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苛酷な練習の先に「かけっこ」の世界 五輪メダリスト、末続慎吾が明かす心の変遷

末続慎吾著「自由。」

 2008年北京オリンピックの陸上競技、男子400メートルリレーで銀メダル(当初は銅も、その後上位チームのドーピング発覚で繰り上がり)に輝き、今も200メートルの日本記録を持つ末続慎吾(40)。その最新の著書『自由。—世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学— 』(ダイヤモンド社、定価1,400円・税別)が出版された。苛酷な練習と試合に明け暮れたトップアスリートの時代を経て、「夢は100歳まで走り続けること」と、「かけっこ」の楽しさに気付くまでの心と体の葛藤と解放を、平易な言葉で語っている。難しい技術論は一切なく、20代の燃えるような思いから、楽しさは自分次第と気付くまでの心の変遷が綴られている。

休養後は抜け殻のよう

 末続は、2003年の世界選手権200メートルで、短距離の日本人では初となる銅メダルを獲得し、日本のエースにのし上がった。北京オリンピック後に休養(第一線から退く)するまで、勝つことが楽しいではなく「勝っている自分を見られるのが好き」の心理状態に陥ってしまう。そうなると、トップの座を維持するために自身に課した修練は「苛酷」以外の何物でもなかった。身分もプロではなく企業に所属するアマチュアで、公私ともに「追い込む」という表現がぴったりの生活が続いた。

 となれば、休養した後に襲われるのは抜け殻の感覚。一種の燃え尽き症候群で、末続も自我が消失してしまうような状態になり「廃人は、この一歩先にあるんだ」と意識するほどだった。立ち直ったのは休養してから3年後。テレビで陸上のレースを見ていて「俺ならこうするな」と思った瞬間、電気が走ったかのように「俺、走りたいんだ」と気付いたそうだ。それからは、時間を掛けて「走ることの楽しさ」を取り戻していった。ただ楽しさだけでなく、大きな意味があるのは人と競うこと、それが「かけっこ」だ。かけっこには真剣さがあるという。

末続さん1

練習で完成させろ

 長年、世界のトップクラスと渡り合ってきただけに、一般の人には想像すらできない体験もしてきた。そこから生まれた感覚、感性も説得力に富む。よく「自分の走りをしたい、自分のレースをしたい」と話す選手がいるが、末続に言わせると、レース前にそういう発言をしているようでは遅いという。自分だけのものは、練習の時に繰り返し繰り返し叩き込み、完成させておく。落ち着かない状況の中でも「最後は楽しむことだけを残しておく」のが大事だという。

 スポーツで練習と同時に大切なものに、指導者との関係がある。実績がある人の方が説得力があると思いがちだが、前へ進むために必要なのは納得だという。説得力は教える側が教わる側を押さえつける力、納得はあくまで教わる側の心の問題で、納得できなければ実を結ぶこともない。お互い学んでいこうという真摯な態度が必要なのではと示唆する。

末続さん2

自分を深く知る

 さらにプロとアマチュアの違い、人間関係のとらえ方、個性の見つけ方と話題は広がり、スポーツをたしなむ人の目的であるスポーツをやる意味を「自分を深く知ることができる」と答える。実績のある選手は、自慢をちりばめて過去を語りがちだが、末続は自慢も後悔も冷静に見据え、軽くジョギングをしているような感じで振り返っている。とても読みやすく、かつ心地よい。内容の一部はダイヤモンド社のHPで読むことができる。