弁当作りを通じて子どもたちを育てる取り組み「子どもが作る弁当の日」に関わる大人たちが、自炊や子育てを取り巻く状況を見つめる連載コラム。「弁当の日」提唱者である弁当先生(竹下和男)が、学校給食のない中学生の昼食について考える———。
「親を集めてもう一回、講演会をしてください」
2004年の話です。香川大学教育学部附属の中学校で、全校生徒に食育講演をしました。後日、生徒の感想文が、私が勤務していた中学校に届きました。「食の大切さを知りました」「母親に感謝したいです」といった内容の丁寧な感想文の中に、たった1行の感想文がありました。
「親を集めてもう一回、講演会をしてください」。すぐに担当教員に電話をしました。感想文を書いたのは、「午前中の授業が終わると、お金を握り締めてコンビニに駆け込むA君だ」と教えてくれました。
学校給食は、学校設置者が中心になって準備します。公立学校の設置者は、地方公共団体であることが多いです。町立学校なら町が、市立学校なら市が、調理場を建設して調理員や栄養士を雇うのです。
現在は学校ごとに給食を作るのではなく、管内のすべての学校用に給食センターで調理し、各校に配送する「センター方式」が主流です。過疎化・少子化により、特に地方では学校の統廃合が加速しており、学校ごとに調理する「自校調理方式」は敬遠されているのです。
さて、県内の教育研究と教員養成を目的とした香川大学教育学部は、教育実習のためもあって附属幼稚園や小・中学校を抱えていますが、中学校では給食が提供されていません。附属学校は進学校としても人気があり、広域の児童・生徒が選抜を経て入学しています。本人が目指す高校や大学への進学のためなら、子にとって登下校が不便でも、親にとって毎日の弁当作りが大変でも、「将来」のことを思えば意味のある「我慢」だということです。
◆
A君の話に戻します。A君はなぜ、感想文に「親を集めてもう一回、講演会をしてください」と書いたのでしょうか。
親の仕事の都合で、たまにコンビニ弁当になるだけなら我慢できますが、毎日となると話は別です。A君が「弁当を作ってほしい」と言っても「作れない」「作りたくない」「好きな弁当を買えるお金を持たせている」といった返事が返ってきたということでしょうか。
そもそもこの感想文は、「弁当作りは親の仕事」と決めていて、「自分で弁当を作る」という発想は最初からないように取れます。自分を附属中学校に入学させるとき、親は、毎日弁当を作る覚悟をしているはずだ、ということでしょうか。
コンビニ弁当を買うお金はもらっているのですから、胃袋は満たされています。A君が訴えたのは「心の空腹感」で、これを満たしてくれるのは、弁当を作るという行為に込められた「親が自分に注ぐ愛情」だということでしょうか。
◆
私はむしろ、中学生なら、自分で作ろうとする気持ちを少しは持ってほしいし、弁当作りに取り組んでみてほしいと考えています。
親子で1週間の予定を確認・調整しながら、「親が作る」「自分で作る」「コンビニ弁当を買う」という3つの選択肢があれば、折衷案の解決策が生まれるかもしれません。夕食のおかずや常備菜を常に多めに作っておけば、弁当作りの時間も何とかなるかもしれません。そんな親子の話し合いがあってほしいのです。
「どんなに疲れて夜遅く帰って来ても、翌朝5時に起きて弁当を作ってくれている親に感謝しています」という友だちの感想文を読んでのいら立ちということなら、A君の気持ちも分からないでもありません。しかし、たくさんの感想文の中に「自分で作ることにします」というのがなかったのは、「子どもが作る弁当」について講演した私としては、少し寂しい話です。
高校受験を控えた全国の中学生の皆さん。「親に弁当を作ってもらうのが当たり前」という常識を、一度見直してみませんか。
竹下和男(たけした・かずお)
1949年香川県出身。小学校、中学校教員、教育行政職を経て2001年度より綾南町立滝宮小学校校長として「弁当の日」を始める。定年退職後2010年度より執筆・講演活動を行っている。著書に『“弁当の日”がやってきた』(自然食通信社)、『できる!を伸ばす弁当の日』(共同通信社・編著)などがある。
#「弁当の日」応援プロジェクト は「弁当の日」の実践を通じて、健全な次世代育成と持続可能な社会の構築を目指しています。より多くの方に「弁当の日」の取り組みを知っていただき、一人でも多くの子どもたちに「弁当の日」を経験してほしいと考え、キッコーマン、クリナップ、クレハ、信州ハム、住友生命保険、全国農業協同組合連合会、日清オイリオグループ、ハウス食品グループ本社、雪印メグミルク、アートネイチャー、東京農業大学、グリーン・シップとともにさまざまな活動を行っています。