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一龍斎貞鏡さんのひとり会は母の日に勇気を与えてくれる高座だった—— 素人の講談初体験記

 長い時を経て現代に残る伝統的なものはどんなものでも、直接見聞きし、触れた人に感動を呼び起こさずにはおかない。多くの人に愛されてきたからこそ引き継がれる技や美、そして今もその価値を知るファンがいて、コアな人気を支えている。難しそう、分かるかな、という敷居を思い切ってまたいでみると、案外面白くてはまりそうになる。その一つが講談だ。

 国立能楽堂で5月11日に開催された講談師、一龍斎貞鏡さんのひとり会、「貞鏡傳(でん)」(オフィスエムズ主催)を聴きに行った。恥ずかしながら筆者、講談初体験だ。でも、赤穂義士や四谷怪談など、プログラムには聞いたことがある題名が並んでいるし、初めて足を踏み入れた国立能楽堂の舞台は、いつか見る機会があれば、と思っていた伝統美。三味線や笛、太鼓などの生の音色も流れ、始まる前からわくわくする。

 登場した貞鏡さんの凛(りん)とした着物姿に、自然とこちらも背筋が伸びて聴く態勢が整う。一席目は「仙台の鬼夫婦」。知らない話だ。どんな物語なのかと構えるも、まずは身近な話から始まってリラックス。なんと貞鏡さん、子どもの日にご子息と“チャンバラ”で遊んでいて足の指を骨折、痛くてきれいに正座ができないというのだ。正面席にいた筆者には分からなかったが、国立能楽堂は舞台正面だけではなく、中正面、脇正面という座席のつくりになっていて、脇正面の席からは貞鏡さんの横姿を見る形になる。「お見苦しいかもしれませんが」と謝りつつ脇からは「貞鏡のこのうなじもご覧いただけます」と笑いを誘う。一気に“素人聴衆”の緊張が緩む。

 だがこのケガの話は、実はしっかり一席目の鬼夫婦の導入になっていた。チャンバラでうまく着地できずに骨折した貞鏡さんとは対照的に、この読み物に登場する井伊直人の妻、定はなぎなたの名手なのだ。剣術指南役なのに賭け碁に夢中で財産をすってしまう夫を、かけ金をエサに修行に出して立ち直らせる定。声音を変えて語られる夫婦の会話には、現代にも通じるおかしさがちりばめられ、流れるような滑舌の良さに引き込まれて、物語の世界を漂ううちに、江戸城での御前試合に夫婦で呼ばれるまでになる、というハッピーエンドがやってくる。

 仲入り後、二席目は「四谷怪談」。お岩さんの話は知っていたが、今回はそのお岩さんが誕生するまでの話。母親のお綱がお岩さんを産んだ時の話も、十分に怪談。ここからさらに数奇な因縁話が始まる、というところでおしまい。素人聴衆にとっては、次を聴きにいかねばという連続ドラマのような終わり方だ。

 そしてトリの三席目は「赤穂義士本傳」。講談の世界では、「冬は義士、夏はおばけで飯を食い」と言うのだそうだ。となると、この日は双方楽しめるオールシーズン、スペシャルなプログラムだ。暮れになるとあちこちで見かけるいわゆる“忠臣蔵”の話は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、あだ討ちの後切腹する話だが、この日は赤穂義士伝の中でも「南部坂雪の別れ」といわれる部分。そもそも筆者は、赤穂義士伝が銘々伝と外伝含めて300話あまりもあるということ自体初めて知った素人だが、それでもこの南部坂の話はまだ聞いたことのあるストーリー。泣ける一幕だ。

 吉良上野介(こうずけのすけ)に対するあだ討ちを待つ亡き浅野内匠頭(たくみのかみ)の奥方のもとを、雪降る討ち入りの当日に訪れた大石内蔵助(くらのすけ)が、間者(スパイ)に計画が発覚するのを恐れて真実を隠し、あだ討ちなどしないで百姓をして暮らすつもりだとウソをつく。情けなくて嘆く奥方にあとで渡してほしいと、袱紗(ふくさ)包みを奥方に仕える戸田の局に手渡す内蔵助。実はこれ、討ち入る四十七士の血判状。ここで驚くのは、貞鏡さんが袱紗に見立てた手ぬぐいを繰りながら、四十七士の名前をすらすらと“読み上げる”ことだ。もちろん手ぬぐいに文字など書かれていない。内蔵助の真意を知り涙する奥方の、万感胸に迫る思いをすべての名前に乗せて四十七士を語り終えた瞬間、さまざまな意味で感極まった聴衆からは当然のごとく大拍手。

 なんと5人の子育てをする“ママ講談師”が、足袋の中の痛みに耐えて能楽堂の橋掛かりと呼ばれる長い廊下を歩く姿は、講談の素晴らしさを脇に置いても、母親たちに勇気を与えるに十分。母の日にふさわしい高座だった。             

text by coco.g