カルチャー

次の5年に向け復興の歩み刻む 熊本地震から5年経過の南阿蘇村

再建された「新阿蘇大橋」=熊本県南阿蘇村
再建された「新阿蘇大橋」=熊本県南阿蘇村

 2度の大きな揺れに襲われ、関連死含め273人(熊本県内のみ、2021年4月時点)の命を奪った2016年4月の熊本地震。熊本県南阿蘇村は死者31人に上り、村の玄関口・阿蘇大橋が崩壊するなど大きな被害を受けた。震災から5年余りが過ぎ、崩落した阿蘇大橋が「新阿蘇大橋」として再建され3月開通するなど、重要インフラの復旧が進む。地震の教訓を後世に伝えようと、被災建物の亀裂や地表の断層など地震の“爪痕”をそのまま残し「震災遺構」として防災教育に役立てる試みも始まっている。

 震災遺構を案内する「語り部ガイド」事業などを展開し、観光振興とともに防災教育にも力を入れる、南阿蘇村商工会会長やみなみあそ観光局代表理事を務める丸野健一郎氏(59)に復旧・復興に向けた5年間の村の歩みと今後の観光振興への意気込みなどを聞いた。

熊本地震を振り返る、みなみあそ観光局の丸野健一郎代表理事。
熊本地震を振り返る、みなみあそ観光局の丸野健一郎代表理事。

――4月16日の熊本地震から5年余りが経過しました。村の復旧・復興状況は。

丸野 若い人が少なく、まだ活気は戻っていない。人口減少は地震の前から課題だったが、地震後、さらに減ってしまった。村内の黒川地区にあった東海大農学部キャンパスは、損壊のため村外への移転を余儀なくされた。このため黒川地区は約800人の学生が一気にいなくなった。若い人がいないとやっぱり活気がない。震災後は予想より人が戻ってこなかった。

地震で損壊した旧東海大阿蘇校舎。
地震で損壊した旧東海大阿蘇校舎。

――熊本地震は震度7の大きな揺れが2度あった。前震は4月14日午後9時26分、本震は4月16日午前1時25分。どんな揺れ方でしたか。

丸野 2度目の本震は、前震と全然違う揺れだった。下からどーんと突き上げるような衝撃の後、ゆっさ、ゆっさと、長い揺れが続いた。揺れはとても長かった。揺れた後、家具などが倒れた。

――状況はすぐ把握できましたか。

丸野 揺れが収まった後、すぐに外に出たが深夜で辺りは真っ暗。周囲の被害状況は分からなかった。私が経営するガソリンスタンドのタンクローリーは横倒しになっていた。家の前の山が崩れるばき、ばきという、いままで聞いたことのない音が聞こえ、山が崩れたと思った。深夜午前3時ごろから、家屋倒壊などの被害状況の連絡がSNS(会員制交流サイト)のLINEを介して入り始めた。すぐに発電機用燃料としてガソリンが必要になると思い、手動でガソリンを供給する準備をした。村内は699世帯が全壊、989世帯が半壊した。一部損壊も1,173世帯に及んだ(いずれも21年1月時点)。

――地震直後、困ったことは。

丸野 地域の人々は普段から付き合いがあるので、誰がいない、誰がいるということがすぐ判明した。普段からの付き合いがとても大切と改めて思い知った。断水(村内の約80%を占める3,761世帯で発生)が起こって水が使えなかった。私の地元の物流はそれほど滞らなかった、と記憶している。ただ避難所が雨漏りしたため使えず、村外の体育館に避難しなければならなかった。

――損壊道路などインフラの復旧スピードはどうでしたか。

丸野 生活道路の復旧は、地元の建設業者が寝ないで仮設の道を造って対応してくれた。警察、自衛隊の現地入りも早かった。崩落した阿蘇大橋は、土砂災害の被害を受けにくい600メートル下流の場所に再建され、新たに「新阿蘇大橋」として今年3月、開通した。村の玄関口となる重要インフラであると同時に、展望所を設けた観光の目玉にもなる施設に生まれ変わった。

開通を祝う寄せ書き(新阿蘇大橋展望所)。
開通を祝う寄せ書き(新阿蘇大橋展望所)。

――震災前に比べて観光客はどの程度落ち込みましたか。

丸野 震災前は年間600~700万人だったが、震災後は約半数になった。宿泊施設が被災したので宿泊客が激減した。新型コロナウイルスの影響もあるが、現時点(3月時点)では、まだ震災前に戻っていない。

――今後の観光振興の方向性は。

丸野 交流人口や村への移住者を増やしたい。5年前の地震は、いろいろな人が村に関わるきっかけとなった。このことを村づくりに生かしたい。

――震災遺構を案内する小中学校向けの「語り部ガイド」事業が好評です。手応えは。

丸野 これまでに約50校の児童・生徒を震災遺構に案内した。村には旧東海道阿蘇キャンパスを含め計9つの震災遺構がある。阿蘇キャンパスでは全長約50メートルに及ぶ地表の地震断層(うち約25mが保存・公開)や土壌の隆起、壁が崩れた学舎など生々しい地震の爪痕を確認できる。みなみあそ観光局に登録の語り部ガイドには被災者もいる。被災経験を後世に伝えたいという気持ちが強い。震災遺構を見学した子どもたちから村への関心が家族に広がることにも期待したい。

熊本地震で地面が隆起した旧東海大阿蘇キャンパス入口付近。
熊本地震で地面が隆起した旧東海大阿蘇キャンパス入口付近。

――熊本地震で学んだことは。

丸野 人間の無力さを感じた。自然は厳しい。人はお互い助け合わないと生きていけない。被災して自治会や婦人会、消防団、商工会など昔ながらの組織の大切さを思い知った。これらの組織があったからこそ、避難所での食事の提供や炊き出しなど被災初期に迅速に対応できた。地域のつながりの大切さを後世に伝えていきたい。

――次の5年後、震災10年に向けて一言。

丸野 村民が笑顔で楽しく生きがいをもって暮らせるようになれば、村はもっと魅力的になり、関心を持つ人も自然と増えてくるだろう。5年後にはもっと笑顔が溢れる村にできるよう、これからも村民の生業や生きがいを支え、村の魅力を根気強く発信していきたい。