カルチャー

【ラグビーW杯開催国、フランスを歩く】④  フランス最古の街マルセイユ

旧港に立つ魚市場。
旧港に立つ魚市場。

 南仏といえば、真っ先に名前があがる街の一つかもしれない。パリやリヨンと並ぶ大都市、マルセイユ。古くから地中海に面した港湾都市として栄え、フランスで最も古い街といわれるその歴史は、はるか紀元前600年までさかのぼることができる。2023年のラグビーワールドカップ開催地をめぐる連載の4回目は、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の首府、マルセイユだ。

 マルセイユの街の南西に、旧港と呼ばれる市役所に面したにぎやかな港がある。市民と観光客でごった返す一角。漁船から揚がった新鮮な魚介類を売る魚市場が毎日立つ、港沿いの広場の地面に、ひっそりと銘板がはめ込まれている。「ここに、紀元前600年頃ギリシャのフォカイア人がやってきて、マルセイユの町をつくった」とある。当時の名前はマッシリア。マルセイユの語源だ。その後街はカエサルの下で、古代ローマの一都市として発展している。

「フランスで最も古い街」の銘板。
「フランスで最も古い街」の銘板。

 当時ゴミ捨て場だったとみられる場所から、20世紀になっても食器などの新たな残存物が見つかっており、3世紀ごろに放置されたとみられる長さ23メートルの船なども発掘され、マルセイユ歴史博物館に展示されている。ショッピングセンター建設の際に偶然見つかった古代の遺跡群は、数十年にわたる調査・研究ののち、2009年に「遺構公園」としてオープンした。建物の合間にある芝生の広場に、石積みの遺跡と船のオブジェ。ぼんやり歩いていると見過ごしてしまう地味な場所だが、旧港の目と鼻の先にあるこの場所に海水が満ちていた頃を思い浮かべると、マルセイユへの旅は遠く紀元前への旅も兼ねることができる。

街中に保存されている遺構公園。
街中に保存されている遺構公園。

 港に係留されているたくさんのヨットの帆を背景ににぎわう魚市場の様子は、この街の一番身近な生活の風景。2013年、マルセイユが欧州文化首都に選ばれたのを契機に、活気に満ちたこの場所も少しずつ様変わりしてきた。車が行きかっていた場所が広いスペースになり、イギリス人建築家のノーマン・フォスター氏が作った鏡の天井、「ロンブリエール」が設置された。高さ6メートル、広さ1,000平米に及ぶ巨大な鏡の屋根だ。旧港を散歩しながら休憩する時の日よけや雨宿りの場所にもなるし、船やバスなど交通機関を利用する人の休憩所にもなる。ロンブリエールの真下に立ち、天井に映った自分たちの姿に向けてスマホのカメラを向ける観光客も多い。

旧港に設置された鏡の天井。
旧港に設置された鏡の天井。

 西側から港をはさんで向こう側の丘の上にそびえているのが、マルセイユのシンボルともいえる「ノートルダム・ドゥ・ラ・ギャルド」バジリカ聖堂。この街に来たら、ここを見ずに帰るわけにはいかない場所だ。石灰質の丘の頂上にあり、まずは運動がてら階段をのぼっていこう。鐘楼の天辺にそびえる金色の聖母子像は街を見守る「優しいマリアさま」と呼ばれ、それだけで高さ11.2メートル、9,796キロの重さがある。銀のカトラリーなどで日本でもよく知られたクリストフルが造り、四半世紀ごとに金ぱくを張りかえているという。

旧港からも見えるノートルダム・ド・ラ・ギャルド。
旧港からも見えるノートルダム・ド・ラ・ギャルド。
ノートルダム・ド・ラ・ギャルドの鐘楼と聖母子像。
ノートルダム・ド・ラ・ギャルドの鐘楼と聖母子像。

 大聖堂は13世紀に建てられた小さな聖堂を19世紀に建て直したもので、モザイクが象徴的なローマ・ビザンチン様式。ビザンチン様式は「ポリクロミー」と呼ばれる多色使いの装飾が特徴で、聖堂の中の丸天井や金色の装飾で飾られた大理石は、ゴシックに比べてある意味“原始的”なロマネスク様式の回廊に、見違えるほどの華やかさを加えている。ギリシャ、ローマの時代はもとより、現代に至るまで地中海に開いた街としてさまざまな地域からの移民を受け入れてきたコスモポリタンな空気をそのまま体現しているように見える。

