カルチャー

パラアスリートの鉄人は「哲人」でもあった! 弘前で共生社会の“種”まくパラ柔道ブラジル選手団

●見えないからこそ“見える景色”

 ブラジル選手団は2017年から毎年、弘前市で強化合宿をしている。ブラジル選手団と同市を結び付けたのは、ブラジルに渡り柔道を広めた同市出身の故・前田光世氏(通称コンデ・コマ、1878~1941年)だ。

 およそ80年前に亡くなった故人だが、キューピッド役になった。前田氏はブラジル選手団には今もはっきり“見える存在”として生きている。

 弘前市はこの貴重な「縁」を、障がい者スポーツの推進と誰もが自分らしく生きられる共生社会の実現を目指す施策の中で、大切に育て、広げていく考えだ。

 合同稽古終了後間もない午後7時から、ブラジル選手団を迎える弘前市主催の歓迎レセプションが岩木山の眺望を誇るホテル12階で開かれた。弘前市の鎌田雅人副市長や駐日ブラジル大使館教育協力部のナポリタノ・レアンドロさんらが参加し、4度目となる選手団の“来弘”を祝した。

 窓越しに見える岩木山は、今朝の爽やかな相貌と異なり、夕日に映える鮮やかな黄金色の中でその端正な姿を浮き上がらせている。その美しさに反応する感性の持ち主、ナポリタノさんは列席者に声を掛け、しばし観賞の時間を作った。

黄金色の中に浮かび上がる岩木山の端正な姿
黄金色の中に浮かび上がる岩木山の端正な姿

 主催者を代表してあいさつした鎌田副市長は「市はみなさんの活動を全力でサポートする。しっかりした成績を残せるよう頑張ってください」と激励する。取材に対しては「ブラジル選手団の活躍が、障がい者福祉や共生社会に向けた本市の取り組みを推進する上で大きな刺激になる。今後は選手団と市民が交流する機会をさらに増やし、誰もが暮らしやすい共生社会に近づいていきたい」と話した。

 来賓を代表してあいさつしたナポリタノさんは、共生社会を目指す今日の世界にあって、弘前市は先頭に立ってひときわ大きな役割をすでに果たしていると強調し、概略次のように話した。

マイクの前で熱弁をふるう駐日ブラジル大使館教育協力部のナポリタノ・レアンドロさん。右は話を聞く弘前市の鎌田雅人副市長
マイクの前で熱弁をふるう駐日ブラジル大使館教育協力部のナポリタノ・レアンドロさん。右は話を聞く弘前市の鎌田雅人副市長

 「ブラジル選手団を歓迎してくださる弘前市は、障がい者など社会的弱者を排除しない包摂的な共生社会に向けて大きな歴史的一歩を踏み出してくださいました。われわれは今日、いかなる分断も差別も許さないと決意した世界に生きている。選手団を受け入れてくれた弘前市民は、来年の東京パラリンピックで示されるパラスポーツの真髄、包括的な共生社会への希求をすでに身をもって実践してくださっています」

 一つの丸テーブルを囲んで座る9人の選手は、ポルトガル語で熱弁をふるうナポリタノさんのあいさつに深くうなずき、拍手する。

ナポリタノさんのあいさつを聞き拍手するチエゴ・マルケス選手(20、手前右)とジュリア・ドスサントス・フェレイラ選手(19、同左)ら
ナポリタノさんのあいさつを聞き拍手するチエゴ・マルケス選手(20、手前右)とジュリア・ドスサントス・フェレイラ選手(19、同左)ら

 歓迎レセプションが一段落したところで、アラナ選手とアントニオ選手に話を聞く。

 アラナ選手は、柔道関係者だった祖父の影響で4歳から柔道を始める。「柔道は私の全て。柔道は心の平安を人生にもたらしてくれた」と感謝する。障がい者と健常者が共にお互いを尊重して生きる、共生社会を築く上で必要なことを聞くと「各人の心の平安とお互い協力する気持ち。そしてやはり教育。全ての人が平等に教育を受けることができるようになれば、障がい者を排除しない共生社会が実現すると思う」と断言する。日ごろから社会の在り方をしっかり考えている、芯の強さを感じる。

「柔道は私の全て。柔道のない世界なんて考えられない」と話すアラナ選手
「柔道は私の全て。柔道のない世界なんて考えられない」と話すアラナ選手

 アントニオ選手は7歳から柔道を始め、柔道歴は40年を超える。

 「子どものころは荒れていた。いい子ではなかった。柔道に出会ったので、間違った道に進まないで済んだ。柔道は私を現実に引き戻してくれ、社会で生きるための機会を取り戻してくれた」

 一言一言、言葉を選びながら誠実に答えてくれる。昔見たブラジルの少年ギャングの世界を描いた衝撃的な映画『シティ・オブ・ゴッド』がふと頭をかすめる。
 障がい者差別のない共生社会の今後の実現の見通しを聞くとこんな言葉が返ってきた。

 「この世に人間がいる限り、そんなに簡単に差別はなくならない。それでも一人一人の個人が差別を認めず、平等に人に接するよう努め、われわれ障がい者の側も、それぞれの可能性の中でできることをやってみせ、われわれだってできるということを周囲に見せるよう努めていくべきだ。差別をなくすために、お互い努力していかなければならない」

 懐深い重厚なスタイルの柔道同様、言葉は重く、深い。空疎な楽観主義でもないし、世をはかなむ悲観主義でもない。アラナ選手同様、心の平安を保ち日々奮迅するハートの強さを感じる。

 アントニオ・テノーリョ・シルバ選手の肉体は1つだが、社会は彼を「2人」の人間として扱う。偉大な柔道家の“テノーリョ氏”と、一般市民としての“アントニオ氏”だ。
 彼は、冷静な「第三者の目」で、自身を取り巻く社会の“景色”を語る。

鉄人アントニオ選手は、目が見えないからこそ「見える景色」を語る“哲人”でもある
鉄人アントニオ選手は、目が見えないからこそ「見える景色」を語る“哲人”でもある

 「テノーリョ氏は柔道家として尊敬されるが、アントニオ氏は偏見や差別に遭う。“2人”の扱いは同じではない」

 彼の柔道は世界の障がい者に向けた熱いメッセージなのだろう。「私がメダルを増やせば、『障がいがあってもやればできるんだ』と周りに伝えることができる」

 最後に彼と握手する。アントニオ・テノーリョ・シルバ氏は紛れもなく“1人”であり、偉大な柔道家としても、4人の子どもを愛する良き市民としても、同じく尊敬されるべき存在だ。そしてまた鉄人にして“哲人”でもあるのだ。

パラリンピック・ドキュメンタリー上映会のトークセッションに登壇したアントニオ選手(奥右側3人目)やアラナ選手(同右端)=7月13日、弘前市
パラリンピック・ドキュメンタリー上映会のトークセッションに登壇したアントニオ選手(奥右側3人目)やアラナ選手(同右端)=7月13日、弘前市