▼感受性を取り戻す

河森さんが万博で一貫して意識したのは「感受性の回復」だ。
「“いのち輝く社会”はとっくに実現されていたのに見えないのは、観察力や感受性が低下しているからです。先住民は、自分の排せつ物や獲物がどう分解されて循環しているかを直接体験しているから、自然界のものを無駄にしません。原因と結果を体でつかんでいる。でも、私たちの文明はブラックボックス化しすぎて、因果の感覚が切れてしまったんです」。
企画段階で改めて世界を行脚し、人類本来の感覚に思いを巡らせた。
「マイクもスピーカーもない古代の野外劇場を見たとき、昔の役者は大声で話していたんだなと考えていました。ところが、ヒマラヤで現地の人が1キロ先の相手と普通の声で会話し、表情まで読み取っているのを目撃したんです。昔は聴衆の聴覚が鋭かったんですね。自分の感覚がどれだけ鈍っているか思い知らされました」。
人間の感受性の低下こそが、生態系の破壊を引き起こしている――。展示は「五感を取り戻すための疑似体験」として設計した。
「彼らの感覚になり切らない限り、同じように世界を感じられない。なり切ることがすごく大事。なので、もし感覚を取り戻せたなら、こういうことを感じられるんじゃないかという内容にしました。外側からの“自然保護”ではなく、自然側に回る。だから、“食べる”のではなく“食べられる”体験を作ったんです」。
▼AI時代にどう生きるか

未来をどう生きるか–––。「まずは、自分が自然や他のいのちと合体して生きているという実感を取り戻す。それなくして未来社会をデザインしようとすると、人間にとって都合の良い未来像を描いてしまうから」。テクノロジーではなく、別の概念で環境問題に応えようとするところに、河森さんらしさが表れている。
「AI時代だからこそ、知識や情報の処理は人間が無理に担わなくてもいい。むしろ元々それは問題でなかったのかもしれません。直接体験がある先住民は、電気やスマホといったテクノロジーを享受しつつも感受性を維持していました。だからこそ、AIにはまだできない“体や感情を使うこと”が復権してほしいです」。
文明の発展は利便性をもたらした一方、個人の感覚能力を著しく衰えさせている。
「極論すると、脳がスマホに代わってしまいました。スマホは便利だと思うしテクノロジーや先端技術も大好きだけれど、“テクノロジー輝く未来社会”にしたいわけじゃない。現代人は総体としての能力は上がりましたが、個人としての能力はガタ落ちしました。まるでパワードスーツを着たようなもの。それを脱がない限り、“いのちの輝き”は実感できないんです」。
こうした問題意識が、来年1月公開の劇場長編アニメ『迷宮のしおり』にも直結した。
「スマホはもうアイデンティティーですよね。個人情報や検索履歴が詰まっている。そのスマホがひび割れて自分がスマホの中に閉じ込められ、もう一人の自分が現れたら――そんな発想から企画を思いつきました」。
万博を経て、河森さんの思いは揺るぎない確信へと変わった。
「万博は世界から多様性が集う場。といっても、今回は人間の多様性だけ。“静けさの森”がせいぜい頑張っている程度で、野生動物は万博にやって来ていません(笑)。でも、多様性に向けて少しでもかじを切って、直接体験を取り戻せば、“自然保護”や“環境保護”なんて言葉は要らなくなる。(自然と合体して生きていることが実感できれば)人が自然を汚すはずないですから」。
