「AI技術の進展で、専門職の仕事はどう変わるのか?」
現在、あらゆるビジネスシーンで叫ばれているこの問い。特に、膨大な条文や判例を読み解く「法務・法律」の領域は、生成AIの波が最も激しく押し寄せている分野の一つです。
AIが急速に普及し、これまで「人間(専門家)の聖域」とされてきた法律や法務の領域にも、テクノロジーが深く入り込んでいます。業務の効率化への期待が高まる一方で、「AIが何でも教えてくれる時代に、人間の役割はどう変わるのか?」「AIの出した答えに基づいて下した判断の責任は、誰が持つべきなのか?」という、現代社会を生きる私たち全員に関わる大きな問いがあるのも事実です。
法律関係者はリスクとどう向き合い、AIを利用したらいいのでしょうか。
ここに、弁護士やコンプライアンス担当者、金融機関などが法令調査やリスク管理などの調査を行う際に利用するサービスを提供してくれる世界的な情報・データ分析会社があります。それが「レクシスネクシス・ジャパン」(東京都)です。
同社は1999年に日本でオフィスを開設。AIを活用し、法令やニュース、知財情報などを中心に、国内の官公庁や企業、法律事務所などに信頼性の高い情報やサービスを展開。世界では150カ国以上で専門家の業務をサポートしています。
リーガルテック分野を牽引する同社のパスカル ロズィエ社長が、いま見据えている「人間とAIの理想的な関わり方」や「これからの時代に求められる専門知と判断責任」とは何なのか、などについて聞きました。

▽「日本文化に触れたい」という一念
ロズィエ社長はドイツのトリールという街の生まれです。トリールはドイツとフランスの国境近くにある「ドイツ最古の都市」の一つで、古代ローマ帝国の拠点だった場所です。国籍はフランス、教育も同国で受けましたが、父親の仕事の関係で冷戦下の東ドイツ・西ドイツの分断やベルリンの壁崩壊、湾岸戦争などを間近で体験。「非常にリスクと変化に満ちた環境で育ったことが、世界観の土台になっている」といいます。
幼少期に母親から日本の陶器をプレゼントされたのがきっかけで、日本に関心を持ったそうです。大学で日本の歴史や文学(夏目漱石や森鴎外、古事記や源氏物語など)を学ぶうちに、「どうしても実際の日本文化に触れたい」という思いが抑えきれなくなり、1999年に文部科学省の外国語指導助手(ALT)として来日、横浜市内の高校でフランス語などを教えるようになりました。
▽社会の根本にある柱は「法律」
その後、BloombergやDow Jonesなど、メディアや金融、テクノロジー関連企業で豊富な国際的キャリアを積み、2023年1月にレクシスネクシス・ジャパンの社長に就任しました。
同社を一言で説明すると「法律、ビジネス、知的財産に関する世界最大級の専門情報プロバイダ」。ロンドンやニューヨーク市場に上場するグローバル企業「RELX(レレックス)グループ」の一員でもあります。
なぜ、教師からビジネスの世界へ転身したのか、現在の仕事を選んだ理由を問うと、ロズィエ社長は「一貫していたのは確実なデータと事実(ファクト)を提供し、プロフェッショナルの意志決定を支えたいから」と話しました。
金融や経済のデータも社会を動かす重要な柱ですが、社会の最も根本にある柱は「法律」。「法の支配」を通じてより平等で透明な社会を築くという同社のミッションに強く引かれたのが決定打といいます。
▽「法の支配」という「傘」で守る
同社は企業理念として「Rule of Law」(法の支配)の推進を掲げています。同社によると、法の支配は「誰も法の支配を超える存在ではない」という意味。例えると「傘」のようなもので、強ければ人々は守られるし、なければ人々は不公平に雨にさらされてしまうと説明します。
日本ではなじみがあまりない用語ですが、ロズィエ社長は「『法の支配』とは、権力者や特定の人ではなく法に基づいて社会が公正に運営されている状態を指します。いわば、人々を不当な雨風から守る大きな傘のような存在です。傘がしっかりしていれば、誰もが平等に守られ、自由に行動し、ビジネスを育むことができます」と説明します。
