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【スズキナオが聞く“発酵する人々”】第2回 クラフトサケブランド「LINNÉ」の今井翔也さんに「醸造と今のこれから」について詳しく聞く

「LINNÉ」の今井翔也さん

 千年以上の長い歴史の中で醸されてきた日本の「発酵」。21世紀に入ってからは、世界各地の異文化と融合し、新たなカルチャーとして食のシーンを盛り上げている。伝統と革新がせめぎ合う発酵食の土台となる“麹”から、発酵の産物である酒造り、お酒と深い縁を持つ神事など、様々な側面で発酵カルチャーを広げる人たちを、4回の連載記事で紹介する。

 シリーズの第2回は、京都を拠点とするクラフトサケブランド「LINNÉ(リンネ)」で固定観念にとらわれない酒造りを続けている今井翔也さんへのインタビューである。

 軽やかなフットワークと行動力とで、国内外のあちこちで経験を積み重ね、醸造そのものだけでなく、その歴史や文化的な背景についての知識も深めてきた今井さん。醸造の今とこれからについて考えていることをたっぷりと聞かせてもらった。

 ちなみにインタビューを行ったのは、京都・清水にある「五条坂京焼登り窯」という、明治時代に築造された巨大な陶芸用の窯が今なお残る場で、今井さんはこの敷地内にシェア型醸造所とレストランを開設すべく、改築を進めているところだそう。

――今井さんは京都を拠点にして「LINNÉ」を運営されていますが、まずはそこに至るまでの経緯をお聞きしてもいいでしょうか。

 「LINNÉ」を立ち上げたのが2年前で、来年(2027年)の春にはここに「五条坂醸造所」という自社醸造所の一つ目ができる予定です。これまではファントムブリュワリー(自前の醸造所を持たずに他の醸造所と提携して酒造りを行うブリュワリーのこと)として、全国を転々としながらお酒を造ってきました。どんなお酒を造っているかというと、栗や蕎麦など、米以外の素材を麹にするという、誰も醸造酒でやったことがないような挑戦をしています。そのクラフトサケのブランドが“八百万”から取った「800(ヤオ)」というものです。もう少し先の計画では、この五条坂とは別にもう一つ、京都・宝ヶ池に酒蔵を立ち上げて二つの拠点でやっていきたいと考えていて、準備を進めています。

――過去のインタビューを拝読していると、この今にたどり着くまでにすごくいろいろな経験をされているんですよね。ご実家が酒蔵だとか。

 そうなんです。実家が群馬県にある「聖酒造」という酒蔵でして、創業は江戸時代の後期、1841年で、私の兄が八代目としてやっています。私のきょうだいが4人いるんですが、姉を除く男3人が全員酒造りをしているんです。一番上の兄が実家を継いで、二番目の兄は愛知の「二兎(ニト)」というブランドで蔵人をしていて……私は実家を手伝うというよりは、実家を含む酒業界全体を盛り上げるにはどうしたらいいかと考えて、それで「WAKAZE(ワカゼ)」というブランドを立ち上げたのが2016年でした。

京都・清水にある「五条坂京焼登り窯」でお話を聞く

 「WAKAZE」で酒造りをしていく上で、秋田の「新政酒造」、富山の「桝田酒造店」、新潟の「阿部酒造」などで勉強をさせてもらいました。そうやって酒造りを学んでいく過程でいろいろな副原料を発酵させる、いわゆるクラフトサケにも挑戦しようと自社醸造を始めたのが2018年です。「三軒茶屋醸造所」というマイクロ醸造所を立ち上げて、麹を育てて千本ノックのようにレシピを磨いていって、その醸造所を他のメンバーに引き継いだ後、2019年にフランスに行って、「KURA GRAND PARIS」という醸造所をパリで立ち上げました。

