因果関係もなければ、理由も大きく異なり、全くの偶然にすぎないが、日米の議会の長が相次いでその職から離れることになった。細田博之衆院議長は体調不良を理由に議長辞任の意向を示し、米国のマッカーシー下院議長は建国以来初めてとなる解任決議の可決により、既に議長職を退いている。もっとも、いずれもすぐに後任が決まらない点では似ているかもしれない。
細田氏は議長を辞任するものの、次期衆院選に立候補する意欲を見せたことから、「整合性がとれない」(野党・国対関係者)などの批判が出ている。しかし、今から40年近く前の昭和60年1月、通常国会の開会式のリハーサルで、当時の福永健司議長が体力の衰えから後ろ向きに階段を下りる右進退左の動作ができなかったとの理由で議長を辞任したものの、次の衆院選に立候補して15回目の当選を飾った例がある。細田氏の場合も、議長辞任を政界引退に結びつけるのには、やや無理がある。
しかし、細田氏を巡っては、これまで旧統一教会との近い関係や女性記者に対するセクハラ疑惑、さらには国会が決めた「一票の格差」の是正策への批判などに関し、十分な説明は回避されてきた。ウケを狙ったのかもしれないが、「議長になっても議員歳費は毎月100万円しかない」と発言してひんしゅくを買ったこともある。13日に記者会見を開き、こうした問題に対する丁寧な説明が行われるのであれば、議長辞任にはそれなりのメリットが期待できる。
そもそもわが国の衆院議長には“一丁上がり”のイメージが付きまとう。そのため、二階堂進元幹事長のように、かつては議長に棚上げされるのを嫌って、かたくなに拒んだ議員もいる。「たとえ自民党の大物議員であっても、ひとたび議長になれば“権力の人”から“権威の人”になる」(自民・中堅議員)から、当然かもしれない。それに加え、憲法で「国会の国権の最高機関」とうたわれているにもかかわらず、その議長は実質的に時どきの政権の“下”に置かれてきた。
大島理森前議長や坂田道太元議長、保利茂元議長のように、中にはうってつけの議員が議長を務めたことはある。しかし、多くの場合、議長は名誉職に近く、“お飾り”の存在であった。自ら何かを成し遂げたいという意欲を示すどころか、事務局が用意した原稿を読み上げながら本会議を進行するだけの議長がほとんどであった。「あれでは風呂屋の番台のほうが遥かに忙しい」(野党・元議員)との指摘は、あながち間違っていなかったかもしれない。
議長が“お飾り”になってしまうのは、わが国の国会や議院内閣制の制度的な特徴も一因であるが、そもそもの人選方法に大きな問題がある。つまり、「議長にふさわしい人」ではなく、幹事長経験者や派閥の領袖といった経歴、さらに時の首相の政治的な思惑から選ばれることが多いからである。その結果、国会改革や議事運営に全く関わってこなかった議員が議長に就くこともある。
現在のところ、臨時国会は10月20日に召集される予定になっており、その日のうちに新しい衆院議長が正式に選出される。今回も首相の胸先三寸で決まるが、「聞く力」を売りにしているのであれば、岸田文雄首相は後任議長に誰がふさわしいのかを与野党にきちんと聞くべきである。いやしくも、誰を議長にすれば来年の総裁再選を有利に展開できるだろうかといった発想で選ぶべきではない。もしも本当に「聞く力」を発揮すれば、森山裕総務会長など、ほんの数人しか適切な議長候補はいないはずである。
中森明菜が「飾りじゃないのよ涙は」をリリースしてから、来年で40年である。その時代に青春を過ごした人たちは、今でも自然と口ずさむ。細田議長の後任を決める今、岸田首相にはぜひとも“お飾り”にならない議長を選んでもらいたいものである。誰が後任議長に選ばれるかによっても、岸田首相の資質の有無が明確になる。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。