千年以上の長い歴史の中で醸されてきた日本の「発酵」。21世紀に入ってからは、世界各地の異文化と融合し、新たなカルチャーとして食のシーンを盛り上げている。伝統と革新がせめぎ合う発酵食の土台となる“麹”から、発酵の産物である酒造り、お酒と深い縁を持つ神事など、さまざまな側面で発酵カルチャーを広げる人たちを、4回の連載記事で紹介する。

シリーズの第1回は、2026年8月に著作『日本人の発酵史』(角川文庫)を刊行する小倉ヒラクさんへのインタビューである。本の中でも掘り下げられている「直会(なおらい)」という神事のことなどを中心に伺った。小倉ヒラクさんは、日本全国の発酵愛好者や醸造家が集まるイベント「発酵マーケット KOJI/麹」のキュレーターも務める、発酵ワールドの仕掛人だ。
インタビュー当日、小倉ヒラクさんは、2026年6月17~22日にかけて大阪市の阪神梅田本店・食祭テラスで開催されていた「第4回どっぷり高知旅」のトークイベントゲストとして来阪しており、雑誌『dancyu』の元編集長で、高知の「おきゃく」文化をテーマにしたドキュメンタリー映画の製作発起人でもある植野広生さんと対談していた。そのイベント中にいいペースで高知の地酒を飲んだ後の、和やかな雰囲気のインタビューになった。
――『日本人の発酵史』の元になったのが、2023年に刊行された『オッス!食国 美味しいにっぽん』という本ですね。それが改題され、加筆された上で今回文庫化されると。まずはこの本が書かれることになった経緯を改めて伺いたいです。
僕が日本中の発酵文化を調査していく過程で「神饌(しんせん)」というキーワードにたびたび出会うことがあって、その神饌って何かっていうと、「神様にお供えする食」のことなんです。ローカルな発酵食品の何割かが神饌として存在していることを知って、興味を持ったという、それがきっかけでした。「神饌って何?」っていうのがそもそもの始まりだったんです。
――冒頭、伊勢神宮の神饌の話から始まりますよね。
最初は神饌っていうものに対して、家庭でお供えしているものとか、地元のお祭りにお供えしている昆布とか生の魚とか、お米とか、そういうものをイメージしていたんだけど、調べていくと、発酵界隈の神饌には、神前でどじょうを生きたまま漬けるなれずしがあったりして、よくわからないんです。なんとなくイメージしていたものと全然違うものがあるんじゃないかというところから調べていきました。
――神饌になる食べ物にそんなにいろいろなバリエーションがあるというのは全然知りませんでした。
調べていく最初の方で衝撃を受けたのが奈良の春日大社と興福寺で、春日大社には全然知らない神饌がいっぱいあったんです。揚げ菓子みたいなものとか、棒餅みたいなものとか、すごく手の込んだ神饌がいっぱいあって。それまで神饌って食材そのものが捧げられているようなイメージだったんだけど、手の込んだ加工食品がたくさんあったんです。
――たしかに意外です。
自分が知っているつもりでいた神饌となんでこんなに違うんだろうと思って春日大社の方に聞いたら、かつて神饌として捧げるものは興福寺と一緒に作ってたっていうんですよね。それで気になって興福寺にも行ったんですよ。そこでまた話を聞いたんだけど、たしかに昔は一緒に作っていたと。仏教の神饌、「仏饌」というんだけど、それと神道の神饌っていうのはそれぞれ別にあって、その二つを一緒にお供えしていたっていう。それを聞いて僕の中の興味がバーストして(笑)。
――神饌だけでも知らないことばかりの世界なのに仏饌の世界もあるんですね。
神饌と仏饌は分かれてるんだけど、奈良ではそれをもう一緒くたにして神饌として捧げていて、それも面白いんだよね。
――その二つは、品目からして全然違うものなんですか?
コンセプトから全然違うんですよ。最初はそのコンセプトがよくわかってなかったんだけど、春日大社とか三輪大社とか談山神社とか、すごく古くから神饌をやっている神社をめぐって思ったのが、日本のアイデンティティーの根幹には食があるということだったんです。おいしいとかどうとかっていうことじゃなくて、食べ物っていうのがアイデンティティーそのものっていうか。つまり、食のあり方を見ていくと日本という国がどうやって成り立ってきたのかがわかるんじゃないかと、そういうことを考えたんです。
――そんなふうに食が国の根幹のような位置に置かれているのは、日本ならではなんですね。他の国にはないことなんですか?
