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江戸と漱石の新宿二丁目 ~絶叫ワンダーランドへGO!~

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私たちにとって身近な場所やモノには、意外と知られていない歴史が潜んでいるかもしれません。

この連載では、歴史学者の三石晃生教授と「知らなくても困らないけれど、知っていると世界が楽しくなるかもしれない」をコンセプトに世界のあちこちを調査していきます。TEDxTokyo yzにも登壇された三石教授は、世界初の歴史コンサルタント会社(株)goscobe代表取締役でもあります。

第二回目の舞台は、新宿二丁目。LGBTタウンのイメージとは違う、街の魅力をご案内します。

三石:今日は夏目漱石ゆかりの地へ行こう!

筆者(以下、村越):お!今回は旅行ですか!?『坊ちゃん』の道後温泉とか?

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村越:ここは、まさか・・・?

三石:ようこそ、世界の新宿二丁目でございます!

村越:なんで!?

新宿二丁目は、今の場所じゃなかった!?
村越:そういえば三石さん、二丁目のゲイバーによく行ってますよね。ゲイバーと漱石は関係が?

三石:ハロウィンとか来てみなさいよ!二丁目は盛り上がって楽しいんだから!この仲通りのお店は観光バーが多いの。ノンケの方とか女性の方でも気軽に入れるのが観光バーだから、初めての人は仲通りあたりから遊びに来るのがオススメ!

村越:いや、今日は「ハマるゲイバー5選」とかの記事じゃないですから!漱石の話に戻しましょう!

三石:そうそう。このあたりがゲイタウンになるのは1960年代以降になってからで、漱石の頃は全く違っていたんだ。

村越:え、割と最近!それ以前からゲイバー的なものが密集してたんじゃないんですか?

三石:それ以前、このあたりは赤線地帯と青線地帯が形成された「新宿遊郭」があったところだったんだ。当時、二丁目といえばこの「新宿遊郭」のことを指していた。あ、吉行淳之介の『驟雨(しゅうう)』という小説があるんだけれど、舞台は新宿二丁目の新宿遊郭。ちなみに今と昔とは新宿二丁目の場所が違うんだよ。隣の新宿三丁目あるでしょ、あそこはもともと二丁目だったのです。

村越:え、三丁目が二丁目?どういうことですか?

三石:寄席の「末廣亭」のある末廣通りとその隣の要通りあたりを昔は「要町」っていったのだけど、そこもかつては新宿二丁目だったの。1973年に新たに御苑大通りで丁目を区切ることになって、この要町は新宿二丁目から三丁目に編入されることになったのです。

村越:えー!!全然、知らなかった!新宿3丁目が2丁目だったなんて!

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新宿の寄席といえば、新宿三丁目の新宿末廣亭

子供はギャン泣き。江戸のワンダーランドへようこそ!
村越:ところで今日は、夏目漱石のゆかりの地って話でしたけど。

三石:やってきました、ここがゆかりの場所!




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三石:新宿の地名は信濃国高遠藩の内藤家の中屋敷を幕府に返上させて、そこに新しい宿場、つまり新宿を作ったの。そこで昔はこのあたりは「内藤新宿」って呼ばれてたんだ。その内藤家の菩提寺がこの「太宗寺」です。漱石関連以外にもいろいろとみどころがありまくりなスポットだよ。

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三石:このボタン押してみて。

村越:ん?はい。(ポチッ)

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村越:うわ!光った!!!

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村越:おおおお!!??

三石:都内最大の閻魔像。江戸三閻魔の一つで、7月15日・16日に開帳されます。
開帳されてなくても、外からのぞけます。

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村越:異様にデカいし、コワい!

三石:わたし、子供の時にここに親と来てギャン泣きですよ。しかもこの閻魔様、別名が「つけひも閻魔」。まだこのあたりが宿場町だった江戸のころの話。「太宗寺」の境内で泣いた子供をあやしていた乳母がいたそうな。子供が泣き止まないので「そんなに泣いていると閻魔様にたべられてしまうよ」と言ったらピタリと泣き止んだ。

村越:怖いから逆に子供泣きそうですけどね。

三石:乳母がやっと泣き止んだと思ったら背中が軽い。みると子供がいなくなっている。いくら乳母が境内を探しても見つからない。その乳母がふと閻魔像を見ると・・・。閻魔像の口から子供を背負っていたおんぶ紐がぶらさがっていたという。

村越:閻魔様、子供食べちゃったんですか!?鬼が食べるならまだわかりますけど・・・。

三石:トラウマ閻魔様ですよ。さらにすごいのがその左隣・・・。

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村越:コワッ!!ナニコレ!!

