8月26日から高知県立高知城歴史博物館で坂本龍馬が兄の権平に送った手紙の原本の一部が新たに発見され展示されている。今回発見された手紙の原本は、全長6mと推測される「龍馬のいちばん長い手紙」の一部。
「龍馬のいちばん長い手紙」はこれまで「澄心斎(ちょうしんさい)」という人物が写したものが現存していた。今回発見された手紙の原本は全体の4割程度であるが、大変貴重な資料である。
新発見された手紙で最も注目される内容が、「寺田屋事件」を龍馬自身が考察し手紙に記したもの。
寺田屋事件は、薩長連合が成立した2日後の慶応2年(1866年)1月23日、伏見の寺田屋で幕吏に龍馬が襲撃された事件。龍馬は負傷しながらも薩摩藩邸に逃れた。
この寺田屋事件について、龍馬自身が「寺田屋に捕り手が来たのは龍馬が幕府の敵である長州・薩摩の間を往来しているため」「薩摩藩が龍馬を庇護したことで幕府への対抗を世間に意思表示した」「幕府の慌て者が龍馬を襲ったことで、薩摩藩の方向性が早く決まっていった」「薩摩屋敷では小松帯刀や西郷隆盛らが思いがけない幸いと大笑いした」といった内容を手紙に書いている。
寺田屋事件が薩長連合成立後、薩摩藩内で迷いがあった中で、対幕府路線を明確にさせる出来事だったことが手紙から読み取ることができる。
高知城歴史博物館では「澄心斎の写し」と「原本」を並べて展示。原本は写しと比べ「ひらがなが多い」「短銃の文字にピストルとルビがふられている」「両親の歌をおねだりしている」など異なる点も必見だ。
大政奉還、明治維新と歴史を変えるきっかけとなった龍馬の手紙は10月23日まで公開。
また、高知城歴史博物館では「幕末と維新 歴史教科書を読む」企画展も開催。高校の教科書を切り口とし、混沌とした時代を理解するためのパネルや資料を展示。大学受験に出題されそうな問題も展示してあるので、学生時代を思い出し解いてみては?