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「全米トップ40~放送開始50年記念イベント~追憶の甘い日々」 湯川れい子さんや歴代アシスタントらがそろってのファンの集い

「全米トップ40放送開始50年記念イベント」会場
「全米トップ40放送開始50年記念イベント」会場

 かつてのラジオ関東、現在のラジオ日本の看板音楽番組「全米トップ40」。洋楽ファンをとりこにした番組の放送開始から50年となるのを記念して、2023年2月19日に「GINZA Lounge ZERO」(東京都中央区銀座)でファンの集いが行われた。

 出演者が登場したあとは「出演者が語る『全米トップ40~一番の思い出』」のコーナーで、あわせて「全米トップ40で出会ったこの1曲」が発表された。

 トップバッターは司会の矢口清治さん。矢口さんは1978年5月から全米トップ40と関わりを持つこととなり、浪人生活を送りながら迎えた秋のヒット曲を選んでくれた。10月28日は矢口さんの誕生日だが、78年のちょうどその日にナンバーワンとなったのがニック・ギルダーの「ホット・チャイルド・イン・ザ・シティ」。「この曲にお祝いしてもらった」と矢口さん。

 次に登場したのが今泉圭姫子さん。素敵なファッションに身を包んだ今泉さんの第一声は「スティービー・ニックスです」。フリートウッドマックの歌姫スティービーを名乗る「スヌーピー」の図々しさ(笑)をとがめる声はなく、会場はあたたかい雰囲気に。

 当時、山梨にいた今泉さんは一生懸命ラジオのチューニングをして番組を聞いていたという。そこで湯川れい子さんが紹介してくれたクイーンの当時の新曲「愛にすべてを」を選んでくれた。「クイーンの中でもトップ3に入るくらいに好きな曲です」

 「チャッピー」こと山本さゆりさんは、大好きなバンドが来日した時に頼み込んで湯川さんについて行ったのだという。湯川さんがインタビューをしているあいだ中、チャッピーはそのバンドのボーカリストをずっと見つめていたという。そこで選んだのがグランド・ファンク・レイルロードの「バッドタイム」。「ボーカルのマーク・ファーナーの筋肉質の上半身の裸がかっこよくて、そこから私、ロック少女になったんです」。

 坂井隆夫さんはトップ40のチャートをノートに記録していたことや、「目次の目次」を作って整理していったこと、増えすぎてしまったノートをリスナーにプレゼントしたことを回想。そして、自分の葬式の時に流してほしいとして作った15曲入りのCDのタイトルナンバー、レオ・セイヤーの「はるかなる想い」をこの1曲として選んだ。

 湯川さんは番組の一番の思い出として1977年にエルビス・プレスリーが亡くなったこと、その3年後にジョン・レノンが非業の死を遂げたこと、(2月18日に)オノ・ヨーコさんが90歳の誕生日を迎えたことを挙げて、「歴史に残る人たちと交流しなかったら、自分が世界の一員であるという感覚はなかったと思う。財産です」。湯川さんが選んだのはマイケル・マーフィーの「ワイルドファイアー」。1975年6月22日付から2週連続で3位。

 第2部では、アメリカから毎週届く番組の原盤レコードの話や、本国のトップ40の専属ライターたちの話、ケイシー・ケイスンはDJではなく原稿を読む人だという話などが紹介された。そして、坂井さんの人気コーナー「ジョークボックス」が再現されて、クイーンの楽曲からの“空耳アワー”「ガンバレタブチ」などが再び会場を爆笑の渦に。

 出演者からのお宝プレゼントも行われた。矢口さんからはスポンサーの協力で作られたテレホンカードなど。今泉さんからはマイケル・ジャクソンの「スリラー」が1位になったときにレコード会社が作った「ふちに踊るマイケルの姿があるラーメンどんぶり」、チャッピーはベイ・シティ・ローラーズ5人全員のサインが入った初来日時のプログラム、坂井さんからは1983年のロックダイアリー、そして湯川さんからはとっておきのジョン・レノンの未開封のカレンダー。「ヨーコさんから直接送ってくれたもの」

お宝プレゼントのジョン・レノンのカレンダーを手にする田中千栄子さん
お宝プレゼントのジョン・レノンのカレンダーを手にする田中千栄子さん

 貴重なジョンのカレンダーを、希望者によるじゃんけんの結果、ゲットしたのは田中千栄子さん。「親友がジョンの大ファンでした。(亡くなった)彼女が来たのかと思いました」と語った。また、湯川さん直筆の手紙もあるのを見つけて、感無量の様子だった。

 第3部はいよいよ参加者が全米トップ40で出会ったこの1曲。リスナー代表として5人が選ばれた。ラジオで耳にして気に入っていたが姿は見たことがなかったそのアーティストの武道館コンサートに参加した、高校時代の思い出とともに紹介されたのはイーグルスの「呪われた夜」。1975年8月2日付のナンバーワン・ソングだ。

この1曲として選ばれたイーグルスの「呪われた夜」
この1曲として選ばれたイーグルスの「呪われた夜」

 次に1979年夏に横浜ジョイナスで行われた全米トップ40の公開収録に参加したという女性が登場。「17歳のころに戻っています。その時、“グリーンのチェックのシャツを着ている子”と呼ばれたんです」。彼女が選んだのはリッキー・リー・ジョーンズの「恋するチャック」。まさにその頃、1979年7月に最高位4位のナンバー。

 3人目は大学時代に名古屋で下宿していた時の野良猫との出会いと別れについて語ってくれた男性で、春休みに実家に帰っていた間に、その猫が衰えてしまい、結局は亡くなってしまう。「猫が天国に上がっていくという思いがわいてきて、とめどもなく下宿の一室で泣きじゃくった。その時に流れたのがこの曲」だといって紹介したのはフリオ・イグレシアスとウィリー・ネルソンの「かつて愛した女性(ひと)へ」。1984年5月に最高位5位。

 4番目に登場したのは愛知県の田舎の生まれだという男性。「深夜になると番組は聞こえてはいたが、雑音が多くて、ランキングは穴あき状態となり、FENを聞いたりして、チャートを埋めていた」という。「このバンドはこの曲以外は知らないし、メンバーも知らない。メロディーがずっと頭の中に残っていた」というプレイヤーの「ベイビー・カム・バック」をこの1曲として選んでくれた。1978年1月14日付から3週連続の1位を記録。

 洋楽ブログ「Never Ending Music」を書いている男性が登場。英語を学校で勉強し始めたころで、湯川さんの対訳には感謝あるのみ、「恩人」のように思っていると告白。選んでくれたのはミートローフの「66%の誘惑」。これは1978年7月8日に最高位11位。

 最後に湯川さんが生対訳。「いまというこの道を再び通ることはない」と歌われるシールズ&クロフツの「この道は一度だけ」を選んだ。

 出演者による一言の締めはやはり湯川さん。「ここにあなたが座っているということは、それをあなたが選んでいるということ・・・私たちは世界の一員としてその時代を受けとめている。その時代にいることを楽しんでいる。それこそが人生の最高に美しく醸造されたワインのようなものだと思っていて、そういう感覚を皆さんにも持っていてほしいのです」