あんまりないんですよね。まあ、中国は少し近くて、中国では古代の政治家が料理家でもあるんですよね。台所で使う「包丁」ってあるじゃないですか。あのもともとの語源って「庖丁(ほうてい)」っていう政治家の名前なんですよ。庖丁という政治家がいて、その政治家が、国を治めるために食べ物を綺麗に切り分けて、きちんと分配して、そのことによって民の不満をなくすということをやった。富の再分配という概念を持ち込んだのが庖丁という人で、そこから包丁という言葉が生まれているんです。
――へー! 知りませんでした。
食べ物を切り分けて公正に配ること、それがすなわち政治だと。それは古代中国の話だけど、日本はまた独自の考え方です。アジア全体がそうなんですけど、ヨーロッパとアジアを比べた時に大きく違うのは、アジアって、概念ではなく具体的な衣食住みたいなものから思想が始まっているんです。古代中国からの影響を日本は受けていて、庖丁のガバナンスのようなものを食が担っていた。そこでポイントになるのが仏教と神道で、仏饌と神饌がコンセプトから全然違う。神道では神饌について「山川海の味なもの」という言葉で表現するんですよね。山、川、海でとれたおいしいものをそのままの姿で捧げるというのが神道の考え方で、それに対して仏教は、「百味(ひゃくみ)の御食(おんじき)」っていうんです。それはどういうことかっていうと、ありとあらゆる食材を集めてきて、それを美しく食べやすく加工して、仏様に召し上がってもらうっていう考え方なんです。
――それだけ違うものが混ざり合っているという。
そうそう。いろいろな食材を加工してデザインして洗練されたものにしていくというものと、アンチデザインで、あるものをそのまま捧げるというものが両方あって、どっちかが生き残るというのでもなく、別々のまま存在している。
――なるほど、そうやって聞くと不思議な国に思えてきます。
旬のものを食べたいという気持ちがあって、一方で、流行りのレストランでめちゃくちゃ手の込んだ料理を食べてみたいとも思って、外から来たものをありがたがるところもあって、そういう、矛盾したものが日本には同時にあるじゃないですか。
――そうですね。神饌とか仏饌って、一度神様や仏様に捧げて、人はそのお下がりをいただくというものなんですよね? それはだから、たとえば興福寺側の手の込んだ料理も、春日大社のみなさんが一緒に食べるということですか。
そうそう。みんなで神饌も仏饌も食べるみたいな。
――そこにはお酒もあるんですか?
仏饌の場ではお酒を飲むのが禁忌なんですけど、神饌の場ではお酒はとても重要で、むしろ食べ物よりも大事で、だからみんなでお酒を飲むと。そういう共食の儀礼みたいなものはもともとミクロネシアから来てるんだと思うんですけど、たとえば台湾とかね。そこから直会というものが発生してくるという、それが面白いですよね。
――今回、『日本人の発酵史』として文庫化されるにあたって新章が追加されて、それが直会に関するパートだと聞きました。それはどういう内容なんですか?
日本中の直会に行ってみてわかったのが、直会っていうとお酒をみんなで飲む文化だと思うじゃないですか? あれは違うんですよ。いろいろ調べていくと、直会っていうのは食べ物と飲み物をちゃんとペアリングで味わうっていう、「サッパー」とか「バンケット」みたいなちょっとかしこまった場があって、それとは別にみんなでもう混ざり合ってお酒を飲みまくるような宴会があると、その間をつなぐものを直会というんですよ。
――そうなんですね。
直会って今はすごく儀礼化してしまっているんですけど、もともとは二部制になっていて、第一部はちゃんとしつらえられた料理とお酒を、あんまり騒がずに食べるっていう、儀礼的な場です。それが昔の神饌の形式で、これを「礼講」って言います。この時は自由に振る舞ってはいけなくて、自分の席について、あんまり喋ってもいけない。次に「無礼講」っていうのがあって、そこでは勝手に動き回って、好きなように酒を飲んでいい、それが無礼講なんです。
――無礼講という言葉の方だけはよく使われますもんね。
そう。そして、この礼講と無礼講を切り替える儀式のことを直会というんです。
――そうなのかー。
礼講でみんながだんだん疲れてきて、ご飯も食べたと、その時に村の長老とか、しかるべき人が、「本日はお日柄もよく」みたいな口上を述べて「じゃあ皆さん、神様の見ている場ですし、乾杯をしたいと思います。乾杯!」と、あれが直会です。会を直すということなんです。
――なるほど、それで直会なんだ。
ここで会が直ったので、礼講が終わって無礼講が始まると。でもそれで場が荒れてきたら、また村の長老が口上を述べて、会を直す。
――直会というのがそのまま飲み会みたいな意味合いなんだと思っていました。
そう考えてもいいんですけど、厳密に言うと会を直す、つまり場をリフレッシュすることを直会と呼ぶんです。それが日本の古代の政治のダイナミズムそのもので、食べることや飲むことによって、政治的な面で手綱を締めたり、緩めたりしてきたわけなんです。
――なるほど! そういう直会というものの解釈も深まる章が今度の『日本人の発酵史』に追加されていると。それはどこか具体的に取材に行ったりもしたんですか?
今回の本のために、高知と多良間島と与論島の3カ所に取材に行きましたね。それ以外にも過去に日本各地の直会を見てきているんですけど、そのことも含めて書いています。







