宇検村(うけんそん)は奄美大島の西南部に位置する人口約1600人の小さな村だ。リアス式海岸が織りなす美しい海岸線。奄美群島最高峰の湯湾岳から流れる稜線に輝く緑。鮮やかな色彩のコントラストに心も和む。
マグロや車エビ、真珠の養殖が盛んで、タンカンやマンゴー、パッションフルーツの栽培も積極的に行われている。村域の9割は山地。山からの湧水を活用した奄美黒糖焼酎も名産品だ。
2020年12月、同村で初となる外国人の地域おこし協力隊が着任した。オーストラリア出身のマシュー・サイモン・プライドさん(47)だ。地域おこし協力隊は、1年以上3年以下の期間、地方自治体の委嘱を受けて地域で生活しながら地域協力活動を行う。
着任から1年。村民からは「マットさん」の愛称で親しまれ、積極的に活動を続ける姿を追った。
マットが来たぞ~ 宇検村に来たぞ~
「重要なのは、余計なことをしないこと。むやみに人工物を造らず、宇検村の自然を残すことです」。日本に移り住んで22年。宇検村6人目の地域おこし協力隊に任命されたマットさん。流暢な日本語で打ち合わせに臨む。
地域おこし協力隊となるきっかけは、4年ほど前。東京の展示会業界で働いていたマットさんは、イベントを通して宇検村出身者と知り合った。その人の勧めで、奄美大島に同行。空港で出迎えた宇検村の人の話し方が忘れられないという。「初対面なのに昔からの友達みたいな感覚で話し掛けられ、温かい人柄を感じた」
「海も山も美しく、食べ物もおいしい。何より印象に残ったのは宇検村民の人柄だった。子どもたちのキラキラした目、おばぁたちの自然な笑顔。気持ちに余裕がある証拠だと思った」
それ以来、年に一度は村を訪れるようになった。来れば来るほどまた来たくなる。他の観光地では感じたことのない魅力に引き付けられ「本気で宇検村に住みたいと思うようになっていた」
マットさんの活動を高く評価するのは、元山公知宇検村長。「彼の人柄なのでしょう。年齢や性別を問わず、多くの村民から親しまれている。勉強量にも感心。村の歴史を学び、自然や景観をそのまま活かした観光メニューを開発する。『村長! そのままがいい。ありのままの宇検村が魅力なのです』と熱く語る彼から学ぶことも多かった。地域行事にも積極的に参加し、小中学校では英語教育の補助も行う。スピーチコンテストで優秀な成績を収めた生徒も出ており、『英語アレルギー』の壁が子ども達の間で無くなっている。子どもだけではない。『ハロー』の後は日本語が通じる安心感からか、高齢者も気軽に彼との会話を楽しんでいる」
「日本語が上手だから、会話も楽しい。それより私達の話に熱心に耳を傾けてくれる」と話すのは、芦検(あしけん)集落に住む髙橋良子さん(90)だ。「彼が質問するのは、村の昔のことや生活の様子。宇検村の歴史を大切に守ろうとしているのが伝わってくる。あとは、センスがあるんですよ。草刈りをお願いしても刈りすぎず、刈らなさすぎず。周りの景観や風景を損なわない絶妙な塩梅を心得ているのが良くわかる。宇検村に来てくれてありがとう。私も楽しい」と笑顔で話す。
「うんまま(そのまま)宇検村」自身が出演するラジオ番組 名前に込めた思い
村内を主たる聴取エリアとするコミュニティFM局「エフエムうけん」。マットさんは毎月1回、レギュラー番組を持っている。番組名は「うんまま(そのまま)宇検村」。ありのままの村の姿を大切にしたいという自身の思いを込めた。
放送内容は、屋外からのレポートが中心。英語と日本語、覚えたての方言を加えて約20分の番組を組み立てる。
屋外収録ではボイスレコーダーを片手に自然の中を駆け抜ける。時には電動自転車で。時にはSUPの上、時には山間の渓流を駆け上がりながら。
「みなさん、アウトドアウェアやグッズだけは良い品質のものを準備しましょう。今、私が履いているリバーシューズというものは、つま先に穴が開いています。水が抜けるので、快適に沢を歩けます。グリップがきいているので、滑りません」。「電動自転車は電池の性能が良いものでないと途中で止まってしまいます。宇検村は都会ではありません。気軽に充電もできません。あと、山が多いですね。坂道を楽々と上がるには、性能も良い方が楽しめますよ」
「雨具も良いものを選びましょう。雨の日は、落ち込みます。良い雨具なら、雨さえも楽しくなりますよ」
自らの安全や快適さだけを求めているのではないとマットさんは話す。「観光旅行で宇検村に来た方への安全配慮は第一ですが、何より楽しんで欲しいのです。『雨の日でも楽しかった』『体力に不安があっても急な山道を楽しめた』などの素敵な思い出をお土産にして欲しいのです。良い装備は決して贅沢品ではありません」。番組では自身の体験に基づいた自然を楽しむためのヒントも満載だ。
NPO法人「エフエムうけん」の向山ひろこ事務局長(57)は「私たちの局は、村民による村民目線の番組を提供しています。マットさんの番組はしっかりと地に足が着いた村民目線の内容。彼は番組の中で覚えた方言を披露するのですが『あ、これはおばあちゃんから教わったな。この言葉はおじいちゃんからだな』と出所がわかって微笑ましい気持ちになります。老若男女全ての村民と明るく交流を続ける彼を頼もしく思っています」と目を細める。
