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稀代のアーティスト・カップルの足跡をたどる “DOUBLE FANTASY-John&Yoko”東京展始まる

会場外観。 写真:山中慎太郎(Qsyum!)
会場外観。 写真:山中慎太郎(Qsyum!)

 ジョン・レノンとヨーコ・オノ。世界中から愛されるビートルズのリーダーであったジョン。無名の前衛芸術家であったヨーコ。2人の誕生、半世紀以上前の彼らの出会いから今日までの、稀代のカップルの歩みを圧倒的な内容をもって俯瞰(ふかん)することの出来る展覧会“DOUBLE FANTASY-John&Yoko”(ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ)が日本にやって来た。

 会場はソニーミュージック六本木ミュージアムで、ジョンの生誕80周年となる2020年10月9日に幕を開け、2021年1月11日(月・祝)まで開催する。

 一番の見どころともいえるのが、いまや伝説的に語り継がれるジョンとヨーコの出会いの場、ロンドンのインディカ・ギャラリーの展示の再現だろう。1966年11月、ヨーコの展覧会の内覧を知り合いに誘われて訪れたジョンは、初めて彼女と会う。

ジョンとヨーコが出会った1966年インディカ・ギャラリーの再現(「天井の絵」)。 写真:山中慎太郎(Qsyum!)
ジョンとヨーコが出会った1966年インディカ・ギャラリーの再現(「天井の絵」)。 写真:山中慎太郎(Qsyum!)

 そこでジョンが最も魅惑されたというのが「天井の絵」という作品だった。一枚のキャンバスが天井に掛けられており、その前にはしごがあり、さらに虫眼鏡がぶら下がっていた。

 ジョンがはしごを昇り、虫眼鏡でキャンバスを見ると、そこに小さな文字で「YES」とあったのだ。ジョンは後にこう言った。「これで私は、このアーティスト(ヨーコ)に対して、決定的に肯定的な判断を下しました」。「YESとあったのが非常な救いだったのです」。

 もうひとつ、ジョンとヨーコが初めて心を通わせるきっかけともなった展示「釘を打つための絵」の再現もある。キャンバスがあって「釘を打ちなさい」という「指示」がついた作品である。ジョンは「ぼくも打っていいかな」とヨーコに聞き、彼女は「いいわ、5シリング払ってくれれば」と答えたという。これに対しジョンは「ぼくはあなたに想像の5シリングをあげて、想像の釘を打とう」と当意即妙の返事をしたという。
 ジョンとヨーコのバラッドはここから始まった。

 2人が出会う前の関連展示物としては、ヨーコのアートブック『グレープフルーツ』の初版が珍しい。ヨーコが’67年にジョンにプレゼントしたものだそうだ。’64年に出版されたこのコンセプチュアル・アートの代表作ともいえる本は、彼らの代表作『イマジン』(’71)のアイデアや歌詞に直接影響を与えたという。この本は、米歌手シンディ・ローパーが若かりし頃に家出をした際、持って出たわずかなものの中に含まれていたという逸話もある。

ヨーコがジョンにプレゼントした『グレープフルーツ』。 写真:山中慎太郎(Qsyum!)
ヨーコがジョンにプレゼントした『グレープフルーツ』。 写真:山中慎太郎(Qsyum!)

 ジョンが少年時代に手作りしたイラスト満載の本『ザ・デイリー・ハウル』もジョンの早熟な天才ぶりを示していて興味深い。ジョンは彼なりのこの「新聞」をクオリーバンクの同級生たちに見せて回り、彼らを爆笑の渦に巻き込んでいたという。

ジョンが少年時代に手作りした本『ザ・デイリー・ハウル』(写真左)。
ジョンが少年時代に手作りした本『ザ・デイリー・ハウル』(写真左)。

 ジョンとヨーコ、2人の平和活動に戻ろう。
 ’69年にアムステルダムとモントリオールで行われた平和運動「ベッド・イン」の展示も目を引く。これはベッドの中で平和を訴えることで、新聞の見出しを「平和、平和、平和」の一色にしたいという狙いがあったという。ジョンが弾いていたギブソン160-Eのアコースティック・ギターも展示されており、表面には2人の自画像が描かれている。

平和を訴えた「ベッド・イン」の展示。ジョンが弾いていたギブソンのアコースティック・ギター160-Eも。
平和を訴えた「ベッド・イン」の展示。ジョンが弾いていたギブソンのアコースティック・ギター160-Eも。

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 ’73年から’74年にかけてジョンとヨーコは別居する。いわゆる「失われた週末」である。これまで、一般的にネガティブにとらえられてきた、この「失われた週末」の描き方にも、今回は変化が見られ、フェアな見方が提示されたのではないかと感じた。

 例えば、埼玉県にあった「ジョン・レノン・ミュージアム」では「失われた週末」を、金属製の棒が何本も床から天井にかけ刺さっているという表現で、ヨーコの「つらい」、「荒れた」気持ちを提示していた。だが、今回の展覧会では、この期間にジョンは「心の壁、愛の橋」の制作にあたるなど、「創造性にあふれた時期」にもなったとの評価が加えられている。

 もともとはジョンをメイ・パンという「公認の」愛人つきで追い出したのはヨーコなのである。だが、女心は複雑だ。この期間に関わる展示品は、「失われた週末」のさなかのヨーコの誕生日、’74年2月18日にジョンからヨーコに贈られた手鏡だった。

 展覧会の一部は日本独自の仕様となっている。ジョンは入管当局らとの闘いの末に’76年に米国永住権(グリーンカード)を取得すると、日本にも毎年のように家族で訪れた。お抱えカメラマンだった西丸文也氏による軽井沢での家族ショットが目に入ってくる。そしてジョンが日本語を勉強するためにイラストつきで作った「教材」が展示されている。

1976年についに取得した、ジョンのグリーンカード。
1976年についに取得した、ジョンのグリーンカード。

 展覧会場も終盤にさしかかると、セントラルパークに作られたストロベリー・フィールズというコーナーにある「イマジン」のモザイクアートを再現した部屋がある。この部屋には、米国で銃による無差別殺人などが後を絶たないことに危機感を持ったヨーコが、銃規制の強化を訴えるためツイッターに投稿した、血まみれのジョンの眼鏡の写真が飾られている。この写真には、ジョンが ’80年12月8日に凶弾に倒れて以来今日まで、米国だけで143万6千人もの人が銃の犠牲になり死亡している、との文章が添えられている。

 ジョンを失ったことについて語っている映像が流されているが、ヨーコや彼らの息子であるショーンのコメントだけでなく、先妻シンシアと最初の息子ジュリアンの映像も見られることに、この展覧会のフェアさを覚え、ホッとする。

 最後は参加型の展示である。「イマジン・ピース」という部屋である。ここには3本の「願かけの木」(Wish Tree)があり、展覧会を訪れた人なら誰でも、短冊に平和への願い、夢、メッセージを書き、木の枝に結び付けることができる。展示が終了後、短冊のデジタル・コピーは、ジョンとヨーコによる世界平和祈願の象徴であるアイスランドの「イマジン・ピース・タワー」に永久に保存されるという。

 ジョン没後40年となるが、ジョンとヨーコのバラッドは続いているのだ。

文・桑原亘之介