その生涯と芸術を、「旅」をテーマにたどる『東郷青児 蔵出しコレクション』 珍しい収蔵品も多数展示!

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その個性的なフォルムから、いまや新宿のランドマークとなったSOMPO美術館。アート作品のようなその外観も、実は東郷青児作品の柔らかな曲線がモチーフになっています。

 少し変わった旅をしてみませんか? それはパスポートも飛行機のチケットも要らない旅。日本の美術界の巨人が残した足跡をたどる旅です。時をさかのぼって、パリからサハラ砂漠まで、彼が旅した世界、その目がとらえた世界へと出かけてみましょう。
 2020年7月、東京・新宿に新たに誕生したSOMPO美術館では現在、『東郷青児 蔵出しコレクション ~異国の旅と記憶~』が開催(~2021年1月24日まで)されています。モダンな美人画で知られる東郷青児(1897-1978)は、24歳から7年間をフランスで暮らし、’63年以降は毎年のように海外を旅しました。この展覧会は、彼が旅先で見たもの、持ち帰った物と、そこから刺激を受けた作品など、約140点を展示しています。
その内訳は、「旅」をテーマにした油彩画が30数点、彫刻やデザイン、写真資料などが約60件、そして東郷の蒐集(しゅうしゅう)品が約20点です。これまであまり紹介されることのなかった珍しい収蔵品も含まれている、まさに蔵出しコレクションです。
 なお、同展は日時指定入場制のため、チケットはオンラインでの購入となります。入場無料の対象者(小中高校生と障がい者手帳所有者)も、オンラインで申し込んで下さいね。

多くのことを吸収したフランスでの7年間

 会場に入ると、すぐ左手に展示されているのは、イーゼル、パレット、絵筆など、東郷が生前実際に使用していた品々。トランクや棚は持ち主のセンスの良さをうかがわせます。壁にはフランス留学時代の東郷の写真も飾られています。多くの女性に愛されたというのもうなずけるハンサムぶりです。

東郷がフランス留学時に使用していた品々とその頃の写真。当時の雰囲気が伝わってきます。
東郷がフランス留学時に使用していた品々とその頃の写真。当時の雰囲気が伝わってきます。

 今回の展覧会は6章に分かれています。「第1章 1920年代のフランス(1921-28)」から順番に彼の生涯と芸術を旅していきましょう。
 最初に登場する作品《コントラバスを弾く》は、1915(大正4)年に開いた初個展の出品作。作曲家・山田耕筰(NHKの朝ドラ『エール』で志村けんさんが演じた役のモデル)から薫陶を受けた表現主義やキュビスム、未来派などヨーロッパの前衛芸術運動の影響を感じさせ、抽象画に近い幾何学的平面で楽器を弾く人物を生き生きと描いています。パリに行く6年前の作品ですが、外国への憧れと生涯にわたる旅のきっかけとなった1点として紹介されています。

デビューの頃の前衛的な画風がわかる《コントラバスを弾く》(1915)。隣は初個展時の写真。
デビューの頃の前衛的な画風がわかる《コントラバスを弾く》(1915)。隣は初個展時の写真。

 1921(大正10)年、24歳の東郷は約40日の船旅を経てフランスに留学します。最初の2年間は、ヨーロッパの新しい芸術と文化をどん欲に体験することに費やしたようです。さらにイタリアの芸術運動、未来派に参加したり、ドイツに表現主義の画家たちを訪ねたりもしました。ピカソら芸術家との交流も始めています。
そのころの作品として、女性のまなざしが魅力的な《巴里の女》、穏やかな表情と自然なポーズの《スペインの女優》などを会場で見ることができます。
 麗しきパリ生活もつかの間、東郷は3年分の留学費を1年で使い果たしたうえ、1923(大正12)年の関東大震災で、実家からの仕送りが途絶えたため生活苦に陥ります。公園の散水からセーヌ川の荷揚げまで何でもやったようです。東郷は後に「理屈っぽかった画風が、逆にひとかけらの理屈も許さないようになってしまったのは、苦しい生活を食うや食わずで乗り越えてきたためだと思う」というようなことを書き残しています。
翌年、ようやく百貨店ギャラリー・ラファイエットで仕事を得て、おりしもアール・デコが花開いた装飾美術界に関わります。壁画の下働きや店に装飾模様を付ける仕事を経て、やがては工房から制作を任されてフランス各地やトルコのイスタンブールなど海外の現場へも赴くようになりました。在仏中は、イギリス、スペイン、ポルトガルなどへも旅しています。
 この頃、東郷はルーヴル美術館に通い、歴史的な名画やその伝統的技法を研究しました。この時代の作品は、後年の独特の画風はまだ表れていませんが、代表作の一つ《ピエロ》をはじめ、展示されている作品は、どれも不思議な魅力にあふれています。戦後、「理屈がなくても絵である絵、誰が見てもきれいだとか、やさしいとか、わびしいとすぐにわかる絵を描きたい、そんなことを思案しながらルーヴルを歩き回り、《ピエロ》などを描いた」と語っていたようです。

