2021年5月26日=780
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算

携帯電話を手放して早2年10カ月ほどになる。2018年7月末のことだった。
胃悪性腫瘍・ジスト(消化管間質腫瘍)手術後退院して初めての外来受診で悪性度が極めて高い結果を知らされて、近い将来の死を覚悟した。だからこそ”終活”の一環としてドコモショップに向かったのである。
まさか今日まで生きられるとは想像できなかった。正しく有り難きことだ。
▽携帯なしの長所
携帯電話がないということの長所は、なんといっても拘束感がないことである。そして50代後半でありながら己の成長が得られた。もちろん自称だけれど。つまりはこうだ。
携帯電話があれば、おおよその場所と時刻を決めておけば「着いたら連絡するよ」「いま着いたけど、どこにおるん?」で待ち合わせができる。そして安心にもつながる。万が一、定時に遅れる事態が生じた場合でも、連絡が可能だ。急きょ行けなくなったときなどはなおさらである。
しかし、これらはわれわれ人間の持つべき思考力を下げるものではないかと、オレは懸念する。あれこれ考えなくても間に合うからだ。人間においてやらなくなった機能は、その後どうなるだろうか。言うまでもなく退化する。
私の場合は、携帯電話がないので前もってあれこれ事態を想定して、それを相手に示している。例えば、
「○時○分ごろ到着する予定。だけど間に合えなかった場合、できれば30分ほど待ってもらいたい。それでも現れなかったならばキャンセルと思ってほしい。何も30分そのまま待ち続けなくていい。どこかで過ごして30分後に来てくれたらOK。たとえ私が10分後に到着できたとしても、自分はそのままそこで待ってるから」
あるいは、
「○時○分ごろ到着する予定。もしあなたが遅れることになったり来れなくなったりしても、気にしないで。1時間待っても現れなかったらもう今日は無理だと思って自分は帰るから」
などと。
しかしながら、先述の友人との会話(後者)を横で聞いたわが息子はこう言い放った。
「おやじ、それは○○さんがかえって気にするやろ。遅れたりキャンセルすることになったら、おやじに早く知らせたいはずやから。それをさせへんなんておやじはホントに迷惑やわ」
なるほど。これが迷惑なら、問題ない。常日頃から患者風を吹かせて「迷惑かけてええやん」と唱え続けている自分やから。「迷惑かけて気ぃ楽に」
▽携帯なしの短所
それでは短所は何か。これはなんといってもシャッターチャンスを逃すことだ。
その時その場で、気に入った風景や建物さらにはヒト以外の生き物などが、アッと思う瞬間に撮影できるのが携帯電話である。スマートフォンになりその性能は格段に向上していると聞く。
いまこの瞬間は、後には来ない。また後で、とはいかないのである。
そんなときオレはヨメさんを呼ぶ。そして彼女のスマホで撮影する。しかしながらヨメさんがそばにいない時はどうなる。言うまでもなく、そこでは撮影できない。誠にガッカリだ。
ただし5秒もすればもう大丈夫。次なるシャッターチャンスを求めるからである。過ぎたるを求めず、来るを求む。同じものは無くても、別の新たなものが得られる。

▽だが買わない
携帯電話を手放して2年10カ月ほど。想像以上に生きられている。だからといって、ここで新たに購入したりすることは、しない方がいい気がする。
そんなわけで、携帯電話がない生活だが、職場や友人たちがどう捉えているかは、全く分からないけれど、家族だけはこのわが行動に大分慣れてきた模様だ。今日まで生きて来られて、とってもうれしい。
(発信中、フェイスブックおよびYоuTube“足し算命520”)
おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。
このコーナーではがんと闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。
『 足し算命 』