カルチャー

【凛九 伝統工芸を継ぐ女性たち】その三《尾張七宝》田村有紀さん 「熱量」を武器に奮闘する“五代目”にしてシンガー

七宝焼職人・田村有紀さん。
七宝焼職人・田村有紀さん。

 ちょっと待った! あなた、いま「伝統工芸」の文字を見てほかの記事に移ろうと思ったのでは? それは実にもったいない。固定観念で物事を見ると損しますぞ。東海地方で伝統工芸を受け継ぐ9人の女性職人グループ「凛九」を紹介するこの連載、今回ご紹介するのは「尾張七宝」の田村有紀さん。由緒正しき窯元の五代目にしてシンガーというパラレルキャリアの持ち主だ。熱量あふれるその生き方にふれたら、伝統工芸に対する見方も変わるかも!

知識と技術と発想力で作っていける計算美の工芸

――七宝焼とはどんな工芸品ですか?

田村 七宝焼は“焼”と付くので、ろくろを回して土を成形し焼いて作るような陶芸の一種と思われがちですが、土は使いません。金属にクリスタルガラスを焼き付けて作る七宝工芸という、まったく別のジャンルになります。陶芸は茶わんなど日用品をメインに作られ、そこから派生していますが、七宝焼は最初から宝飾品として扱われてきました。工芸品の中で唯一、宝石に課される物品税が課せられるんです。

――七宝焼の魅力について教えて下さい。

田村 宝石のように美しいというのが一番の魅力ですが、私が好きなのは計算美の工芸というところです。たくさんの工程を踏んで、最終的にどう作りたいか、どういうものを完成させたいかを徐々に積み上げて完成に至る、計算して完成させるところが好きです。自分の知識と技術と発想力で作っていけるんです。

――七宝焼の制作工程を言葉で説明していただけますか。

田村 ざっくり説明しますね(笑)。まず土台となる銀や銅の金属素地を用意します。例えば作品が花瓶だったら、自分で作るか鍛金の職人さんに頼むかして花瓶形状の銅を用意します。
 素地にはガラス質の釉薬(ゆうやく)を焼き付けていくんですが、金属とガラスは相性がいいわけではないので、うまくくっつけるための下処理が必要です。そこで、下地となるファンデーションのような役割をする釉薬を乗せ、窯に入れて700~800℃で何回か焼きます。

金属を叩いて素地を作る。
金属を叩いて素地を作る。

 下処理が終わったら、次にデザインを考えて下絵を描きます。描いた線は焼いたら消えてしまうので、下絵にそって銀線という純銀の薄い帯状の線を立てて絵柄の輪郭線を描いていきます。これは植線(しょくせん)というんですが、この線が有る“有線七宝”であることが尾張七宝の特徴でもあります。細い線で絵柄を描いていくので、繊細な絵柄を描くことができますし、線自体も銀なのできらりと光るという特長があります。この線は絵の具を乗せていく際に仕切りの役割もします。

 

下絵に沿って銀線を立てていく。
下絵に沿って銀線を立てていく。

 この線を一度焼き付けて固定させてから、施釉(せゆう)といって絵の具(釉薬)を乗せていく作業を行います。施釉の後は焼成(しょうせい)といって窯で焼く作業があります。
 施釉と焼成を何度か繰り返して、最後は研磨作業です。砥石を荒いのから細かいのに変えていきながら研いで、ツヤツヤに磨いていきます。あとは、金具を付けたり、花瓶だったら覆輪(ふくりん)といって上と下に銀の輪っかをはめたりします。そういった最終段階を経て完成に至ります。

 

――工程数がすごく多いですね。何回も焼くのはなぜですか?

田村 絵の具は、色ガラスを砂のように粉々にしたものを水やのりで溶いて作ります。焼くとギュッとガラスの密度が高くなり、体積が減るんですね。なのでそこに絵の具を足して、また焼くんです。下地をひくときや銀線を固定させる際などを含め、全部で10回くらい焼くことになります。

釉薬の材料となるクリスタルガラス。
釉薬の材料となるクリスタルガラス。
色のついたガラスを釉薬にするため砂状になるまですりつぶす。
色のついたガラスを釉薬にするため砂状になるまですりつぶす。
絵の具を塗る施釉と窯に入れて焼く焼成を何度も繰り返す。
絵の具を塗る施釉と窯に入れて焼く焼成を何度も繰り返す。
最後に何種類かの砥石で研磨してツルツルになるまで磨く
最後に何種類かの砥石で研磨してツルツルになるまで磨く

――田村さんの作品が欲しい場合はどこで買えますか?

