コロナ禍という災いは社会に多くの損失をもたらしたが、その一方で、逆境を乗り越えようという努力は、新たな技術やシステムの開発を加速させたのかもしれない。
ヤマハ株式会社(浜松市)は2020年、コロナ禍で打撃を受けるライブハウスの再興につながるコンテンツを提案するために、高い臨場感のライブビューイングシステム「Distance Viewing」の開発をスタートさせた。時間や場所を超えた“ライブの真空パック”のような体験を伝えたいと考え実証実験を重ね、いくつかの課題解決に取り組む中で、画期的な技術も生まれている。
同社は2月1日、新しいデータ・記録再生システム『GPAP(ジーパップ)』と新開発パネルスクリーンに関する記者発表会を都内で行った。開会にあたって、ヤマハ株式会社ミュージックコネクト推進部 戦略推進グループ リーダーの谷真琴氏が登壇。「本日発表する新技術は『Distance Viewing』の事業化に向けてさまざまな技術開発を進める中で磨かれてきたテクノロジー。デモを通じてその可能性と開発に携わってきた社員の熱意が伝われば」とあいさつした。
続いて、企画開発担当者である同グループの柘植秀幸氏が、「Distance Viewing」や新技術について詳しく説明。まずは開発の背景について語る。
「世の中には見たくても見られないライブがたくさんある。チケットが取りづらい、会場が遠い、バンドが解散してしまった、アーティストが亡くなってしまった・・・。代替手段として、ライブCD/DVD、ネット配信などがあるが、そこから得られる体験は本当のライブとはかなりかけ離れてしまっている。
そんな中、さまざまなアーティストがライブビューイングでファンにライブ体験を提供し市場も拡大しているが、課題も多い。大きなスクリーンで見てはいるが映し出されるのはズームアップされた画面になるので、ライブを見ているというよりはライブDVDを大きな画面で見ているような印象。迫力ある音という意味でも、映画館などではライブハウスやコンサートホールに比べると劣って感じられる。こういった課題を解決し、全ての人に本物のライブ体験を届けたいという思いで技術開発を進めてきた」
「Distance Viewing」は、等身大の映像に加え、ライブ本番と同じ音響・照明・レーザーなどの舞台演出で上映する、高い臨場感のライブビューイングシステムだ。発表会の会場では、同じライブを一般的なライブビューイングの仕様と「Distance Viewing」の仕様で上演し比較試聴が行われた。「Distance Viewing」の映像は実際にそこにアーティストがいるようなリアルなサイズで、音は録音と生演奏ほど迫力が違う。しかも照明も実際のライブのように音楽に連動。目の前で演奏が行われているかのような、まさに“ライブの真空パック”だ。ヤマハが3度行った実証実験でも参加者から非常に高い満足度が得られたという。
▽高臨場感ライブビューイングシステムを実現した『GPAP』
「Distance Viewing」の実現にあたって課題となったのは、音響・映像・照明・VJ・レーザー・舞台演出を、「同期できる形で記録」して、「0.1秒のズレもなく再生」することだが、これは実に大変な作業。なぜなら、ライブの要素はそれぞれフォーマットが全部違うからだ。例えば、音響であればwav、映像であればMOVやmp4、照明であれば DMXといった具合にバラバラで、扱うハードウェアもそれぞれ違う。加えて、同期させて記録しなければいけないのでそれぞれのデータにタイムコードという技術を使って時間情報を付与する必要がある。ところが、このタイムコードのフォーマットもなんと15種類ほどあって、正確な組み合わせでデータを記録しなければならない。何か一つでもミスがあるとそのデータは使えなくなってしまうという。
それらの課題解決に取り組む中でヤマハが新たに開発した画期的な技術が『GPAP(General Purpose Audio Protocol=汎用オーディオプロトコル)』だ。『GPAP』は、PAミキサーや照明コントローラーなどの機材を専用のインターフェースにケーブル接続するだけで、各フォーマットをwav形式に変換。音声だけでなく照明や舞台装置の制御信号などさまざまなデジタルデータをすべてwav形式に統一して保存・再生するため、煩雑な同期処理を行うことなく容易にシンクロ再生することができるのだ。
記録したデータは、CubaseをはじめPro ToolsやGarageBandなど市販のDAW(音楽制作ソフト)でコピー、ペースト、カットなど自由自在に編集が可能。ライブ会場の全てのデータを一つのフォーマットで非常にシンプルな形で記録できて、かつ編集もできるようにななる。それによってアウトプット先はいくらでも考えられるという。
例えば、株式会社コルグが開発したハイレゾ対応の高音質インターネット動画配信システム「Live Extreme」と組み合わせることで、『GPAP』で記録したマルチメディアコンテンツのリアルタイム配信が可能に。これによって高臨場感ライブビューイングシステム「Distance Viewing」をライブハウスやカラオケ店などでも再現できるのだ。そのデータをVR空間やホームオーディオで再現すれば、音・映像に照明などもつけ加えた新しい体験を家庭などで楽しめるようにもなる。また、ライブのデータを簡単に保存できるので、価値あるデータを蓄積していけば、世界中のライブのデータを資産として扱え、ライブの博物館みたいなことも実現できそうだ。
さらに、音楽ライブ以外にもテーマパークやイルミネーションショーなどのエンターテインメント領域や、商業施設などマルチメディアコンテンツを扱う幅広い領域でも、『GPAP』の特性を生かしたさまざまな活用が見込まれている。
▽メリットの多いパネル型スクリーンを新開発
「Distance Viewing」の開発にあたり、ヤマハがライブの現場に入って直面した、もう一つの難題が、映像を表示するスクリーンだ。当初はつり下げ式を使用していたが、会場が広くなると特注で大きなスクリーンを作る必要があったり、大きなスクリーンだと今度は会場に入れることができなかったりと、設置に困難を極めたという。そこで同社が新たに開発したのが、パネル型スクリーンだ。蛇腹状の、素早く簡単に広げたり折りたたんだりできるフレームを組み立てて、枠の中に四角いスクリーンのパネルをはめ込んでいく方式を採用。それによって設営や撤収が短時間で簡単に行えるようになった。そのほか、会場に合わせてサイズの変更が可能、製作・運搬コストが安い、メンテナンスが簡単などメリットは多いという。フレームをつなげることで、スクリーンの高さは最大約5mまで、横幅は自在に拡張が可能。調整も簡単なので、ライブハウスやホールはもちろん、体育館や公民館、オフィスや会議室など、映像を使いたい場所に気軽に導入できるようになった。
エンタメ業界をはじめ、幅広いシーンで活用できそうなヤマハの画期的な新技術と「Distance Viewing」。それらが、近い将来、われわれの周囲のさまざまな領域で新しい価値を生み出してくれることに期待したい。