南太平洋のタヒチ (フランス領ポリネシア)に自生するスーパーフルーツ「ノニ」の実から作ったジュースの販売をしているモリンダ ジャパン(東京)。米国でスタートし、世界各国で展開するネットワークビジネス企業、モリンダが日本に進出してから2019年2月で20周年となるほぼ同時期に、米国の健康飲料メーカーでナスダック上場のニュー・エイジ・ビバレッジコーポレーション(米コロラド州)との合併という大きな節目を迎えた。黄木 信社長に、これまでの20年間のモリンダ ジャパンの歩みと、今後20年の展望を聞いた。
■ネットワークビジネスの課題を感じながら引き受けた「社長」
-20年前にモリンダが日本に上陸した経緯は?
アメリカを出発点としたネットワークビジネスが日本に上陸して勢力を伸ばしてきた中で、モリンダが日本での営業を開始しました。その中でのモリンダの大きな特徴は、いわゆるジュースの健康食品というのが当時ほとんどなかったということです。サプリメントやスキンケア、化粧品的な分野の企業はあったのですが、植物からジュースを作り、健康をサポートするものとして提供する企業が他になかったので、多くの方に非常に関心を持っていただいたという背景がありました。
通訳や翻訳、コンサルティングの仕事をしていた私は、モリンダが1999年2月に日本に来る前年の秋の日本でのプレオープンのミーティングで、通訳をやってほしいと頼まれました。実はその頃、他のネットワークビジネスの会社からも同じようなことを依頼されてきた中で、どうしても、押しの強い商法などネットワークビジネスの負の部分を感じていたのです。最初はお断りしたのですが、旧知のブライアント・ワズワース氏が日本法人の初代支社長になると聞きました。アメリカで博士号を取り、農務省に勤め、日本のアメリカ大使館で農務公使として働いてきた彼を、キャリア的にも人間的にも非常に評価していた私は、彼の話を聞くために、そのミーティングの通訳の仕事を引き受けました。
それまで通訳などの仕事を引き受けた他の会社が、製品や会社のプランばかりを説明するのに対し、モリンダの創設者たちから聞かれたのは、実体験に基づく製品の魅力でした。そのような話を通訳しているうちに「私も飲んでみたい」となったのが、今から20年前です。それからしばらく、モリンダには、社員としてではなく通訳として、またビジネスコンサルタントのような形でかかわってきました。そして、2006年の9月に、ハワイ島での大きなコンベンションに呼ばれ、当時の社長から「日本の責任者になってほしい」と言われ、3代目の社長になりました。
-モリンダが日本で急成長した理由をどうとらえますか?
タヒチニアンノニ ジュースという製品の飲みやすさと、それぞれの人が体験した体への良さが、口コミでどんどん広まりました。アメリカから来て日本で広める役割をした人たちは、どのように話して魅力を伝えるか、また、魅力を伝えていく人たちをどうやって見つけていくか、非常に苦労したと思います。日本人は、こちらから名刺を出すと相手も絶対出すので、電車の中での名刺交換作戦でつながりを増やしていった人もいます。体に良いジュースという当時ではユニークな特長をアピールし、トレインジャックをして車内を広告でいっぱいにしたり、繁華街でバルーンを使って宣伝し、皆さんにタヒチアンノニ ジュースの試飲をしていただいたりとか、いろんな大がかりなPR活動もしました。
地道な作業の中で、やはりネットワークですから、段々と幾何級数的に人が増えていきましたが、土台となったのはなんといっても製品力だと思います。
■タヒチの人たちの宝を大切にしたい
-タヒチのノニとの出会いは?