誰にでも「わかりやすく」「楽しい」デザインに
出版社での勤務経験もあるマットさん。漢字に馴染みのない外国人旅行客のために、村内にあるバス停のデザイン変更に着手した。ローマ字を表記し、時刻表は大きな文字で。更に車両のデザインも。
「まず、高齢者の方にも読みやすいように大きな文字にしました。バス停にはローマ字をふりました。色はシンプルな白一色。私は日本の道路に多く掲げられている派手な色の看板が、宇検村には馴染まないと考えました。集落名がバス停の名前になっている所も多いので、バス停が集落名の看板代わりになるとも考えました。バスの車両には明るい空と海の色をイメージ。道端に生えているバナナの葉も側面に盛り込みました。車窓にバナナの葉が映り込むと一体感が生まれます」
村職員が使う名刺のデザインもリニューアルを提案。「全ては宇検村の自然をイメージしました。『オーシャン&スカイブルー』『タンカンオレンジ』『森に囲まれた宇検村のフォレストグリーン』の3色です。渡す側は古里の誇りを色と共に説明する。名刺を渡される側は、好きな色をチョイスする。より宇検村が印象に残るファーストコンタクトになります」
村の今を生きて 素晴らしい自然を次世代に
宇検村立久志小中学校は小学児童18人、中学生徒3人が通学する小規模校だ。校長の徳永由美子さん(56)は「彼との交流は、中学生の英語力を向上させました。一方通行ではなく、生徒の声に耳を傾けて丁寧に指導する。スピーチコンテストでは堂々と発表する生徒の姿がありました。小学生の中には「マットの日本語に負けないように私も英語を頑張る」と話す児童もいます。彼の情熱と責任感は、児童や生徒に限らず私達教職員にも良い影響を与えています」と話す。
「さあ、宇検村を一望できるシークレットプレイスに案内しましょう」。案内されたのは峰田山公園。高台の駐車場に車を停めた。「さあ、ここから20分山を登りますよ。階段は整備されていますが、急な坂道が続きます」
重いカメラバッグを抱え、息を切らして登り続ける。急勾配を登る間もマットさんのガイドが続く。
「宇検のイノシシは本当に美味しい。日本本土のイノシシと違い、リュウキュウイノシシという小ぶりのイノシシ。肉食で育ったオーストラリア出身の私も太鼓判の味です。特産の車エビを使ったカレーも美味しい。デザートには宇検村の卵を使ったプリン。濃厚なのです。甘すぎない自然な味。世界の人に食べて欲しい。宇検村の自然の中で味わって欲しい」
山頂の展望台に着いた。海風が晩秋の山々を撫でる。風に吹かれた葉が裏表を繰り返すたび、葉の緑と裏側の黄色が入れ替わる。
「世界自然遺産に登録された奄美大島には、世界中の方が島にやって来るでしょう。私はありのままの宇検村を伝えたい。そして、素晴らしい自然を子ども達の世代に受け継がなくてはならないと強く思います。『ありのまま』は自然だけではありません。『ありのまま』は宇検村の人々の生活にもあります。村民は心に余裕があるように感じるのです。その心の余裕が人間の味となって、私の心を打ち続けるのです。私は宇検村に来て本当に良かった。これからも感謝の気持ちを忘れず、持てる力を注ぎたいと思います。村の今を丁寧に生きたい。決して自分勝手な『これがいい』ではなく、『ありのまま』を私の人生の支えにしたいと思っています」
外国人による地域おこし協力隊を受入れた宇検村。マットさんの情熱と行動力が村に変化を与えている。日本語に堪能なこともあり、コミュニケーションには困らない。世界で様々なキャリアを積み重ねた彼だが、地域の実情にマッチしない机上の空論を主張することもない。他人の意見をそのまま持ち込むこともない。何より地域を良く見ている。積極的に交流を重ね、疑問はすぐに質問する。
一貫していたのは、村民と地域に対する敬意だった。「楽しければいい」「観光客にウケればいい」といった発想を彼は嫌う。「そのままがいいのです」と話す言葉の裏側には、確固たるビジネスマインドも見え隠れする。村が歩みを続けるためには、原資も必要だ。生産性と環境保護。両立が困難とされる課題から逃げることなく挑もうとしている。行政も彼の努力に協力を惜しまない。
2017年に村制施行100周年を迎えた宇検村。村は「ありのまま」が「ありのまま」であるための一歩を力強く踏み出している。マットさんの地域おこし協力隊の任期は2023年11月。「村のために、奄美のために。私ができることを一生懸命に頑張る。みんなと頑張る。大好きな日本。大好きな奄美。大好きになった宇検村」。作業着がすっかり板についた彼の笑顔がどこまでも眩しかった。
編集・制作=南海日日新聞社
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