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いとうあさこ、愛のある「ババア」に「やった!」 愛称で呼ばれて生まれた“個性”【インタビュー】

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 等身大のキャラと何事にも真摯(しんし)な姿勢で、お笑い芸人としてお茶の間の人気を獲得しているいとうあさこ。2008年に山田能龍、羽鳥由記らとともに旗揚げした劇団「山田ジャパン」では、女優として笑いと華を添える。3月7日から上演される舞台「愛称⇆蔑称」には、口うるさい教頭・大山佳奈役で出演。ある中学校を舞台に、“あだ名”をテーマとした哲学コメディーを展開する。いとうに劇団への思いや本作の見どころ、さらには“あだ名”問題についての考えなどを聞いた。

いとうあさこ (C)エンタメOVO

-劇団「山田ジャパン」は、どのような経緯から旗揚げした劇団なのですか。

 旗揚げ公演を行った2008年6月より半年くらい前の2007年の暮れに、当時、同じ事務所の同期だった大野泰広と二人で飲んだことがあったんです。その頃、本当に仕事がなかったこともあり、もともと大好きだった舞台に「出たいなぁ」とふと言ったら、大野が「ちょうど山田くんが劇団を作るけど、女優がいないって探してたよ」と。山田も元々芸人だったので、ライブで一緒だったり、遊んだりして仲良しだったんですよ。それで、「じゃあ、つないで」と(大野に)頼んで、山田と旗揚げメンバーが私の出るお笑いライブを見にきてくれて、居酒屋で契りの酒を交わしたのがスタートでした。私としては、本当にタイミングがジャストでした。舞台をやりたいとつぶやかなかったらこういう流れになっていなかったでしょうし、引き寄せられるようにスタートした感覚です。

-どのような芝居を目指して旗揚げされたのでしょうか。

 山田が元々芸人ということもあり、基本はコメディーです。それは私にとっても大きかったかもしれません。私は幼少期から伊東四朗さんやいかりや長介さんに憧れていたので、コメディーに対する憧れがお笑いをやる前からあったんですよ。ただ、劇団としては、(脚本を担当している)山田の人生が脚本にも反映されるので、哲学的なところもあるとは思います。もう一度言いますが基本はコメディー(笑)ですが、命についてや、家族や人の縁を描いている作品もあります。

-そうすると、いとうさんはもともと演劇にも興味があったんですね。

 20代の初めの頃に、舞台の専門学校に夜学で通ってました。一応、ミュージカル科だったんですよ。でも、入った時はミュージカルをやりたいということではなかったんです。ミュージカルは好きでしたが、歌もあれですし、体つきもね(笑)。それに20歳を超えてからダンスをやっても、やっぱり小さい頃から習っている方々にかなうわけもなく。ただ、演劇科は座学が多く、ミュージカル科は実技ばかりだったので、実技だけをやりたかった私にとってジャストで。それで、ミュージカル科に入ったら、「ミュージカル最高!」ってなって(笑)。当時は、まだお笑いの「お」の字も頭に浮かんでいない頃だったので、1年半学校に通った後は、ちょこちょこオーディションを受けていました。1回だけ劇団四季さんの書類審査に通ったことがあって。周りもみんな応募していたけれども、なぜか私だけが受かった。当時、(劇団四季の)浅利慶太先生が履歴書を床にばらまいて、たまたま拾った書類が通るといううわさがあったんですよ。運を試しているらしいと。それで、学校の同級生だったみんなが「あの伝説は本当だったんだ。お前が書類に通るわけない」って(笑)。実際に、自分でもなぜ受かったのか分からなかったですし、オーディションに行って衝撃を受けました。映画『コーラスライン』まんまでしたから。私は完全に場違いで。そんな経験もありつつ、ファミリーミュージカルに出たりもして、気付いたらお笑いの世界に入っていきました(笑)。