アメリカのモリンダの創設者5人のうち1人が、タヒチに住んでいた友人から、広口瓶入りのノニを「地元の人たちが健康のために使っている」と送られたことがきっかけだったそうです。事業化に向け、調査や研究が進められました。
タヒチの人たちが「自分たちに特別に与えられた天からの贈り物」として大切にしているノニを製品化して世界に広めていくプロセスを作るに当たり、「タヒチの人たちとの共同作業」であることを重視しました。地元の人たちを低賃金で働かせるようなフェアでない事業もありますが、我々は、「タヒチの人たちが本当に大切にしているノニを我々も大切にしたい、お互いパートナーとして協力しあいながら仕事をしていきたい」と強く思いました。
100年、200年と続いて多くの人に恵みをもたらしていくためには、商業のために乱獲をしたり、自然を壊したりしてはいけません。地元の伝統に合わせて、科学的な裏付けも取り入れながら、採取する人たちに、1つの木から取る量、取り方などもトレーニングしてきました。
-タヒチの人たちと一緒にノニという存在を育んでいったのですね。
タヒチの産業の一番目は観光、二番目は黒真珠、その2つが基幹産業でした。そして、ノニが第三番目の基幹産業になったのです。それまでは、地元の人たちも、病気のときだけ「これを体のために使ったほうがいい」と言われる中で採取するぐらいだったのですが、商業として成り立つことが分かり、第三番目の基幹産業になることができたのです。
タヒチ以外にもノニが取れる地域が世界にはありますが、我々の研究開発部門が地域によるノニの成分の比較研究をした結果、やはりタヒチのノニが一番すばらしいことが分かりました。南方の果物の生育に必要な条件は、水、空気、土、太陽の光の4つですが、タヒチは太陽の光は完璧。環境汚染もない。古来からの太平洋の島々への探検の船にノニが積み込まれ、各地で分化していく中で、最終地点となったタヒチで品質が非常によいものができたという、長年にわたる自然の品種改良が行われてきたという歴史もありました。
そのような良質なノニを、タヒチで集中して採取し、事業をタヒチの中で完結できるように、木から採取してボトル入りの飲料を作るまでの全てのプロセスを、全部自社で管理できるように、スキームを作っていきました。その結果、雇用も生まれ、我々が仕事を始めた1996年の8年後の2004年に、国際連合の外郭団体のICCCから、社会貢献賞をいただくまでになりました。
■世界のために何かいいことを
-「経済的自由」、「人生を変える経験」を事業の柱としてこられた思いは?
地元の人たちには、ノニの果実からジュースを作ったり、健康維持のために使ってきたという歴史があります。そういう伝統的に受け継がれてきたものを現代人に提供したいという思いでスタートした事業です。そして、その伝統がいかにすばらしいのかを科学的に解明するため、毎年かなりの金額を再投資して、臨床研究や開発を続ける中で、世界の病院や医療機関、研究機関と共同研究することができる状況を作ってきました。
そのような中で感じてきたのが、「世界のために何かいいことをさせていただく」という願いです。モリンダという会社は、ノニの果実から作ったジュースを世の中に提供するだけの会社ではない。単に製品を提供してその製品を買っていただいた方から収益を上げていくのではなく、人々がそれぞれ抱えていらっしゃる課題を解決していく会社に進化するはずなのではないかと。
具体的には、健康面と経済面の課題を解決し、超高齢化社会の中でも65歳以上の高齢者の方々が健康で経済的な自立をする手立てを持っていれば、とても大きな社会貢献ができます。健康を細分化すると、内なる健康と、外に現れる「美」に分けられます。そして、経済というのは、必ずしも大きなお金を動かすことだけではない。それよりも、継続して自分の生活をまかなえるような収入を、たとえ自分が病気になって働くことができなくなっても得ることができるシステムを提供することです。これができたら、それは大きな社会貢献になるのではないかと考えました。
-タヒチの子どもたちへの教育支援にも取り組んでいますね。
タヒチへの恩返しをする際に、やはり将来を担う子どもたちのことを考えます。タヒチは大らかな文化の中で、婚姻関係がない中で生まれる子も少なくなく、児童養護施設に入っている子どもたちがたくさんいます。そのような子どもたちに対しても、初期のころから会社として、金銭的な援助だけでなく、コンピューターの寄付なども行ってきました。
今でも、「Do something good 基金」と名付けた基金を世界中で集め、教育支援を行っています。児童養護施設に入っている子どもたちに、社員がクリスマスに個別のプレゼントをするプログラムも行っています。子どもたちからお礼のメッセージや絵なども送られてきて、タヒチへの報奨旅行の際に、子どもたちが描いてくれた絵をプリントしたTシャツを着ていったこともあります。モリンダの事業によって、教育を受けることができるようになった子どもたちに、これからのタヒチを担っていってほしいと願っています。そういう子どもたちが一人でも増えるために、貢献できることを願っています。
■ネットワークビジネスの今後の展望
-幾何級数的にモリンダのビジネスにかかわる人が増えたということですが、その仕組みは?
頑張るとモリンダからお金が振り込まれてくるという、結果が目に見えるという部分の魅力は大きいと思います。「ファストスタートボーナス」という制度もあり、会員になって最初の購入から60日間はその購入に対し特別なインセンティブがつきます。また、会社全体の売り上げに対してその何%かがグローバルボーナスとして付与されます。
マーケティングプランもシンプルです。例えば自分が3人の人に伝えて、それからまた、伝えますよね。そして、自分が起点になって起こった流通の組織の中から、その流通の大きさによって、収入が増えていくというのが、非常にシンプルで分かりやすい。そこでできた組織はそのままずっと残っていきます。
-ニュー・エイジ社との合併をどのような力にしていきますか?
