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「見えない=できない」をなくす 全盲の学生起業家・川本氏の挑戦

東京都内でインタビューに答える川本一輝さん=2025年4月25日

 ほぼ完全に目が見えなくなったのはわんぱく盛りの12歳の頃。これで何もかも終わったと当時の僕は思ってしまった――。目の不自由な小中高生らに視覚障害者の大学生・大学院生が教えるオンライン個別塾を今年1月から始めた全盲の起業家・川本一輝さん(20)は、目の前が消えた瞬間を振り返る。

 ▽2日間の沈黙

 朝起きると霧のような煙に包まれる異変を感じた。2歳半から目の病気で弱視だったが、こんなことはなかった。火事を疑い、当時同居していた祖父母の安否を気遣い壁にぶつかりつつ何とか1階に降りると、祖父母は居間でくつろぎ、慌てた様子はない。定位置にあるアイパッドをつかみ鼻すれすれに近づけても何も見えない。この時すべてを悟ったが、このことは2日間誰にも言わなかった。

 「なんで教えてくれなかったのと後で母親に怒られたが、あの時はまったく目が見えなくなったことを誰にも言いたくなかった。弱視の中で必死に覚えて白いノートに書いた漢字を読むのが好きだった。僕の書いた漢字、文字を見ることはもうない。これから僕はどうなるんだろうか、何者になるんだろうか・・・。とても悩んだ」

 一人で悩み抜いたこの2日間が全盲の起業家誕生の原点である。視力は失ったが、これから自分が歩むべき道だけは煩悶(はんもん)の後でおぼろげながら見えてきた。それを胸に刻んだ。「全盲は僕の一面にすぎない。視覚障害者である前に川本一輝でありたい」

 ▽名門への進学

 通っていた徳島市の公立小学校(特別支援学級)では「危ない」ということで、みんなと一緒にやりたかったが、自分だけ球技禁止だった。また友達もあまりできなかった、という。

 「視覚障害児として常時、先生方が付き添ってくれていたことが壁になって僕を周りから遠ざけてしまったのか、周囲の児童と仲良くなることはなかった。先生方が友達をつくりましょうね、と動いたくらいです」

 中学は地元徳島県の盲学校中学部。マッサージ指圧師などを養成する同校高等部などへの進学を在校生が話題にする中、川本さんは日本唯一の国立大の視覚特別支援学校である「筑波大附属視覚特別支援学校」(東京都文京区)への進学を目指す。

 筑波大附属視覚特別支援学校高等部の卒業生の多くは大学に進学する。教師の勧めもあったし、生まれ育った徳島県を一度出て東京で暮らしたいという思いも当時強かった。

 「両親は徳島の盲学校で学び続けて、マッサージ指圧師など安定した職業についてほしいと思っていたかもしれない。しかしそれは、決まったレールの上を走るようで僕はいやだった」と当時の心境を振り返る。

 「盲学校の先生から初めて名門の筑波大附属のことを教えられた当初は、雲の上の存在に感じたが、視覚障害者である前に川本一輝として輝くための選択肢を広げるために行くべきだと思った。世間の多くが思い描くような視覚障害者のイメージ一色に自分を閉じ込める気はなかった。自分は全盲だが、その他にもいろいろな面がある。運動好きの一面(現在ブラインドサッカーに熱中)も、海外旅行好きの一面(旅行ではないが、これまでにタイ留学、スペインとイタリアでの海外研修を経験。今夏はポルトガルでの研修を予定)も、歌好きの一面(オペラ歌唱をたしなむ)もある。入学試験まであまり時間はなかったが猛勉強して、何とか合格した。僕の通っていた徳島県の盲学校からは、およそ20年ぶりの合格だったと聞いている」

「全盲は僕の一面にすぎない」と語る川本一輝さん

 ▽東京で解放感

 上京すると周りは自分のことを知らない人だらけ。一種の解放感を味わった。自分は自分の道を自分で選択できるという若者らしい自信が湧き起こり、将来への不安が消えた。友達もでき、学校では生徒会長も務めた。「全盲の川本」ではなく、好奇心旺盛な、どこにでもいる一般の高校生として、周囲と付き合えた。

 「勉強好きのガリ勉ばかりが集まる厳しい学校だと思って、ついて行けるか不安だったが、自由な校風で、楽しい3年間を過ごせた。さまざまな分野で活躍している先輩も多く、僕の選択肢は確実に広がった」

 ▽学生と起業家の二刀流

 川本さんは現在、茨城県つくば市にある筑波技術大の3年生。保健科学部情報システム学科で学ぶ。この学科は情報技術(IT)の専門知識と操作を習得する学科で、コンピューター応用技術や企業ビジネス知識を身に付けることができる。卒業後の進路は専門技術者(プログラマーやシステムエンジニア)のほか、一般事務や営業職など幅広い。

 川本さんが、高校進学に際して「決まったレール」から降りた時、何となく頭に描いた他の道は、いわゆる社会課題をビジネスの力で解決する「ソーシャルビジネス」。社会課題の解決に高度なコンピューター技術を活用することは今後ますます必要になるだろう。自己のビジネスに必要なものをいま着々と吸収している。

 学業の傍ら2024年11月22日に合同会社WillShine(ウィルシャイン、東京都港区)を設立し、この会社の事業として今年1月から目の不自由な小中高生らを対象にしたオンライン個別塾「ブイリーチ」を始めた。小中高の学習や中学・高校・大学の入学試験、資格試験の受験対策などを指導する。

