もともと酒豪で名をはせる岸田文雄首相は、ちょっとやそっとの酒量では酔わないという。だが、今年はおとそ気分どころではなかった。内閣支持率の著しい低迷に加え、年明け早々に能登半島地震や航空機の衝突炎上事故が起きたからだ。岸田首相にとっては、義父の喪中でもある。「今年は正月らしさを全く感じない首相官邸だった」(全国紙・政治部記者)のも無理はない。
約2週間後には通常国会が召集される。論戦の最大のテーマが政治とカネの問題、とりわけ派閥の裏金問題になることは間違いない。すでに逮捕者も出ているが、この人数がさらに増えるともいわれている。これまで岸田政権に対する攻め手を欠いた野党も、ここぞとばかりに手ぐすねを引いて待っている。立憲民主党の泉健太代表などは、「政権交代を目指す」と意気軒高だ。
自民党は急きょ「政治刷新本部」を設置し、今月中の中間取りまとめを予定している。麻生太郎副総裁と菅義偉前首相を最高顧問に就け、「挙党的に取り組む」(中堅議員)としているが、政治資金の透明化や派閥の在り方などの問題で、どこまで踏み込めるかは予断を許さない。「思い切った改革に消極的な議員が意外に多い」(前出・中堅議員)上、「岸田首相の強い覚悟が感じられない」(閣僚経験者)ことも大きい。
しかし、別の問題は、果たしてそれらだけに矮小化してもよいのかということである。30年前の1994年1月29日未明、細川護熙首相と河野洋平自民党総裁(いずれも当時)との与野党トップ会談が開かれ、政治改革に関する合意がなされた。この合意を「画期的」と報じるマスコミもあったが、“応急処置”と“お手盛り”の性格を強く帯びたことは否めない。当の河野氏も最近公開された回想で、「生煮えというか、完全に議論した結論ではなかった」と証言している。
例えば、与野党の議席数や現職議員の身分に大きな影響を与えないための“激変緩和措置”がとられた。小選挙区で有権者から「ノー」を突き付けられながら、比例区で「復活当選」する重複立候補の仕組みは、どう考えても大きな矛盾をはらむ。当時の関係者は「あのときの経過措置がこれほど長く続くとは…」とため息を漏らす。
国民が疑問や憤りを感じていることは、ほかにもある。配偶者や子が当然のように政治資金を“相続”できることへの批判もあるし、文書通信交通滞在費は「調査研究広報滞在費」に改称されたものの、「使途の公開に関しては議論が全く進んでいない」(野党・国対関係者)ことへの不満もある。岸田首相が真に「聞く力」を発揮すれば、いや発揮する意思があれば、まだまだ国民の声なき声を拾い上げられる。
敵失をほくそ笑んでいるだけでは、野党は政権を担えるはずがない。むしろこの際、野党の方から、少なくとも重複立候補の禁止などを提案すれば、政権奪取に向けた“本気度”が少しは伝わる。そもそも野党が小選挙区で勝利しにくいのは候補者を乱立するからであり、その原因の一つが現行制度にある。野党候補の中には小選挙区でわずか2、3万票しか獲得できずに落選しながら、比例区で「復活当選」を果たす者もいる。重複立候補ができなくなれば、野党勢力による候補者一本化の作業は進むことになる。
永田町ではまだ「岸田降ろし」の動きは見られない。適任の後継者がいないことは岸田首相にとって救いだが、反転攻勢のための秘策があるわけではない。だが、政治資金のみならず、選挙制度を含めた政治システム全体の抜本的な見直しに首相自身が腹をくくり、英断を下せば、“岸回生”はあり得ないわけではない。逆に弥縫策で糊塗しようとすれば、退陣は秒読み段階に入る。
すでに各種世論調査で支持率に黄信号が灯って久しいが、大きな分岐点になるのが、100日後(4月28日)に行われる衆院島根1区の補選だろう。小選挙区制になって以降、この選挙区では故細田博之前衆院議長が一貫して勝ち続け、野党候補の追随を許さなかった。だからこそ、支持率が一向に回復せず、補選で敗北を喫すれば万事休す、「岸田では衆院選を戦えない」との声が党内で一気に強まり、「岸田降ろし」が始まる。その意味では、これからの100日間が、まさに“岸回生”の成否を決する。
【筆者略歴】
本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。