また「日本に住んでいると、治安が良く、教育や医療を受けられる平穏な社会が当たり前に思えるかもしれません。しかし世界を見渡すと、実に57%の国々が『法の支配』のもとに暮らせていないという厳しい現実があります。不平等や差別、不当な不利益に脅かされている人が世界にはまだ大勢いるのです」と世界の現状を指摘します。
同社では「Rule of Law Foundation」という基金を通じて、発展途上国などに無償で法務データベースやテクノロジーを提供し、公平で透明な社会づくりを世界中で支援しているそうです。
参考:レクシスネクシス・ジャパン公式サイト
▽AIは「手段」
進化を続けるAI。米国を中心に多くの企業が巨額の設備投資を行い、AIの開発競争が激化しています。
同社にとって「AIとはどういう位置づけなのか」という問いには、ロズィエ社長は「AIは手段」と言い切ります。「テクノロジーは時代ごとに進化してきました。かつては本であり、次はインターネット、そして今はAI」です。私たちにとってAIは、あくまで法の支配を前進させ、人間の業務をサポートするための最高のツール(手段)です」。
同社がAIを開発する上で大切にしているのは「信頼性」と「透明性」です。
「第一に、プライバシーとセキュリティーの担保。ユーザーが入力したプロンプトや機密データが、勝手にAIの学習に使われることは一切ありません。第二に、根拠となる出典(ソース)の明確化。AIが出した回答には、必ず当社の膨大なデータベースにある具体的な判例や法令のリンクが結びついており、人間が即座にファクトチェック(証明)できるようになっています。中身が分からない『ブラックボックス』ではなく『なぜその答えになったのかを説明できるAIであること』がプロの現場では不可欠なのです」と力説します。
▽弁護士はAIに置き換わらない
AIの進展によって、法律・法務の仕事は今後、どのように変化していくのか。AIが普及することで「将来、弁護士や企業の法務担当者の仕事が奪われるのではないか」という懸念の声もあります。
ロズィエ社長は「結論から言えば弁護士という職業そのものがAIに置き換わることはありません。しかし、弁護士がこれまで行っていた作業の一部は確実に置き換わっていきます。従来、膨大な資料や判例を調べ上げるリサーチ業務には、何十人もの専門家が何週間、何カ月も費やしていました。それが今や、信頼できるAIツールを使えば数分から数時間で終わります」とAIの有用性を認めた上で、「浮いた時間で人間は何をするのか? 浮いた膨大な時間を使って、クライアントとの深い対話や交渉、人間同士の信頼関係の構築、そして高度な倫理的判断といったより人間的で付加価値の高い仕事に集中できるようになるのです」と断言します。

▽判断と責任が必要
では、こうしたAI時代だからこそ、人間の役割はどうなっていくのか。
ロズィエ社長の見解は明快です。「最終的な判断と責任、そしてクリティカル・シンキング(批判的思考力)が必要です」と言い切ります。
どれほど賢いAIであっても、最終的な決断を下し、その結果に責任を持つことはできません。AIは人間の判断力を代替するものではなく、人間の判断を支える基盤であるべきとの理念は揺るぎません。
その上で、若い世代やこれから社会に出る人たちに強く伝えたいのは「AIを使う前に、自分自身の根本的な知識と基礎体力を身につけてほしい。本を読み、哲学を学び、自分の頭で深く考える。『この情報は本当に正しいのか?』『現実の背景には何があるのか?』と疑い、議論できる土台(知識)があって初めて、AIを正しく使いこなすことができます。基礎知識がないままAIに依存してしまうと、AIのミスに気づけず、非常に危険なリスクを抱えることになります」と呼びかけます。
▽AIは人間を映し出す鏡
かつて高校の教壇に立ち、日本の若者たちに言葉と文化を教えていたロズィエ社長。彼の語る「AI論」は、単なる効率化や最新テクノロジーの披瀝ではなく、常に「人間らしさをどう守るか」「人間がどう成長するか」という温かい教育的視点と強い倫理観に満ちています。
「AIは人間を映し出す鏡のようなもの」とロズィエ社長は言います。
AIという優秀なパートナーを得た私たちが、浮いた時間でいかに「より良い社会」を想像し、人と人との信頼を育んでいけるか。テクノロジーが進化する今だからこそ、私たち一人ひとりの「考える力」と「責任感」が試されているのかもしれません。