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三石:これは三途の川で渡し賃もってない亡者の服をはぎとるばあさん、奪衣婆(だつえば)です。

村越:ダブルで恐怖ですね、ここ。

三石:このあたりは「遊郭地」ってさっき話したじゃない。なので、この辺りで仕事をする女性たちからは「服をはぐ」というので自分たちの商売の神様として信仰を受けたといわれています。

村越:服をはぐ・・・。ああ・・・(笑)。

村越:あと、ずっと気になってるんですけど。

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村越:これ、雪じゃないですよね。これは一体・・・?

三石:でました!!太宗寺名物、「塩かけ地蔵」!願い事を叶えてくれる「塩かけ地蔵」。

村越:いくらなんでもこれは・・・。

三石:塩をいただいて帰って、願いが叶ったら倍返しするというしきたりがあります。年に一度、塩を取り去っているのにこの量だからね。

村越:御利益スゴイんでしょうね、この倍返しの量ですから。

三石:そして江戸六地蔵の一つ、この「地蔵菩薩坐像」。

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村越:デカい!お地蔵様ってもっと小さいの想像していたんですが、基本的に「太宗寺」のは何を見ても度肝抜かれますね。

三石:ここに乗っかって遊んだのが幼い日の夏目漱石だったのです。
漱石の『道草』に、
「路を隔てた真ん向ふには大きな唐金の仏様があった。其仏様は胡坐をかいて蓮台の上に坐ってゐた。太い錫杖を担いでゐた。それから頭に笠を被ってゐた。
 健三は時々薄暗い土間へ下りて、そこからすぐ向う側の石段を下りるために馬の通る往来を横切った。彼はこうしてよく仏様へよじ上った。着物の襞へ足を掛けたり、錫杖の柄へ捉まったりして、後から肩に手が届くか、又は笠に自分の頭が触れると、其先はもうどうする事も出来ずにまた下りて来た。」
という一文が出て来るのだけれど、この笠をつけた唐金の仏様はこの「地蔵菩薩坐像」のことなのです。漱石の幼少期の体験を健三に仮託して書いています。

村越:「路を隔てた真ん向ふ」って書いてありますよ。漱石はこのあたりに住んでいたんですか?



三石:うん、太宗寺の近くにある、内藤新宿屈指の妓楼の「伊豆橋」に幼い時に住んでいたんだ。場所的には甲州街道を挟んだ「太宗寺」の真向かいあたりだね。



村越:え!漱石の家って遊郭を経営していたんですか?

三石:ううん、住んでただけ。漱石が養子に出た先の塩原家が、当時休業状態の「伊豆橋」を管理することになって、それでこっちに移ってきたらしい。そういえば後に夏目漱石の弟子になる芥川龍之介も明治末年から大正3年までの高校生活は二丁目にいたんだよ。

村越:その漱石が子供の時にいた「伊豆橋」の場所ってまだ見れますか?

三石:すぐ近くだよー。行ってみる?

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三石:ここがベストスポット!向こうの奥に太宗寺が見えるよね。手前の左側のレトロな建物。あそこにはちょっと前まで古本屋さんがあったんだけど、あのところまで昔は太宗寺があったんだ。さっきの巨大なお地蔵さんも元々はそこにあったらしい。

村越:それじゃあ幼少の漱石がいた伊豆橋は・・・

三石:ここから見て右側の建物。交番があるよね、あそこのビルの区画が漱石こと「塩原金之助」少年が数年暮らしていた伊豆橋だよ。

村越:本当だ、漱石の『道草』の「路を隔てた真ん向ふ」って書いてあるまんま!近い!なんか新宿二丁目が違ってみえてきましたよ!

三石:夜ばっかりじゃないのよ、二丁目は!

協力:三石 晃生(歴史学者/ 株式会社goscobe 代表取締役)
1981年東京生まれ。大学在学中に歴史学研究所の研究員に就任し、現在は同研究所の監事。2017年に世界初の歴史分析の手法を用いた歴史コンサルタント「株式会社goscobe(グスコーブ)」を設立、代表取締役社長に就任。2017年、TEDxTokyo yzに2年連続で登壇。また、日本財団と東京大学先端科学技術研究センターの異才発掘プロジェクト「ROCKET」SIGでも歴史担当の外部講師として異才の子供たちへ白熱講義を展開している。

[夏目漱石『道草』 青空文庫]
[All Photos by murakoshi]

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