 今年4月時点の塾の生徒数は、徳島市の小学2年男子児童(全盲)と東京都の中学1年男子生徒(弱視)の2人。まだ生徒数は少ない。事業が軌道に乗る目安である10人に生徒数を増やすことが目下、最大の課題だ。

オンライン個別塾ブイリーチの料金体系=同塾ホームページから

 1コマ1時間の授業が月4コマの「スタンダードコース」が月額1万2千円。そのほか大学受験対策に特化した「合格突破コース」(月額3万円)や、学び直しの社会人らにITスキルや英会話などを教える「スキルアップコース」(月額6千円)も設けた。また相談があれば個別の生徒に合わせた「カスタムコース」も用意している。

 ▽当事者の経験を伝授

 生徒を教える塾の講師は現在6人(25年4月時点)。みんな大学や大学院に通う学生で全員が視覚障害者だ。時給は1500円。川本さんの知人講師は「ボランティアでやるよ」と言ってくれるが、川本さんは断っている。この塾事業は、ボランティアではなく、ビジネスとしてやることに意義があるからだ。

 「視覚障害者だからこそ、視覚障害者の生徒が学習でつまずくところがよく分かる。皆それを乗り越えて大学生になった。例えば、点字で学習する生徒は、数学の試験で、計算過程を書くことに疑問を持つ。なぜ過程の記載が必要なの、回答だけを書けばいいのに、と。このような視覚障害児らの疑問にきちんと当塾の講師は答えられる。みんな一度通過してきた道だから。そんな素晴らしい講師たちにきちんと仕事に見合った報酬を僕は支払いたい。それは他にバイト先を見つけにくい講師たちの働く場の確保にもなるし、講師がプロ意識を持つことにもつながる。この塾事業をやめない、絶対に継続させる、という自分を追い込む意味も込めてビジネスの形態を選んだ」

オンライン個別塾ブイリーチの授業画面。左が講師、右が生徒

 川本さんによると、塾の生徒になり得る視覚障害者は各種データから計算すると多くて2万人という。市場の論理だけから見れば、ビジネスにしにくいそうだ。塾業界を見渡しても、生徒を視覚障害者に特化した競業の塾は1社ぐらいしか見当たらないという。しかしそこに、川本さんは大きな社会意義とともに商機も見いだしている。

 ▽見えない≠できない

 「目が見えないからできないという固定した考えをなくしたい。目が見えなくても、どうしたらいろいろなことができるようにするかを考えていく社会にしたい。このような方向に社会のベクトルを変えていくには、視覚障害児童・生徒の教育環境を充実させていくことが一番大切だ。視覚障害者の公教育の充実はとても重要だし、僕たちの民間ビジネスが貢献できることもたくさんあるはずだ。特に多くの地方の視覚障害児童・生徒が可能な将来の選択肢を簡単に諦めることがないようにしたい。僕たちの塾が大学への進学を後押しできればと思っている。僕は教育の恩恵を受けて人生の選択肢が広がった。僕はこれから地方の盲学校を訪ねて直接、目の不自由な多くの子どもたちに教育の力を伝えたい。全盲の僕が白いつえ(白杖、はくじょう)と各地で出会う人の少しの助けがあれば日本全国どこでも行けることも示したい」

塾の特長を紹介するオンライン個別塾ブイリーチのホームページ

 塾経営者と大学生の二足のわらじを履く川本さんは、大学卒業後も大学院で勉強を続ける予定だ。大学院の研究テーマは広く教育に関わるものになるという。教育への信頼は、失明した川本さんを導く希望の光となり、いまはビジネス、研究に不可欠のパートナーとして、挑戦する川本さんを支えるエネルギー源になっている。

 ■インタビューを終えて■

 「全盲は僕の一面にすぎない。人間は多面体だ」という川本さんの言葉を聞いて、哲学者エリック・ホッファー(1902―83年)の言葉「アメリカにおける黒人のジレンマは、彼がまず黒人であり、個人であるのは二次的なことにすぎないということである」を思い出した。黒人差別が激しかった1960年前半の言葉で、肌の色で目が曇り個人の存在を見ない当時の米社会の在り方を告発した。

 ドイツ系移民の子であるホッファーは7歳で失明した後、15歳で突然視力が回復した。正規の学校教育は受けず、肉体労働の傍ら図書館などで読書を重ね、60代では異色の思想家として大学で政治学を講じる。自ら学ぶこと、知性を信じ、仲間の港湾労働者にも本を読むよう勧めていたという。

 川本さんも、子どもの頃同じ失明体験をしたホッファー同様、学ぶことの力を信じている。人の一面を拡大鏡で肥大化させては、他の一面は見えなくなる。川本さんの塾事業は、視覚障害者自身が多面的な可能性を自ら摘むことなく、自身の可能性を信じて前に進む挑戦を応援する。意志が輝く未来をつくる―。川本さんが設立した合同会社の社名WillShine(Will=意志、Shine=輝く)には自身の体験が込められている。

 川本 一輝(かわもと・かずき)/2004年9月、徳島県生まれ。24年11月、合同会社WillShine(ウィルシャイン、東京都港区)設立。25年1月、オンライン個別塾「ブイリーチ」開始。同3月、「TOKYO SUTEAM DEMO DAY 2025」スタートアップコンテストで TOKYO SUTEAM賞受賞。