田村 基本はWebで販売させていただいています。「田村七宝工芸オフィシャルサイト」 にもショップがありますし、「マルシェル」さんのようなネットショップでも買えます。あとは年に数回行われる展示会や、美術館・ギャラリーなどの作品発表の場でも販売させていただいています。

人気商品のピアス・イヤリング(海グラデーション)。
人気商品のピアス・イヤリング(海グラデーション)。

――デザインのオーダーもできるんですか?

田村 オーダーも承っています。オーダーの仕事は面白くて、けっこうふわっとしたイメージで来られる方も多いんです。たとえば「私に似合う感じで」とか「風を感じるデザインのネックレスを。あとよろしく!」みたいな(笑)。ざっくりオーダーしていただいた作品を考えるのは楽しいですし、自分に裁量をいただいて任せいただけるのがうれしいです。

人気商品の「飛翔文様富士之図 七宝額」。
人気商品の「飛翔文様富士之図 七宝額」。
「何れ菖蒲か杜若」(源氏物語絵巻 特別公開展示コラボ作品)。
「何れ菖蒲か杜若」(源氏物語絵巻 特別公開展示コラボ作品)。
七宝変形平面作品「火の鳥」。
七宝変形平面作品「火の鳥」。

使命は後継者が育つような環境づくり

 田村有紀さんは、明治16年(1883年)創業の七宝焼の窯元「田村七宝工芸」の五代目。だが、職人という枠にはまらない活動とキャリアで、新聞、雑誌、TV、Webなど、多くのメディアで過去に紹介されてきたので、ご存じの読者も多いかもしれない。ここからはそのキャリアについてうかがっていこう。

――家業の七宝焼を継ごうと決意されたのはいつ頃ですか?

田村 一番最初に作品を作ったのは小学校4年生の時で、そこからちょこちょこ作品は作っていたんです。大学のため東京に出たり、会社勤めをしたりという時期や、音楽活動に熱中していた時期でも、七宝の作品は継続して発表していました。七宝焼をやりたいという気持ち、失くしたくないという気持ちは小さい頃からあったんです。ただ、我が家も昔は忙しかったものの、時代とともに職人さんもどんどん減って、周りの窯元さんもどんどん潰れていきました。そんな中、私が職人になると言ったところで、仕事が増えるわけじゃないし、家の食い扶持が増えるだけ。歌もやりたかったし、他の仕事はどういうものなのか、まずは世の中を知りたかったんです。たくさんのことを知った上で七宝を選ぶのならいいですが、ただそこに七宝があるからやるというのは嫌でした。

全国伝統的工芸品公募展で入選した「七宝ホーンスピーカー -流線-」
全国伝統的工芸品公募展で入選した「七宝ホーンスピーカー -流線-」

――大学に入学してすぐに、芸能事務所に所属されたんですね。

田村 武蔵野美術大学の造形学部建築学科に入学して半年たったころ、街でスカウトされました。歌を選んだのは、歌を選んだのは、歌うことが好きだったのと、ステージの自由がききそうだったからです。恩師とも呼べるマネージャーにも出会えたので、結局そこに10年以上所属(現在はフリー)して、CDをリリースし年間200本のライブに出たこともあります。

――年間200本のライブとはすごいですね。

田村 歌の現場の魅力というか、お客さまとコミュニケーションをとる楽しさ、現場の熱量に圧倒されちゃって。大学に行きながら、バイトもしながらでしたので、とてもハードでしたが、のめり込んでしまいました。卒業してからもライブに明け暮れていましたね。でも、その時期も七宝は作っていました。

シンガー太田ゆうきとして最盛期は年間200本のライブをこなしたことも。
シンガー太田ゆうきとして最盛期は年間200本のライブをこなしたことも。

――卒業後は、舞台制作やホテル経営事務、サイト作成などの仕事も経験されたようですが、本格的に七宝をやろうと決心した理由は?

