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【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】専属秘書がつぶやいた

【がんを生きる緩和ケア医・大橋洋平「足し算命」】専属秘書がつぶやいた 画像1

2022年8月28日=1239
*がんの転移を知った2019年4月8日から起算


稲刈りが終わった田んぼに飛来するサギかな =8月28日、わが地元・三重県木曽岬町
稲刈りが終わった田んぼに飛来するサギかな =8月28日、わが地元・三重県木曽岬町

▽わたしの理想

「あれが、わたしの理想なん」

先日、わが「専属秘書」(編注:妻のあかねさん)がボソッとつぶやいた一言である。がん治療のために私が受けている腫瘍内科の診察を終えたあと会計を待つ間に、病院の受付あたりのイスに腰かけていたときのことだ。

年の頃は70代か80代かな、夫婦と見える男女がぼちぼち歩いてくる。どうやら女性の方が病持ちのようで、われわれのふたつ前列のイスにまず彼女が腰かけた。その際、男性が声を掛ける。

「ここに座っとり」

柔らかくあったかい彼の声。声だけやない。そっと手も添えられている。そのしぐさが丁寧極まりない。優しい、とにもかくにも優しい。ほほ笑ましい光景だった。思わず涙も出てきそうな。ここで先の言葉である。

「あれが、わたしの理想なん」

確かにこの理想はかなわなかった。なぜならばオレの方が患者になってしまったから。大いなる病、がんに。

▽声の主は…

発病してもう4年になる。大量下血という突然の消化管出血で幕が開いた。胃の悪性腫瘍・ジスト(消化管間質腫瘍)だった。何とか手術はできたものの悪性度が極めて高く抗がん剤による治療開始。しかし9カ月後に肝臓へ転移。いまは別の抗がん剤を続けている。肝臓の方は何とか持ちこたえてくれているけれど、最近は他の部位に転移の影がちらつき始めた。影である故に確定ではない。しかし100%転移じゃないとも言い切れない。ジストとは違う悪性腫瘍だって発生し得る。

2人に1人がその一生でがんになると言われる時代だ。ところがすでにがんになった者が、それで終わりとは限らない。医者の端くれでもある私は、重複がんと呼ばれる二つも三つもがんを抱える人にも出会ってきた。ひとつのがんで許してもらえたら、どんなにうれしいことか。

悲しいかな現時点ではその影はシロともクロとも判断できない。従って経過を見守ることになる。気にしだしたら切りがない。こんなオレを支えてくれているのだから、彼女だって気がかり満載なことは容易に想像できる。

その上で、「ここに座っとり」と声をかけてくれる。声の主は彼女だ。彼女の理想像が入れ替わっている。私にはもう返す言葉が見つからない。

「ホントにありがとぉな」

ただただ、そう思う。いつも診察に同席してくれて、検査の際には待合室で時を過ごしてくれる。一通りの診療が終われば、それから会計と薬の受取り。すべて彼女がやってくれている。その間オレは人気の少ない椅子に腰かけて、ぼんやりのんびりとあたりを眺めている日常だ。な~んもしてへん。30分でも、1時間でも、いやいやそれ以上でも。本当にありがたい。

▽生まれ変わったら

ツガイだろうか=8月28日、わが地元・三重県木曽岬町
ツガイだろうか=8月28日、わが地元・三重県木曽岬町

こんなオレやから、おまえの理想はもう叶えられない。なので今度生まれ変わったら、その時には必ずな。でもこの話になると決まっておまえは言う。

「今度生まれ変わるとき、人間とは限らんよね。わたしはコケがええかな」

ヨメさんは無類のコケ好きである。そして人間に生まれ変われるかどうか分からへん、それもその通り。でもそんな風に言わんと、是非ぜひ人間でお願いします。お互いに。そして今度こそ、オレに言わせてくれ。

「ここに座っとり」

(発信中、フェイスブックおよびYоuTube“足し算命520”)


おおはし・ようへい 1963年、三重県生まれ。三重大学医学部卒。JA愛知厚生連 海南病院(愛知県弥富市)緩和ケア病棟の非常勤医師。稀少がん・ジストとの闘病を語る投稿が、2018年12月に朝日新聞の読者「声」欄に掲載され、全てのがん患者に「しぶとく生きて!」とエールを送った。これをきっかけに2019年8月『緩和ケア医が、がんになって』(双葉社)、2020年9月「がんを生きる緩和ケア医が答える 命の質問58」(双葉社)、2021年10月「緩和ケア医 がんと生きる40の言葉」(双葉社)を出版。その率直な語り口が共感を呼んでいる。


このコーナーではがん闘病中の大橋先生が、日々の生活の中で思ったことを、気ままにつづっていきます。随時更新。