カルチャー

子どもたちに自分のバットを インドネシアで自前製作、野中寿人さん

初のインドネシア製のバットをPRする野中さん
初のインドネシア製のバットをPRする野中さん

 インドネシアで野球の普及に取り組んでいる野中寿人(のなか・かずと)さん(59)が、現地で木製バットをつくるクラウドファンディングを募り、このほど目標額を達成した。日本製や米国製の用具は非常に高額で、気軽に購入するにはほど遠く、普及の妨げの一因になっている。この20年、技術指導を中心に活動してきたが、発想を変え自分の用具を所有し愛着を持つことから始めようと考えた。

▽自己所有で愛着深まる

 外国製の野球用具をインドネシア国内で手に入れようとすると、価格は1.5倍から2倍くらいになり、国民の所得を考慮すると簡単には買えない。用具も自分のものであれば野球への愛着は深まると考え、自前でバットを作ることを思いつき寄付を始めた。寄付の目標は350万円で、2月17日に締め切られ、約430万円集まった。材料代、木材を削りだす工作機械の購入費、人件費など、経費予算は533万円。木材を独特の丸みのある形に削り出すために、家具の脚を作る職人を充てた。約1,000本を新規に作り、日本から寄贈された500本と合わせ、困窮度の高い州から優先的に寄付する。

 日本国内の知人、友人のみならず、インドネシアに進出している日系企業などからも寄付を仰いだ。この際、役に立ったのが2018年にインドネシアでの野球活動の功績、日本とインドネシアの相互理解、友好親善の促進に貢献したことに対し、駐インドネシア日本大使館より在外公館賞(大使表彰)を受賞したこと。インドネシアの在留邦人ではちょっとした有名人なのだ。

▽甲子園球児、バリで始動

 日大三高時代に夏の甲子園に出場した元選手。2001年にバリ島に移住し、軟式野球の指導から始まり、リトルリーグを立ち上げ、硬式のクラブチームを設立した。こうした活動が認められバリ州代表チーム、インドネシア代表チームの監督を歴任。「私が代表監督に就任して理論にかなった指導法に代えた2007年が、インドネシア野球の分岐点になったと思う」という。当時、タイ代表の総監督だった江本孟紀さん(元阪神、南海、元参院議員)と知り合い、発展途上国における野球の普及について意見を交換して知見を広め、人脈を紹介してもらった。

2009年アジアカップ出場のナショナルメンバーを指導する野中さん
2009年アジアカップ出場のナショナルメンバーを指導する野中さん

 スポーツの多様化で野球を楽しむ子どもたちが減り、発展途上国での普及は野球界全体での課題だ。インドネシアのような野球文化が全くないといっていい国では、根付かせるのに工夫と根気がいる。野中さんは指導しているクラブチームの青年に、大学に進み体育教師になることを勧める。彼らが将来、野球を教えられるからだ。「一人の優れた指導者が野球を広めても限界がある。どの国にも一人はカリスマ的な指導者はいるが、彼に続く人材を育てられるかが大事だ」。

2017年に現地の高校生と野中さん
2017年に現地の高校生と野中さん

▽次はグラブ製作と球場整備

 野中さんの指導は東南アジアでは知れ渡り、スリランカ代表監督を務めたこともある。また、南アジアでは人気が高いクリケットのチームから、打撃コーチに招きたいという申し込みもあるそうだ。ただ「インドネシアに恩がある」という野中さんは、さらに野球定着のために第二弾、第三弾の普及策を描いている。「次はグラブの製作。材料は豊富だし、皮細工の職人もいる。その次がグラウンド整備」。国際規格に合ったサイズと、でこぼこの少ない水はけのいい芝のフィールド。こうした環境が整備されれば、キャンプや合宿で訪れる先進国のチームが増え、地元に需要が生まれ雇用ももたらされる。

2020年バリ島の硬式野球クラブを指導する野中さん
2020年バリ島の硬式野球クラブを指導する野中さん

 「日本でトップクラスの野球を体験した人間が発展途上国で野球の指導に当たれば、レベルアップにつながるし、同時に周辺産業を掘り起こして就職すれば、セカンドキャリア形成にもなる」。野中さんの構想は広がっていく。