――すごい。数年ごとに目まぐるしく環境が変わっていくような感じですね……。

 「WAKAZE」では「“日本酒”を“世界酒”に」というビジョンを掲げていまして、フランスでの酒造りに挑戦するというのは当初から考えていたことだったんです。フランスは水が超硬水という感じで、ミネラルがたっぷりで、そういう意味でも日本と全く違う環境でしたし、もちろん文化的にも違う。そういう環境で4年半にわたっていろいろと挑戦をして、その間にはコロナ禍もあったり世界情勢の影響もあったりしていろいろ大変だったんですが、途中で宝酒造と事業提携をすることになったんです。特に4年半のうちの最後の方は、宝酒造さんと一緒に、フランスから京都へ、また戻ってきて今度はフランスからアメリカのカリフォルニアへ、と出張を繰り返す日々でした。最終的にはカリフォルニアで缶入りのスパークリング日本酒「SummerFall(サマーフォール)」をリリースすることができて、それが2024年だったんですが、そこを区切りに独立して「LINNÉ」を立ち上げて、という流れでした。

――自分がのんびり生きてきた時間とあまりに違い過ぎます(笑)。でも、インタビューを拝読すると、フランスに行った当初はもうずっと拠点をそっちに移して活動していくつもりでいたそうですね。

 そうですね。もう戻らないぐらいのつもりでした。ただ、自分が宝酒造さんとタッグを組んで酒造りを進めていく中で、(宝酒造のある)京都にも縁ができて……結果としては巡り巡って日本に帰ることになったんです。というのも、日仏米で仕事をしようとすると、時差がだいたい8時間ずつなので、地球を3等分するような感じで、24時間、どこかで酒造りをし続けているような感覚になるんです。とても楽しかったのですが、時差的にも移動的にもさすがにしんどいので、特に最後の方は「せめて日米のどちらかに拠点を置いた方が合理的だよね」ということになって、もちろん家族とも話した結果、やっぱり日本に戻る方がいいなと。

戻らない覚悟でフランスへ渡ったという今井さん

 ただ、その時にはもう三軒茶屋醸造所も閉めていたので、自分が酒造りをする場がないな、どこでやっていこうかと考えていた中で、宝酒造さんとの縁もありますけど、それだけではなく、一緒に「LINNÉ」を立ち上げたのが京都の伏見出身のシェフなんですけど、彼からも「京都でやろうよ」と言われていたりして、そういういろいろなことがピタッとハマったというか。ただ、醸造ができる場所は簡単に見つかるはずがないと思っていたんです。それが急にいくつかいいお話をいただいて、その一つがこの五条坂だったという。

――海外での経験を経て、歴史ある京都にたどり着くというのも、なんだか面白いですね。

 そうですね。あのままフランスにいたとしたらできなかったことはなんだろうかというのを意識した時に、自分が日本のことを全然まだまだ知らないなと思ったんです。酒造りをする上で素材に向き合ったり、その地域の歴史を知ったり、「LINNÉ」の原点には宮大工のものづくりの世界があるんです。

――神社の社殿を建てたりする、あの宮大工ですか。

 はい。宮大工の職人さんが造るものって、その土地の神社やお寺なので、当然その土地に向き合って、その土地に祈りを捧げるような仕事の仕方になっていくわけです。自分たちの酒造りにもその宮大工のものづくりの姿勢をトレースできないかと思いながらブランドの方向性を考えていったところがあります。

――宮大工をモデルにすると変わってくる部分があるんですね。

 京都という土地そのものにも向き合う必要がありますし、継続的なものづくりをしていくためには人を増やす、造り手を増やすということも重要になります。この場所をシェアリングブリュワリーにしたいのもそのためで、この登り窯と一緒で、みんなで一つの設備を共有して、その交流も含めた文化を土地に根差して築いていけたらという思いもあります。これまで自分の中で焦ってものづくりをしてきたことの代償がたくさんあった気がしたんです。自分の限られた寿命の中で何とかしようとすると、焦らなきゃいけないんだけれども、それがファーストな仕事の仕方だとしたら、寿命を超えるような時間軸の、スローなものづくり、何百年先も見据えたような仕事をしたいと考えた時に宮大工さんという存在が自分の中で大きくなってきたという。