-話は変わりますが、番組の中で『GODZILLA ゴジラ』(14)に出演したとき、最も大事にしていたシーンをカットされたことを悔しそうに語っていたのが印象的でした。そういう経験をすると、ご自身で監督をしようという気になりませんか。
クリントの作品(『硫黄島からの手紙』(06))をやったとき、「僕の気持ちを全て酌み取ってくれる優秀なスタッフが全部署にいたら、やってもいいかも」と一瞬血迷ったことはあります(笑)。でもやっぱり、僕はただの俳優なんですよね。編集が苦手で。どうしても演者の気持ちになっちゃうので、無慈悲には切れない。
-編集は他の方に任せることもできますよね。
そうすると、「なんであれ切ったの? それは俺の作品じゃない」って文句言っちゃうから(笑)。
-なるほど(笑)。
実はちょっとさかのぼるんですけど、僕が主演したフジテレビの時代劇「御家人斬九郎」(95~02)で監督をしたことがあるんです。でも、それは最終回だったし、主人公を主観的に見る話にしてもらったので、やれただけで。
-クリント・イーストウッドは、俳優から監督になりましたが。
あそこまでは、割り切れないですね。クリントの割り切り方はすごいですよ。あと、僕らが思う以上に俳優を信頼してくれるから、すごく責任を感じる。だから、ニノ(二宮和也『硫黄島からの手紙』で共演)にも、よく「映画は100年ぐらい残るから、ちゃんとやろうぜ」と言っていたんだけど(笑)。それに対応できるところが、ニノの良さでもあるんですよね。クリントもそういう部分をうまく見分けて、ちゃんと差配している。あれはちょっと、僕にはできないです。
-『明日の記憶』(06)、「TOKYO VICE」(22)などで、プロデューサーは務めていますね。
これぐらい続けていると、作品をよくするためにはどういう方法論を取ればいいのか、ということに関しては、多少なりとも手助けできるわけです。俳優だけやっているときでも、似たようなことをする機会はあるので。例えば、現場で、「もうすぐ日が落ちるから、今日は撮影を先に進めないと駄目だと思うよ」みたいなことを言ったり。それはある意味、プロデューサー的な目線なので、その辺で僕が力を発揮できることはあると思うんです。でも、監督は「集めた素材を、イエスかノーかでぶった切る」みたいな、もうちょっと冷酷な判断が求められるので。
-だから、そこまでにしておこうと。
はい。ブレーキを踏んでいます(笑)。
(取材・文・写真/井上健一)