を入れたのとは対照的に、日本は高度成長期の中で国全体が伝統文化を軽視し、西欧文化の取り入れに夢中だったことではないでしょうか。

 日本の囲碁人口は70年代には1200万人と言われましたが、今は400万人前後。その上、中国、韓国に負け始めた時期とバブル崩壊が重なり、日本の国際戦のスポンサーが、次から次へと減りました。

 それとは反対に、中国、韓国ではプロを目指した多くの優秀な人材が、プロ棋士だけでなく、優秀な経営者になり、囲碁界を応援し、後援する存在になりました。まさに好循環と悪循環の構図です。

世界の元トップ棋士と対局

 先日、黒竜江省・北極村で中国の中信グループ主催の囲碁イベントが開催され、私も招待されました。

 イベントで女流棋士のリーグ戦と、「元老」(レジェンド)と呼ばれる世界の元トップ棋士によるペア戦(男女)が行われました。

 私は日本の武宮正樹九段とペアを組み、中国の聶衛平九段と張璇(チョウ・セン)八段と対局しました。

ペア碁の対局。手前右が聶衛平九段、手前左が張璇八段、碁盤を挟み、右が武宮正樹九段、左が筆者

 ペア戦とはいえ、聶九段のオーラがすごく、貴重な体験になりました。

 この企画は毎年テーマがあり、今年は「貧困地帯への寄付」でした。大会セレモニーで約1000万円の寄付が行われました。対局会場となった黒竜江省・北極村はハルピンから北へ2時間ほど飛び、そこから車で2時間。黒竜江(アムール川)に面した中国の一番北の地です。

黒竜江前で開催された囲碁イベントのセレモニー

 川を挟んでロシア側がすぐ近くに見えます。冬はマイナス40度にもなり、オーロラも見える場所で、今は避暑地として開発中です。

 広大な土地で、見渡す限り森林が続きます。夜中に対局者たちと外に出て見た星は、星座がはっきり分かるほどの暗さと静けさでした。

黒竜江前で全棋士がアマに指導碁

 特産といえば、美しい水、空気、ブルーベリー、キノコ類。また昔から金が取れるそうで、今でも毎年、金とブルーベリー探しで森林に入ったまま戻って来られなくなる人が出ているそうです。

黒竜江。向かい側はロシア

 広い中国の一番北の地で、かつて世界制覇をした棋士のレジェンドたちと碁盤を挟んだ緊張した数時間と、ロシアとの国境である黒竜江の流れを見た1時間は長い歴史を凝縮したようでした。

 改めて「平和」のありがたさに感謝です。

漠河市のロシア風の建物

【筆者略歴】

小林千寿(こばやし・ちず) 日本棋院六段。1954年長野県松本市出身。故木谷實九段門下。72年入段。76年と77年に棋道賞女流賞を受賞。2000年に通算300勝達成。女流タイトル6回獲得。日本棋院の前常務理事。