田村 いろいろなお誘いをいただいてさまざまな仕事を経験する中で、まだやっていないこと、できることがたくさんあるなと気がつきました。例えばうちのWebサイトを作るとか、問屋さんからお仕事をもらうだけでなくWebショップをメインに展開していった方が皆さんに買っていただきやすいんじゃないかなとか。小物をただ作るだけじゃなくて、七宝ジュエリーブランドとして立ち上げてお披露目したら、メディアに載りやすいんじゃないかなとか。ロゴを作ることもそうですが、広告や宣伝といったアウトプット方向に関して力を注ぎました。それが2015年あたりで、商品も売れ始めたので七宝のお仕事が本格的になっていきました。

――七宝焼の制作に本腰を入れるにあたって音楽活動との迷いなどはなかったんですか?

田村 一切なかったですね。歌をやめることにメリットもなかったので、歌は続けながら七宝にかける時間を増やしていきました。ライブの数をこなすのではなくて、質で勝負しようということです。いまでも歌を歌わせていただく機会は年間2~3本あります。

――2020年はCD『熱量のアイリス』も出されましたね。1980年代のシティポップのような軽快な曲調で素敵な曲です。

田村 ありがとうございます! 昨年はコロナ禍のため人前で歌うことができなかったので、こういう時こそCDを作るぞと決めて、いろんな皆さんにお力を貸していただいて作りました。タイトル曲「熱量のアイリス」は尾張七宝のテーマソングでもあります。私がやっている「ゴダイメちゃんねる」というYouTube配信でも聴けますので、たくさんの方に聴いていただけるとうれしいです。

最新作『熱量のアイリス/太田ゆうき』(KDSD-1022)。
最新作『熱量のアイリス/太田ゆうき』(KDSD-1022)。

――伝統工芸の未来、尾張七宝の未来についてはどう考えていますか?

田村 昔はこの小さな町に200軒以上あった七宝焼の窯元がいまや8軒。伝統工芸に共通のことだと思いますが、事業者が減るということは技術や物もなくなりますが文化がなくなってしまうということ、そして制作面では材料がなくなっていくことや道具を作る職人さんがいなくなっていくことにつながります。どんどん作るのが難しい環境になっていくんですね。後継者を育てられず、人を雇うほどの余裕もなくなる。そうすると縮小の一途になってしまうので、そういう環境を変えていくのが私の使命かなと思っています。伝統や文化って、願いとか思いとか、そこに熱量が無いと続いていかないと思いますし。

――思い描いている夢はありますか。

田村 ゆくゆくは地元を工芸村のようにしていくのが夢です。小学生のころ私は金属をたたいたりガラスを粉々にする絵の具づくりを手伝ったりして楽しかったので、子どもたちにそういう体験をしてもらえる工芸の学校や、週末だけ七宝焼の作品を作りに来れる工芸が盛んな町にしたい。ここで金属を叩いている人がいれば、そこには絵の具を作る人がいて、向こうにはデザインをしている人がいてみたいな。そんな町があったらいいなと思っています。

 生きることが好きだという田村さんは、ニュースやSNSで「生きるのが楽しくない」というコメントを見るとすごく悔しいという。肉体的な作業としても取り巻く環境としても決して楽とはいえない伝統工芸の世界だが、七宝焼の話をしている時の目は、七宝焼に負けないくらいキラキラと輝いていた。

 最近は哲学に興味があるという田村さん。「自分の頭が固定されちゃうのがすごく嫌いで、常に揺さぶっておきたい。固定概念に縛られたり、物事を一面からしか見れないってすごくもったいないことだって思う」という言葉を聞くと、根っからのアーティストだということがよくわかる。そんな彼女がどんな七宝職人になっていくのか、今後の活動も大いに楽しみだ。

取材・文/金城 稔

PROFILE

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田村有紀(たむら・ゆうき)

 1986年 愛知県あま市七宝町生まれ。武蔵野美術大学卒業後、ライブアーティストとして活動。多業種の仕事も経験するなか、消えていく伝統工芸の未来に危機感を覚え、職人の道へ。1883年創業の七宝焼窯元「田村七宝工芸」の現当主(四代目)で伝統工芸士の父と七宝作家の母に師事し、七宝焼発祥の地で唯一の跡継ぎとなる。七宝ジュエリーブランドの創立をはじめ、職人として、作家として、多彩な作品を発表。七宝のテーマソングを作りCDリリースをするなど、他ジャンルからも挑戦を続ける。その活動スタイルとプレゼンが評価され、職人として参加したプレゼンコンテスト日本大会にてグランプリ受賞。講演会の依頼も多い。2020年個展「Cutting-Edge」開催。

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