はばたけラボ

生徒指導困難校勤務の元校長が体験した「子どもたちの心と体は郷土料理作りで変わる」

 

 弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」に関わる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)が、郷土料理の調理実習について考える——。

校長室に調理実習で作った「打ち込みうどん」を届けてくれた生徒たち。
校長室に調理実習で作った「打ち込みうどん」を届けてくれた生徒たち。

 「おいしい 打ち込みうどん ごちそうさま」
 さわやかな笑顔の2人組が校長室にやって来ました。なんと、打ち込みうどんを手にしています。手打ちの白い麺。ニンジンの赤。ネギの緑。シイタケのこげ茶と白。そして、ほんわかと漂う湯気。さぬき人には至福のとき。いやー、うれしかったな。「父の日」「母の日」には生徒が料理を作って(家族に)振る舞ってほしいな。家族が喜ぶ顔を見ると自分も元気になりますよ。ごちそうさまでした。

 平成20年〇月〇日 校長室にて 竹下和男

 私が校長として勤務していた高松市立国分寺中学校は、生徒数800人を超える生徒指導困難校でした。

 「授業」に関わる時間は、得意な専門教科でいかに工夫をするかという楽しい時間です。教員としては、生徒に「学ぶ喜び」を伝えることに専念したいものです。
 ところが、校内のたばこの吸い殻や菓子の包み紙拾い、公共物破損の修理や落書き消し、授業中に校内を勝手に徘徊(はいかい)している生徒の指導、いじめ対策としての休み時間の校内見回り、服装・校則違反や登下校の交通マナーの指導、下校後の万引きなどのトラブル対応、不登校生徒の家庭訪問、そして時には生徒たちとの小競り合い・・・。こんな「授業外」の時間は、楽しいものではありません。

 指導の効果が目に見えて表れることも少ないので、疲労が蓄積していきます。つまり、教員は問題行動への「対処」に追われてしまいがちなのです。
 問題行動をなくしていくには「予防」と「治療」が大切です。「対処」は「治療」であって、「予防」ではありません。問題行動が次々と起きる背景をそのままにしていたのでは、根本的な解決には至りません。でも、何をしたら「予防」になるのかは、日本全体で暗中模索状態です。
 そこで私が訴えたいのが、「子どもを台所に立たせる」ことが、問題行動の「予防」になっているらしいということです。

 生徒たちが作って校長室に届けてくれた「打ち込みうどん」とは、具だくさんのみそ汁にうどんが入っている香川県の郷土料理です。特に寒さが際立ってくる頃になると、うどん屋でも売れ筋のメニューとなります。「きつねうどん」や「ざるうどん」のうどんは、うどん粉(小麦粉)に塩水を入れて練りますが、「打ち込みうどん」に入れるうどんを作る時には、塩を入れません。みそに塩が使われているからです。スーパーで買ううどんには塩が入っているので、生徒たちはうどんを買うのではなく、調理室で打っていました。

香川県の郷土料理「打ち込みうどん」。
香川県の郷土料理「打ち込みうどん」。

 香川県観光振興課が、「うどん県副知事」の要潤(かなめ・じゅん)が香川県を「うどん県」に「改名」すると記者発表するPR動画を制作したのは、2011年のことです。故小渕恵三首相が官房長官時代に「平成」の元号発表をした場面を彷彿させる動画で、ネット上に公開されて話題になりました。さらに、羽田空港や六本木の大型ビジョン、地下鉄車内でのCMが放映され、空港や駅にポスターまで張り出されたものですから、効果はてきめんでした。全国からの観光客は、競って県内のうどん店に駆け込んでくれました。人気のうどん屋は、全国からの注文に応じる宅配用の商品を開発しました。

 香川県は、人口10万人当たりのうどん専門店の店舗数がダントツで全国1位です。一世帯当たりの年間外食の支出金額うどん・そば部門の消費量もダントツ全国1位で、香川県民にとって、うどんはまさにソウルフードなのです。そんな環境で育った生徒たちですから、おそらく全国で一番うどんを食べて育っているはずです。

 となると、私の教え子たちが県外の大学に進学したり、企業に就職したりすると「おい、讃岐うどんを振る舞ってくれるか」と先輩や同僚から声を掛けられることがあるかもしれません。今は多くのチェーン店を持つうどん店が全国に支店を増やしつつあります。そこで讃岐うどんは食べられるでしょうが、香川県民が小さな厨房で仲間のために打ったうどんには、それなりの価値があると思います。

 日本の多くの庶民の暮らしは、つい数十年前まで貧しい食生活でした。物流が少なかった時代は、特に食材が不足しがちでした。そこで、食するのに適さないとされていた植物や動物を、水にさらしたりゆでたりしてアクを抜き、干物にしたり、粉末にしたり、発酵させたりして食材にしてきました。

 郷土料理は、それぞれの多様な地理的環境・気候条件の中で生き残るために知恵を絞り、工夫し、改良を重ねて、長い年月のふるいにかけられた文化遺産です。形や彩りや食感で、おいしく、楽しく、心が豊かになる食卓を目指した思いの結晶なのです。だから、いつかどこかの大学で、出身県の郷土料理を持ち寄って、新入生歓迎会が開かれるようになったらいいな、なんて妄想もしています。

 国分寺中学校では、郷土料理の弁当を作って学校に持って来る取り組みをしていました。不思議なものです。「何を作ってもいい」というより、「郷土料理弁当」「わが家の自慢弁当」「和食弁当」「感謝弁当」「今が旬弁当」など、課題を与えた方が、子どもたちのチャレンジ精神は高まるようです。完成予想図をつくる過程で、「郷土料理」「和食」「調理技術」の知識も増やせます。

 香川県の農政部や地元の農協とも連携しました。学校現場が弁当づくりに必要な資料や情報を求めると、いつも丁寧に対応してくれる大人たちの姿に、子どもたちは自尊感情を高めていきました。そうやって、郷土料理作りの体験を繰り返すうちに、子どもたちの問題行動が自然と減っていったのです。

 こんな話を聞いたことはありませんか。「足首の筋肉のコリをほぐしたら頭痛が治った」「歯のかみ合わせを直したら肩こりがなくなった」…。

 医学は日進月歩ですが、人体の不思議はなかなか解明し切れません。脳だけでなく心臓も、腎臓も、肝臓も、骨格も、血液も、神経も、身体を構成するものすべてが、生存戦略の司令塔の一役を担っているようです。複雑かつ微妙に影響し合ってバランスを取っていますから、一つの行動の変化によって、思いも寄らない別の症状が改善されることがあるようです。

 だから、自分が作った「打ち込みうどん」を食べる家族の笑顔を見ている生徒の心身にも、きっと何かが起きたはずなのです。そこにどんな心身のメカニズムがあるのか、残念ながら私には説明することができません。「問題行動の『予防』になっているらしい」としか言えないことをもどかしく思っています。

竹下和男(たけした・かずお)
 1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。

#「弁当の日」応援プロジェクト は「弁当の日」の実践を通じて、健全な次世代育成と持続可能な社会の構築を目指しています。より多くの方に「弁当の日」の取り組みを知っていただき、一人でも多くの子どもたちに「弁当の日」を経験してほしいと考え、キッコーマン、クリナップ、クレハ、信州ハム、住友生命保険、全国農業協同組合連合会、日清オイリオグループ、ハウス食品グループ本社、雪印メグミルク、アートネイチャー、東京農業大学、グリーン・シップとともにさまざまな活動を行っています。