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【コラム】世界遺産、京都の二条城「大政奉還の間」で「御城碁」を再現

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 今年は明治維新150年に当たることから、碁の世界で最も歴史のある「本因坊」の名を継ぐ「本因坊戦七番勝負」が、明治維新・戊辰戦争にゆかりのある地で打たれました。7対局地のうち、1局目の山口県萩市、2局目の京都市、5局目の福島県会津若松市がその対局の地です。

 第2局は、5月23、24の両日、世界遺産である京都市の二条城で行われました。私は日本棋院の棋戦企画部・常務理事の立場で二条城対局に同行させていただきました。有名な「大政奉還の間」で、羽織はかま姿の井山裕太本因坊と挑戦者の山下敬吾九段の対局を、門川大作・京都市長が徳川家康に扮して、一段高い座から観戦する「御城碁(おしろご)」の再現を試みました。

「御城碁」を再現し、徳川家康に扮した門川大作京都市長(中央奧)の前で第2局に挑む井山裕太本因坊(右)と挑戦者の山下敬吾九段

 同行者として大きな広間の最前列に、主催者の毎日新聞社・丸山昌宏社長、その隣に日本棋院を代表して私も座らせていただきました。

 対局は午前9時スタートですが  観光客も9時から入場します。修学旅行などの生徒が大政奉還の間を取り巻く廊下を歩く音が、思いの外、対局場にギシギシ響いて、まれな対局開始となりました。

 対局者双方が一手ずつ打ったところで、対局地を二条城奥の茶室「香雲亭」に移しました。

 その日はあいにくの小雨で、裏方としては、二条城の広い庭を羽織はかまで移動することも心配でした。

 1日目は対局を途中で止める「封じ手」が夕方に行われ、翌朝に持ち越されました。

 そして2日目の午後1時半から、二条城の大きな台所で大盤解説会が行われました。会場の広さ、天井の高さは申し分ないのですが、明かりは即席で入れたスタンドランプだけです。通常、二条城の閉門時間は4時半ですが、解説会は碁が終了するまで続きます。

 会場には、珍しい対局場ということもあり、席が足りなくなるほど、多くの方々が訪れてくださいました。私も関係者控室から何回も解説会場に行き、「対局の進行状況」はもちろんのこと、「対局が夕方まで延びれば、いつもは居られない夜の二条城に居られますね」などという話をしました。

二条城の大きな台所で開催された大盤解説会

 夕方になると大碁盤を照らす1本のライトだけが頼りで、昔の生活をしのぶ雰囲気でした。

 対局はちょうど、夜のとばりが下り始めたころに終局し、関係者一同は、広い庭を急ぎ足で対局室の茶室「香雲亭」へ移動しました。広い庭の松の木が黒いシルエットになり、その向こうに見える対局場の茶室の明かりに趣を感じました。

 結果は井山本因坊が勝ち、1勝1敗になり、5局目の会津若松対局が打たれることが決定しました。裏話ですが、今回の「明治維新150年ゆかりの地で打つ本因坊戦七番勝負」にとって、会津若松で必ず打っていただきたいという願いがあり、関係者ははらはらして成り行きを見守っていました。

 御城碁は碁が好きだった徳川家康が当時の碁の強者に「碁所」、将棋には「将棋所」を造り、禄を与えて職業として設置したところから始まります。「碁、将棋のプロ棋士」の職業は正式に、その時から続いており、400年の歴史がある職業といえます。

 この御城碁は1626年ごろに始まり、幕末の1864年に中止になるまでの230年間ほど、継続されていました。その時の碁、将棋の代表者が御城に入って将軍の前で真剣勝負を見せるのです。その間、打たれた碁は536局、出仕した棋士は67人に上りました。有名な本因坊秀策は1849~1861年まで19連勝し、負け知らずでした。

 その御城碁も、幕末になると、それどころではなくなり、1859年の御城碁願いは幕府多忙で却下、1862年は江戸城火災の理由で御城碁は沙汰やみ、1864年に御城碁は中止に至ります。

本因坊ゆかりの寂光寺は現在、京都の仁王門にあります
寂光寺が焼失した跡地に石碑の碁盤が置かれて、そこで対局者の取材が行われました。石碑の碁盤で碁を打つ井山本因坊と挑戦者の山下敬吾九段

 1867年の大政奉還から明治維新を受けて碁、将棋のプロ棋士はパトロンを失い、路頭に迷いました。特に明治維新は日本伝統文化を軽んじ、西欧文化に傾倒していった時代ですから、それまでの日本伝統文化はつらい状況に置かれました。

 しかし、幸いにも当時、権力を持った人々の中に碁の愛好者は多く、また新聞社が名乗りを上げて、現代の棋戦ができていったのです。

 明治維新を碁の歴史から見ると、とても面白く感じます。

 それにしても、明治維新150年という節目に由緒ある「本因坊挑戦手合い」が打たれたことは意義があったと思います。

 今年の本因坊戦は、6月30日、7月1日に行われた第5局で、井山本因坊が4勝1敗で防衛し、7連覇を達成しました。

【筆者略歴】

小林千寿(こばやし・ちず) 日本棋院六段。1954年長野県松本市出身。故木谷實九段門下。72年入段。76年と77年に棋道賞女流賞を受賞。2000年に通算300勝達成。女流タイトル6回獲得。日本棋院の前常務理事。