フランス留学初期の作品《南仏風景》(1922)。
フランス留学初期の作品《南仏風景》(1922)。

「青児美人」の誕生

 1928(昭和3)年、東郷はシベリア鉄道で帰国しますが、洋画を売って生活できる時代ではなかったので、5年ほどは、もっぱらデザインと文筆活動で生計をたてていました。
 「第2章 モダンボーイの帰国(1928-35)」で展示されている油彩画は4点。1929(昭和4)年に発表した《窓》、《超現実派の散歩》、《サーカス》と、1936(昭和11)年の《婦人像》です。注目は何と言っても《超現実派の散歩》。月夜に散歩するワクワク感を表現したような不思議な作品です。描かれている人物はSOMPO美術館のロゴにも使われていますね。また、《婦人像》では、後の「青児美人」に通じる雰囲気が漂い始めています。会場には、二科展に出品した数々の作品の絵葉書、東郷が執筆した本や装丁した本、着物図案の原画なども展示されています。

第2章の展示風景。左奥に《超現実派の散歩》(1929)が見える。
第2章の展示風景。左奥に《超現実派の散歩》(1929)が見える。

 この時期の東郷は、在仏時の経験を活かし、アール・デコ風の広告をデザインし、モダンな白い自邸を建て、フランスの生活習慣や男女関係の機微を雑誌に書きました。男ざかりの時期でもあり、作家・宇野千代と同棲するなど、数々の恋愛で世間を騒がせてもいます。
 東郷青児といえば、誰もが思い浮かべるのは「青児美人」と呼ばれる、滑らかな曲線と柔らかな色調で人形のようにデフォルメされた女性の絵です。このスタイルの原型が生まれ、完成していくのが「第3章 イメージの中の西洋(1935-59)」の時代ではないでしょうか。展示されている《舞》(1938)から《望郷》(1959)までの5枚の油彩画で、微妙な変化を確かめましょう。

《赤いベルト》(1953)。「青児美人」は、戦後の高度成長期にお菓子の包装紙などにもたくさん使われた。
《赤いベルト》(1953)。「青児美人」は、戦後の高度成長期にお菓子の包装紙などにもたくさん使われた。

 日本が戦争に突き進み敗戦を迎える困難な時代、東郷は疎開先で雌伏の時を過ごします。そして終戦後はいち早く二科会再建に奔走しました。1950年代になると日本各地のホテル、百貨店、公共施設から壁画や緞帳などの注文が相次ぎ、1957(昭和32)年には「装飾美術(壁画)」のジャンルで日本芸術院賞を受賞しています。フランスで装飾美術の現場を取り仕切った経験が、大壁画の制作や二科会の運営にも生きたんですね。

精力的に活動し旅した戦後

 1960(昭和35)年3月、東郷は62歳で再びフランスの地を踏みました。「第4章 戦後のフランス(1960-78)」は二つのパートに分かれています。
 「(1)リアルなフランス体験」には、《母と子a》《母と子b》《子供》《貧しき子》など、暗いイメージの絵が多く展示されているのに驚きます。戦後フランスの不況、なかでも農村部の貧しさに、東郷が強い印象を受けたことがわかります。

