調べてみた。
【侘(わ)び】質素なものにこそ趣があると感じる心。
【寂(さ)び】時間の経過によって表れる美しさ。
そう書いてある。
つまり、この世のものは経年により変化を起こす。現代では「劣化」なんて言葉をよく耳にするけど、逆にその多様で独特な美しさの寂びを楽しんで受け入れようというポジティブシンキングが、侘びであるということだろうか。
落語の楽しさの一つに、侘び寂び文化は確実にあると思う。若手のエネルギーに満ちあふれた落語もその時代のきらめきではあるが、おじいちゃんの落語家がボソボソしゃべっている深みと趣は格別だ。
これを、侘び寂びと言わずになんと言おう。
新しいものに疎いところのある若者ではあったが、年を重ねてそれが顕著になってきた。
早いか遅いかは分からないが、私は20代前半で落語にどハマりした。
そして、いま現在、落語への愛は増し続けている。
さらに例を挙げるなら…若い頃は、食べ放題なんてものにちょこちょこ行っていたが、いまは食べたいものを〝食べたい分だけ精神〟だ。割と小柄なくせに食べられるタイプではあったのだが、ここ数年食欲は落ち着いてきた。それでも同世代女性よりは食べるだろうけど…、甘味処(あまみどころ)でお吸い物と小さな餅米のおにぎりなんて食べている自分の姿は侘び寂びだ。
旅行に行ってもそう。
アクティビティーや買い物に明け暮れていた学生時代がうそのように、景色や滝を愛(め)でるようになり、温泉が恋しくなる侘び寂び。もう少ししたらロマンスカーデビューか?
ちょっと薄毛の男性にしっとりとした色気を感じる侘び寂び。
キュンとするポイントが明らかに変わってきた。ハツラツとしたエネルギーよりも、じっくりとおいしい食事をしながら、ゆっくりと語り合うことができる。こちらのほうがポイントが高い。
着実に中年への階段を登っているのだ。
かと言って、老いを全て受け入れているのとも違う。
まだまだ若い気持ちで老化にあらがっている私と、「中年万歳」と年を重なることが楽しくなっている私が共存しているのだ。
この時期限定の私。
蝶花楼桃花の侘びて寂びた(←私の造語です)姿が、自分自身もいまから楽しみだ。
蝶花楼桃花(ちょうかろう・ももか)/東京都出身。春風亭小朝さんに弟子入り後、二ツ目・春風亭ぴっかり☆時代に「浅草芸能大賞」新人賞を受賞。2022年3月、真打ちに昇進し高座名を「蝶花楼桃花」と改める。昇進披露興行、初主任興行、企画にもかかわった全出演者女性による「桃組」はいずれも大入りを記録。今年4月、東京・名古屋・大阪で「春の独演会」を開催。
(KyodoWeekly 2024年2月12日号より転載)