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この文章は自分で書いたものだろうか?

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 この文章は自分で書いたものだろうか?

 いきなりそんな問いを投げたら、やばい奴だと思われそうである。シュールレアリスムのオートマティズムではあるまいし、いったいお前は何を憑依(ひょうい)させて文章を書いているのだという話である。

 実際、自分の指を自覚的に動かして書いているし、内容も自分で考えていると信じている。ただ、すべてが自分のコントロール下にあるかと言えばかなり怪しい。原因は近年すっかり精度の上がった予測変換だ。

 文字入力をしているときに、予測変換はとても便利である。単に単語の先読みにとどまらず、かなり長い連文節でも予測して提示してくれる。そんな文を書きたかったわけではないと即座にリジェクトする文もあるが、「まさにこんなことを書きたかったのだ。それを先回りして示してくれるとはなんて楽ちんなんだ」と感涙にむせぶときもある。

 でも、そのとき、その文章は本当に自分が企図していた文章だろうか?

 大意は同じでも、細かい助詞の使い方などは相当違っているはずである。でも、すべてを自分で入力する手間と比較考量し、「ま、いっか」と確定操作をするのだ。

 繰り返すが、意味は同じだ。さすがに言いたいことと違う文を提案されて、それを受容するほど怠惰にはやっていない。でも、細かい助詞の使い方はその人の文、その人らしさを規定することもある。誌面から立ち上ってくる雰囲気を形作るのだ。神は細部に宿る。

 だから、予測変換システムの提案する文章ばかり選んでいると、文章が予測変換調になる。予測変換で提案される文候補は(中にはひどいものもあるが)、各種のスクリーニングが施された結果であるから、文法的な間違いは少なく、意味も通りやすいものが多い。綺麗な文章にはなるのだが、何となく他人の匂いがする。

 学生さんが書くレポートが似ていると感じることも増えた。パクりではない。昔に比べると、パクりのレポートは減った。下手にコピペすると、剽窃(ひょうせつ)チェックソフトに容赦なく指摘されることをみんな熟知している。

 だからコピペではないのに、似ているのである。予測変換を多用しているのが大きな要因だ、と考えている。言い回しが類似するのだ。

 こうなると、誰がその文章を書いているのか、わからなくなる。提案された文章にただ変換していく作業は、従来考えられていた「執筆」とは違うと思う。だが、見方を変えれば、自分が選択をした結果が予測変換システムにフィードバックされて、「どんな文章が最も適切か」を決定するデータベースへ蓄積されていくのだから、壮大な文書作成の構造に参加しているとも考えられる。そのうち、人類があるシチュエーションについて書く文章は、みんな同じになるかもしれない。

 イメージについても、同じことを思う。

 この文章にも、導入部にイメージ画像が挿入されているはずだ。何を伝えたい文章なのか、一目で読み手の感情をセットアップする顔の役割を果たす。

 毎日大量に生産される文章に対して、撮り下ろしの写真を用意する暇はないから、写真のストックサービスを各社が活用している。さまざまな分野の写真がまんべんなく用意されているが、中にはそのサービスにとって不得手な領域もある。たとえば、「楽しい」というシチュエーションにはまる写真を探すと特定の人種の写真しか見つからないようなケースである。

 すると、楽しさを喚起したい文章には、必ずその人種のモデルの写真が使われるようになるかもしれない。一つ一つの文章の影響力はわずかでも、膨大な文章が積み重なるとメッセージを発することもある。この場合懸念されるのは、ある人種に生まれた人は楽しい人生を送っているけれど、それ以外の人種の人は楽しくなさそうだぞ、といった印象を形成することだ。

 杞憂(きゆう)かもしれないし、印象の問題なので大した影響はないかもしれない。でも、データが蓄積され、活用され、フィードバックされるとき、不可避的にこの問題は立ち現れる。

 「遺伝子に与える影響についてシミュレーションを繰り返し、一定水準の安全性を確認しました」と言われたとき、その遺伝子セットは自分が属する人種のものではないかもしれないのだ。

 世の中に蓄積されるデータに、自分の行動が規定されているのではないか? データが語る事実は、本当に自分にも当てはまるのか? といった問いは常に繰り返す必要がある。まずは「自分の書いた文章が、本当に自分のものなのか」、あたりから考え始めている。

【著者略歴】

 岡嶋 裕史(おかじま ゆうし) 中央大学国際情報学部教授/学部長補佐。富士総合研究所、関東学院大学情報科学センター所長を経て現職。著書多数。近著に「思考からの逃走」(日本経済新聞出版)、「インターネットというリアル」(ミネルヴァ書房)、「メタバースとは何か」(光文社新書)など。