これまでのビートルズ史を覆すような事実が明らかにされるのだろうか?
リバプールのキャバーン・クラブでビートルズと知り合い意気投合、彼らのロード・マネージャー(ローディー)となり文字通り寝食を共にした、グループの最側近だったマル・エバンスの伝記本が2023年に英出版社ハーパーコリンズから出版されることになった。
ビートルズ研究家で米ニュージャージーのモンマウス大学教授のケネス・ウォマックがエバンス家と協力して、「15カ月」かかりマルの生涯の詳細をまとめたという。
また、マルの日記や原稿などの個人所有物も2024年に公開されるという。
日本(語)での出版については、ウォマックは筆者に対してメールで回答を寄せ、「私のエージェント(代理人)が資料を含むすべての刊行物の日本語への翻訳権に関して話を進めていることは間違いありません!」と断言した。
彼は言う。「ビートルズ・ファンはマルの日記に驚かされるでしょう。ビートルズのセッションのほとんどに立ち会い、世界ツアーでは4人とともに奮闘し、マルは彼らがとてつもなく特別な音楽遺産を紡ぎ出していることを理解していました。そしてビートルズも彼の忠誠心を高く買っていたのです」(2021年12月5日付英「オブザーバー」電子版)
かつてマルは「Living the Beatles Legend」と題する回顧録をまとめ、ビートルズの4人の許可を得て、1970年代半ばに出版する予定だった。だが、’76年1月にマルはロサンゼルスの自宅でのもめごとの最中に警官に射殺され、刊行は頓挫した。
ウォマックはマルの日記から新たにわかったこととして、’69年1月30日のアップルビル本社屋上でのいわゆるルーフトップ・コンサートの日のエピソードを明らかにした。 屋上でのライブ演奏によって近隣住民から騒音被害の苦情などが寄せられたため、「マルは実際に逮捕されていたんだ。でも難を逃れることが出来たのはグループのPRマンであるポール(・マッカートニー)が警官の気持ちを変えさせたからだ」(「オブザーバー」)。
マルの日記にはこうつづられていた「屋上に上がる途中で、警官は俺を逮捕した。根っからのPRマンであるポールが彼らに謝ってくれて、難局を脱することが出来たんだ」。
来たる伝記本から他にどのような発見があるだろうか。例えば、マルが70年代に入ってからテレビ番組で述べていた「ポールの夢に出てきて『なすがままに(let it be)』と告げたのは(彼の母親メアリーでなく)自分(マル)だった」という証言。
あるいは、’66年のビートルズの日本公演中、マルは四谷の「外国人が喜ぶおフロ」に行ってとりこになり、一緒に連れて行ってくれと言うポールとともにホテルを脱出したものの、警官らに後をつけられ断念して、皇居前広場を散策して帰った、という関係者の証言。
ウォマックは「残念ながら、これらの質問には答えることが出来ません。完全な伝記本が出るまでお待ちください」と筆者に対して述べた。
マルの息子ゲイリーは声明の中で、「ケン(ケネス・ウォマック)は父がビートルズの最高の友人だったことを私に示してくれました。父がビートルズに出会ったことも幸運でしたが、父が初めてキャバーンの階段を降りたことでビートルズもより一層幸運に恵まれるようになったのです」と述べた。
文・桑原亘之介