つまり、義元が家康に示した答えは、「民こそが国のあるじである」というもの。前回、家康は「わしはこの三河を一つの家だと考えておるんじゃ」と語っていたが、「この国のあるじはわしじゃ」という言葉に照らし合わせると、その「家」とは自分に都合のいいものに過ぎなかったことが分かる。
義元の言葉は、そんな家康の認識を覆し、民の言葉に耳を傾ける必要性に気付かせてくれたに違いない。
多大な犠牲を払って自らの勘違いに気付いた家康は、いかに事態を収束させるのか。「家康の三大危機の一つ」といわれる一向一揆を乗り越えた家康は、また一歩“天下人・徳川家康”に近づいていくはずだ。
一向宗側の軍師となった本多正信(松山ケンイチ)との対決も含め、次回に期待したい。
(井上健一)