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懐かしさよりも、新しさを感じる瞬間のほうがはるかに多かった、柳原陽一郎の30周年ライブ

柳原ライブ ph1

 ピアノの黒鍵と白鍵はさしずめタイムマシンのスイッチといったところだろうか。渋谷duo MUSIC EXCHANGEで11月18日に行われた柳原陽一郎の30周年ライブ。グランドピアノでの弾き語りという形態のコンサートで、ステージ上には柳原とピアノのみ。オープニングナンバーは“たま”時代の1992年の曲、「たかえさん」だった。自在なピアノの調べで始まり、やがてそのトーンは懐かしさを帯びていく。この曲の発表からすでに28年が過ぎている。熟成されたお酒のように、歌とピアノが体の中に染みわたっていく。音楽と一緒に時の流れをゆっくり遡(さかのぼ)っていくような不思議な感覚を味わった。「たかえさん」の歌詞の表現を借りるならば、時間が左にまわっているかのようだ。この原稿は生のライブではなくて、配信ライブ映像を見たのちに書いている。だが柳原の奏でる音楽は時間だけでなく、空間を越えて自宅の部屋にもリアルに届いてきた。柳原の歌声の持っている力、楽曲の持っている力が歌の世界の中へと、深くいざなってくれるからだろう。

 この日のステージ、事前にリスナーからリクエスト曲を募り、上位の曲を演奏することになっていた。30周年ならではの企画といっていいだろう。リクエスト曲がたくさん演奏されたのは二部構成の二部の中盤から。一部はピアノの弾き語りの妙が際立つ構成だ。1stソロアルバム収録の1995年の「みんなおぼえてる」では歌とピアノだけなのに、力強さが際立っていた。一緒に歌いたくなるようなダイナミックな演奏。しかしコロナ禍ということで、観客はみんなマスク姿で声をあげられない。その分、曲が終わるごとに、観客が思いをこめて拍手していることが画面越しにも伝わってきた。

「今日はタイムマシンということで」

 「30周年記念ということで、どうしてもやりたかったんですよ。来ていただいて、感謝しきれないですね。バラエティに富んでいますが、古い曲が多いです。なぜかというと、みなさんがそういう曲をリクエストしたから。今日はタイムマシンということで」

 そんなMCに続いては「きみを気にしている」。1998年の曲だが、2020年の柳原の歌とピアノによって、今現在の歌として響いてくる。体の奥深いところを揺さぶられた。そのままシームレスで「4B」へ。時が流れるということは大切な人々と訣別する機会が増えることをも意味する。深い喪失感が歌声からにじむ。だがそこにあるのは悲しみだけではない。いとしさ、優しさ、温かさなど、さまざまな感情が溶けこんでいる。悲しいのに温かく優しい。こんな歌に包まれるのは格別な体験だ。柳原がピアノと対話するように歌っている。ピアノが柳原の歌に寄り添っていく。曲の終わりはピアノの残響音。やはりピアノの弾き語りには内省的な歌が似合う。

 曲間ではリクエストしたリスナーのコメントを読み上げるコーナーもあった。17歳の少女のコメント紹介では、本人になりかわっているかのように、女性口調で読み上げているところがおかしい。柳原の曲の数々がファンの思い出と密接に結びついていることがわかるコーナーだ。

 歌詞の書かれたノートをめくるように、duo MUSIC EXCHANGEも次のページへと進んでいく。「キング・オブ・ロケンロー」では一転してポップな展開へ。観客がハンドクラップで参加している。続いての「真珠採りの詩」では陽気な歌声とリズミカルなピアノに体が揺れる。この振り幅の大きさも柳原の音楽の特徴だろう。柳原もラストは笑顔での演奏。

柳原ライブ ph2

 哀愁を帯びたドラマティックなピアノのイントロで始まったのは「ハニー・ムーン」。壮大かつ深遠な世界が広がっていく。そのまま、組曲のように「恋はかげろう」へと突入。柳原がフェイク混じりで歌い、シームレスで「ブルースを捧ぐ」へ。この3曲が連なって演奏されることによって、人生の摩訶不思議が浮かび上がってくる、かのようだ。「恋はかげろう」と「ブルースを捧ぐ」は2007年発表のアルバム『ウシはなんでも知っている』でも連続する並びだった。ピアノがこの3曲を一体化させていた。「ブルースを捧ぐ」の最後はアカペラ。聴き手の胸の中に溜まっていたものまで浄化するような歌声が素晴らしい。歌声同様に、ピアノを弾く柳原の顔の表情の豊かさも印象に残った。配信映像の醍醐味のひとつは表情や動作がはっきり見えることだ。

 第一部のラストはガンジーのエピソードに感動して作ったという「まわれ糸車」。力が抜けているのに芯の強い歌とピアノが真っ直ぐ届いてくる。「ポクポク歩いてこう」というフレーズは、これから先の道のりを照らしてくれる道標のようなものでもあるのではないだろうか。深い余韻を残して一部終了。