ニュー・エイジ社のCEOのブレント・ウィリスは、多岐にわたる事業で成功を収めている人です。彼は、ニュー・エイジ社を作る際、「世界で一日平均一万人の子どもたちが、きれいな水が飲めなくて命を落としている」「アメリカの10歳の子どもの60%以上が、毎日、身体によくないソフトドリンクを飲み続けている」というような状況を知り、もっとすばらしいもので世界を満たしたいという思いがあったそうです。同じような志を持つ企業に仲間に入ってもらう流れの中で、モリンダにも注目していただきました。具体的には、モリンダのこれまでの実績や製品、タヒチとの関係性などです。
我々はノニの木の葉、果実、種子から取り出す有効成分を中心とした製品を作ることで、ユニークな存在であり続けてきました。それに加え、新しい観点から物事を見ることができる会社といっしょになることができたことは、我々にとって様々な可能性が拡大するチャンスととらえています。まず、企業規模が拡大します。2つの会社が合わさり、年商350億円の企業になることができ、スケール感に大きな変化が出ました。ナスダックの上場企業でもニュー・エイジ社の傘下に入るだけの価値があるということを、外部の人から見て感じてもらい、ネットワークビジネスが持つ負のイメージもかなり払拭できるのではないかと期待しています。
また、口コミで事業を拡大し、小売、eコマースでの販売を行ってきた我々に、ニュー・エイジ社の非常に得意とする医療関係という新しいチャネルが加わることで、いろいろな試行錯誤ができることを楽しみにしています。ニュー・エイジ社がこれまで小売で出している製品をeコマースに乗せて、eコマースを使う権利を会員の人たちに与え、キックバックを発生させる仕組みを作り、会員への新しい収入の流れを作ることもできます。
ニュー・エイジ社の基幹製品であるCBD※飲料とタヒチアンノニ ジュースを組み合わせる製品を作ることができれば、ネットワークビジネスの中の新たな柱としてそれを皆さんに提供できると思うのです。両社の得意分野で、それぞれがきちんと力を発揮し、プラス、相乗効果による製品が出てくることも、これから非常に楽しみです。
※CBD(カンナビジオール)=麻の種子(実)などから取れる成分で、七味唐辛子や麻の実油として食用にも利用されています。
-これからの20年の目標は?
数値的な目標については、ニュー・エイジ社と合併後の新しいCEOは、350億円の年商を、1,000億円にしていくことを目標に掲げています。また、健康飲料の分野でトップになるとの思いを持っています。
モリンダの存在価値は、「健康」と「美」と「経済的自由」という、人間が共通して求めるものを提供することです。それらは、例えて言うのであればタペストリーの縦糸です。そして、伝統と科学を重んじ、人を大切にするモリンダの文化というものが横糸です。縦糸と横糸が合わさることで初めて絵を描くことができます。この縦糸と横糸が人々に作用して描かれる絵というのは、人それぞれだと思います。モリンダにかかわってくださる方々に、独自のすばらしいモリンダライフの絵を描いてほしい。非常に抽象的かもしれませんが、私が大切にしていることです。
伝統と科学というのは会社がそれなりの投資をすることによって守ることができます。しかし、人を大切にするという部分は会員の皆さまとの共同作業です。ネットワークビジネスの負のイメージの壁を突き崩す最も効果的な方法は、信頼性を高めることです。絶対に欠かすことができない部分です。
黄木 信
モリンダ インク 副社長
モリンダ ジャパン 合同会社 社長
民間団体で20数年間、翻訳・通訳・出版・資材管理・人材育成を担当後、有限会社リンガルコーポレーションを設立し、翻訳・通訳・コミュニケーション・ビジネスコンサルティングに従事。1995年5月よりフランクリン・コヴィー社『7つの習慣』を始めとするセミナーの先任講師を務め、1万人以上の人々に原則と価値観に基づいた人生とビジネス双方の生産性向上を説く。
モリンダが日本市場を開く以前1998年より通訳を務め、2007年にモリンダ インク日本支社長に就任し、2009年12月、分社化によりモリンダ ジャパン 合同会社 社長に就任。2016年にモリンダ インク 副社長に昇格 。座右の銘は「今日は残りの人生の最初の日」。ブリガムヤング大学 理論言語学修士。