 

 文化が交錯するダイナミックなマルセイユを知るのに最適な場所がもう一つある。やはり欧州文化首都となった2013年に開館した「欧州・地中海文明博物館」。コンクリートのメッシュで覆われた外観が海に面してひときわ目を引く。内側に足を踏み入れても、南仏の陽光が差し込む現代建築の粋を楽しめる。

欧州・地中海文明博物館の特徴的なコンクリートのメッシュ@yoan.navarro。
欧州・地中海文明博物館の特徴的なコンクリートのメッシュ@yoan.navarro。
南仏の食前酒パスティス。
南仏の食前酒パスティス。

 そうして歩き疲れた日の夕刻、アペリティフを楽しむなら「パスティス」だ。アニスやリコリスなどで香りづけされた南仏伝統の食前酒。香りが強いので好き嫌いがはっきりと分かれるが、水で割ると白濁するのが特徴で、夕方の街中を歩いていると多くの人がこのグラスを手にしているのが、いかにも南仏に来たという感慨につながる。筆者がマルセイユに到着した日の夜は市内で人気ラップ歌手ジュルのコンサートがあり、夕刻の大通りは大渋滞だったが、広い歩道はコンサートに出かける若者たちで埋まり、ほとんどの人がパスティスで景気づけ。すでに“コロナ後”の世界が広がっていた。

ブイヤベース憲章登録店ミラマール。
ブイヤベース憲章登録店ミラマール。

 夕食ではずせないのは、マルセイユ名物ブイヤベース。カサゴやホウボウ、マトウダイなど地元で水揚げされる魚と野菜などを煮込んだ料理だ。元々は売れ残りの魚で作った“漁師メシ”が郷土料理として定着したものだが、観光客に適当な魚の煮込みをブイヤベースの名で高く売る店が増え、1980年、材料や作り方、スープと魚を分けて出すなどサービスの仕方まで定めた「ブイヤベース憲章」ができている。この憲章登録店の一つが、旧港沿いにある「ミラマール」。シェフはイタリアとコルシカ島にルーツを持つマルセイユ育ちのクリスチャン・ブッファ氏。フランス料理の巨匠、故ポール・ボキューズ氏の下で学び、今はシェフのかたわらブイヤベース憲章協会の副会長も務めている。

ブイヤベースの一皿目、魚介のスープ。
ブイヤベースの一皿目、魚介のスープ。
ブイヤベースの二皿目、魚介の大皿を運ぶ。
ブイヤベースの二皿目、魚介の大皿を運ぶ。

 港沿いの道に面したテラスに席をとり、王道のブイヤベースに舌鼓。夏ならば夜10時過ぎにようやく空が暗くなると、さまざまな音楽を奏でる大道ミュージシャンたちが、道沿いの店の前を移動しながらにぎやかな演奏で客を楽しませる。港町らしい開放的で明るい夜が過ごせる場所だ。

スタッド ヴェロドローム。
スタッド ヴェロドローム。

 マルセイユとパリを比較する時、大阪と東京にたとえる日本人は多い。確かに首都と並ぶ南の大都市で、交易・商業で栄え、明るく開放的でプライドと対抗心も十分。大阪弁ならぬマルセイユ独特のイントネーションもしっかり存在する。地元のサッカークラブ、オランピック・マルセイユ(OM)とパリ・サンジェルマンは“犬猿の仲”で、試合のある日はスタジアム周辺の警備が強化されるほどサポーターたちは熱狂する。だが、筆者の記憶の中で一番印象的だったのは2015年、パリで同時多発テロがあった時のこと。普段は過激な行動やなじり合いで眉をひそめられることが多い「ウルトラズ」と呼ばれるマルセイユのサポーターたちが、「我々はパリだ!」という横断幕を市内に掲げて連帯を表明した。ことごとく反目し合ってきた彼らの連帯表明に、悲劇を乗り越えようと市民の気持ちが一つになったことを実感した人は少なくない。そのOMがホームとするのが、2023年のラグビーW杯でマルセイユの会場となるスタッド・ヴェロドロームだ。

text by coco.g

詳細な観光情報はプロヴァンス・アルプ・コートダジュール地方 観光局フランス観光開発機構を参照。