第4章の会場風景。悲惨な状況が独特のタッチで描かれていて驚く。
第4章の会場風景。悲惨な状況が独特のタッチで描かれていて驚く。

 1960(昭和35)年、二科会はフランスの美術団体サロン・コンパレゾンと交換展を行い、戦後初めて、日本の画家・彫刻科の作品が多数、パリで展示されました。1967(昭和42)年には、より歴史あるパリの団体サロン・ドートンヌ(創立会員はマティス、ルオー等)でも二科展を開催しています。「(2)二科の交換展と受賞」 で展示されているのは、東郷がこれらの展覧会のためにパリへ送った作品群です。《妖精》《脱衣》《干拓地》などは、東郷らしい洗練されたエロチシズムを感じさせます。
 この時期、東郷は文化交流の功績により、パリ市から文化功労章を、フランス政府から文芸勲章を授与されています。会場にはその証書やメダルも展示されています。

 戦後、日本人の海外観光が解禁されたのは1964(昭和39)年。東郷は、さっそくハワイへ出かけます。1967(昭和42)年には、旧フランス領から独立したモロッコをはじめ、サハラ砂漠周辺のアラブ諸国、スペイン、ポルトガル、ギリシャを巡っています。1970(昭和45)年にはイランとイラクを訪れ、1973(昭和48)年からはブラジルやペルーにも足をのばしました。「第5章 異国の旅と蒐集品(1960-78)」では、それら異国の旅でのスケッチや蒐集品、そして、それらに触発された東郷の作品が展示されています。

第5章にはエキゾチックな絵が多い。左端にはコレクションの《菩薩頭部》(石彫)も見える。
第5章にはエキゾチックな絵が多い。左端にはコレクションの《菩薩頭部》(石彫)も見える。

 《チェッコの女》《コルドバの女》など、旅先で出会った女性の水彩画6点、世界各地でのスケッチの数々(ナイチンゲールの肖像が東郷風美人になっているのが面白い)、モン・サン=ミシェルを重厚に描いた風景画など、‟旅“というテーマに直結する、最も見どころの多いコーナーかもしれません。なかでも、《赤い砂》《アクロポリス》《女体礼賛》《蒼ざめた夜》《ラムセスの寵妃》《タッシリの男》などの作品群は、東郷がいかにエキゾチスムに魅了されていたかを物語っています。
 加えて、ここには東郷が蒐集した仏像や聖母子像、埴輪のような南米のお土産品、東郷の作品2点を含む彫刻4点も展示されていて、根源的な生命感や衝動を抽象的に造形する芸術への志向もうかがえます。

《女体礼賛》(1972)。「青児美人」の技術は円熟味を増し、アート的な表現を自在にしている。
《女体礼賛》(1972)。「青児美人」の技術は円熟味を増し、アート的な表現を自在にしている。

夢は美術館に結実し、旅は果てしなく続く

 1976年(昭和51)年、安田火災海上(現・損保ジャパン)本社ビル42階に、その名も「東郷青児美術館」が誕生しました。「社会貢献の一環として芸術鑑賞の場を提供したい」という同社の考えに、「絵は大衆のものでなければならない」という信念を持っていた東郷が共鳴し、自作156組と国内外で蒐集したコレクション189点を寄贈したのです。1930年代から、安田火災海上の前身・東京火災の印刷物デザインを東郷が手掛けていたという縁もありました。そして長い間、日本初の高層階美術館として親しまれ、幾度かの名称変更を経た後に、2020年7月に独立した美術館棟として新設されたのがSOMPO美術館なのです。
 最終章の「第6章 当館の設立と新たなる旅(1976-78)」で展示のメインとなっているのは、東郷が蒐集していた外国人作家の作品です。リトグラフ、油彩、タペストリーなど、二科会長として国際交流に努めた東郷らしい、多彩な人脈によるコレクションです。
 これで東郷の旅も終わりか――そう思っていたら、最後に展示されていた晩年の2作品《グラン・コルニッシュ》《貴婦人》には驚かされました。独自の様式を確立した「青児美人」とは、タッチというか画風がまったく違うからです。老いてなお、さらなる造形的展開を求め、「新たなる旅」に踏み出した東郷画伯に脱帽です。

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2階のミュージアムショップには、「青児美人」をモチーフにした、いろいろなグッズが。
2階のミュージアムショップには、「青児美人」をモチーフにした、いろいろなグッズが。

 おしまいに耳より情報です。今回の展覧会では、うれしいことに東郷の作品7点が撮影OK(フラッシュは禁止)になっています。そしてなんと、出口直前の収蔵品コーナーに常設展示されているゴッホの《ひまわり》も、本展期間中のみ撮影OKなのです。カメラをお忘れなく!