「当たり前のごとく30歳、年をとるわけですよ」

 換気タイムをはさんで、二部がスタートした。「タイムマシン。こういう曲から始まったということで」というMCに続いて、初期の曲「牛小屋」。不協和音を交えつつ、後半加速していくピアノは切れ味があって、アバンギャルドだ。さらにシュールな「パラシュート」と初期曲が続く展開。スケールが小さくなったり、大きくなったりと、ソングライターとしての柳原の自在さ、柔軟さ、大胆さは初期のころから遺憾なく発揮されていたのだ。

 30周年のステージにふさわしいと感じたのは「歌手はうたうだけ」。曲名を体現しているような歌と演奏が披露された。ひたすら歌い続け、ひたすら弾き続けるような、強靱な意志が詰まった演奏だ。歌手はうたうだけ、そしてピアノをひくだけ。だがそれだけで十分すぎる。

 ここからはリクエストの上位曲が次から次へと演奏される展開となった。スピーディーな演奏で始まったのは「オゾンのダンス」。スタートダッシュして、そのままのスピードで一気に駆け抜けていくような演奏だ。続いては「さよなら人類」。30周年のステージで歌われることによって、この曲がさらに特別な空気を放っていると感じた。おそらく柳原はこの歌をかなりの回数歌っているだろう。だが、歌えば歌うほど、この曲の底知れなさが際立っていくような気がするのだ。土地に例えるならば、開発が進んだ都市ではなくて、未開の地みたいな感じ。いまだに謎だらけで、迷宮みたいな歌だ。タイムマシンというよりも、時空を超越している歌なのかもしれない。この日の「さよなら人類」に感無量になってしまった。いや、本来、そんな歌ではないでしょうといいたいところだが、不思議な感動があったのだからしょうがない。30年の大きさも伝わってきた。この曲があったから、たまを知り、柳原の音楽を知り、30年近く聴き続けてきたのだ。

「30年たつと、当たり前のごとく30歳、年をとるわけですよ。びっくりしちゃいますね」

 そんな言葉に続いてはリクエストが一番多かった曲と二番目に多かった曲が披露された。ピアノのやわらかな音色で始まったのは「ふしぎな夜のうた」だ。丹念に言葉を紡ぎ出すような歌声と穏やかなタッチのピアノがいい。この日の「ふしぎな夜のうた」はこれまででもっともラブの含有率の高いラブソングだと感じた。「オリオンビールの唄」をピアノの弾き語りで聴くのも新鮮な体験となった。間奏での憂いのあるピアノにも引きこまれた。ピアノ独特の間が歌の世界観を広げていく。「ふしぎな夜のうた」は1993年発表の歌、「オリオンビールの唄」は1991年発表の歌だが、どちらの曲も今の柳原が歌い、演奏することによって、新たな息吹が吹き込まれていると感じた。

「くじけないというのが心の底のテーマに」

 「くじけないというのが心の底のテーマにあるような気がします。そういう人の歌を歌いたいと思っているようですね」という柳原のMCがあり、その言葉がそのまま当てはまる「ホーベン」が演奏された。人間味あふれる歌と演奏に胸が熱くなる。ハーモニカもヒューマン。躍動感あふれるピアノで始まったのは「再生ジンタ」。コロナ禍の状況の中で、この曲の持っている明るさ、軽やかさ、柔軟さ、強靱さが染みてくる。聴き手を開放していく歌、エネルギーをチャージさせてくれるような自由な演奏だ。柳原も笑いながらのフィニッシュ。

 「ありがとうございました。また30年後に会いましょう」という言葉に続いての30周年ライブの締めの曲は「満月小唄」。この日の「満月小唄」、空に浮かぶ満月とともに、海に映る満月が見えてくるような歌だった。ラスト直前の「忘れられない11月の月の夜」という歌声に胸を突かれた。30年分の思いを込めたような歌声だと感じたからだ。

 再度のアンコールでは「どうぞお元気で。いつでも前向きに、くじけず、あきらめず、精一杯」という言葉に続いて「故郷のない男」が演奏された。余白と余韻のある歌と演奏が不思議な感触を与える。ろうそくの炎をふっと吹き消すような終わり方だ。

 30周年の時の流れの大きさを実感するライブ。だが、懐かしさよりも、新しさを感じる瞬間のほうがはるかに多かった。この曲はこんな表情も持っていたのか。そんな驚きや発見がたくさんあったからだ。いい曲が古くならないのは、歌い手が年を重ね、さらなる表現力を獲得することで、曲の違った表情を引き出すから。そしてまた、聴き手も年を重ねることによって、曲の中からこれまで見えなかったものを見出すから。

 30周年という節目のタイミングであると同時に、コロナ禍という困難な状況の中でのステージ。柳原とともに満月を探しにいって見つけたものは、生きていることのかけがえのなさ、そして歩き続けて何かに立ち向かっていくことの素晴らしさだった。

柳原ライブ ph3

文 / 長谷川 誠・撮影 / 深堀瑞穂